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アヴァンギャルドのための絵本講座
2009年度講義録より

*以下は、四谷アート・ステュディウムの講義録(学生のみに公開)より
一部を再録したものです。

ぱくきょんみ先生が担当する「アヴァンギャルドのための絵本講座」は、
2010年度より講座名を「ことばのPcture Books講座」に改めます。
>>講座案内 

第7回 2009年9月18日

■video 鑑賞
1「エディット・ピアフ ドキュメンタリー」
2「エディット・ピアフ コンサート」(1952-62年のテレビ番組より)


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Édith Piaf(エディット・ピアフ 1915-63)
後期の1回目は、フランスのシャンソン界の大御所エディット・ピアフを取り上げた。(夏に、待ちに待ったドキュメンタリーとステージの珠玉篇がケーブルテレビで放映され、ビデオにおさめることができたので、「旅/ことば/うた」を考えるために恰好の資料と判断。)
エディット・ピアフは、第2次世界大戦後の混乱期に、それこそいまで言うストリート・ミュージッシャンとして頭角を表し、母国フランスはもちろん欧米を中心に世界中にその実力と人気を誇った。みなさんも「名まえだけは知っています」と発言していたように、世代や文化風土を越えて、その名を世界に響かせている名歌手である。

「旅する人」篇というテーマに沿えば、「旅する人」がたずさえていたことば、歌、身ぶり、への注目がある。ピアフは、大道芸人(父は曲芸師,母は歌い手)の娘として産まれ落ち,親の事情で祖母の家で育つ。その祖母の家は地方の売春宿であり、ピアフはもの心つく前から世の中の底辺にうごめく人間の闇を凝視してきた。ピアフの歌がわたしたちの心に染みるとしたら、あらゆる不幸と向き合った人が知り得た人生観が裏打ちされているからではないだろうか。
街や村の広場、街頭で歌ひとつ、芸ひとつで、人の関心を惹きこみ、お金を貰うというのは、普通の生活をする人間の想像を越えている。ピアフのような路上の歌手の歌ひとつに賭けるエネルギーは、歌う力を鍛えただけでなく、生きる上での真実にひたむきにさせることになったのだと思う。ただ、創造という孤独な作業の中で、実人生のピアフのひたむきさがマイナスのベクトルに進んでしまったこともまた真実である。(実人生に関心ある方は映画『エディット・ピアフ』を薦めます。)

このように、後期の講義では、「旅する人」たちと社会や歴史とどう向き合ったか、をより具体的に掘り下げたい。そこには当然「フォークロア」(民族文化)の視点が重なってくる。


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Toni Morrison(トニ・モリスン 1931-)
ある体制の社会・歴史から棄てられてきた人たち=マイノリティー(モリスンの場合は、アメリカ合衆国建国後、強制連行されたアフリカ人奴隷の末裔)へ常に喚起を抱いてほしい思いから、トニ・モリスンの初期の問題作『スーラ』(ハヤカワ文庫)を取り上げた。この物語にあるテーマはすべて「あいだ」の問題だろう。白人社会と黒人コミュニティ、男と女、女(少女、娘)と女(母あるいは祖母のような血縁)、この世(人間)とあの世(神)、その「あいだ」で繋がるものと繋がらないものの在り方を、少女たちの友情とその綻びのストーリーから指し示している。
『スーラ』にはトニ・モリスン文学の金字塔『ビラブド(Beloved)愛されしもの』(ピュリッツアー賞、ノーベル文学賞受賞に至った)の源泉がたゆたっていておもしろい発見がある。トニ・モリスンのことばの体、文体の魅力は、アメリカ黒人のブルースに通じるもので、力強いリズムを伴いながら、痛切な息づかいをも表現しており、まさに体にくる。



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講義の冒頭でとりあげたシリン・ネシャットは、少数派、女性など、ポリティカル・コレクトネスを題材に活躍している作家。イスラム圏は、メソポタミアの厳しい戒律が続いている土地でもあり、男女が明白に対比されている。そこでは、女性は家に所属するものであり、その女性の命は家が握っている。そのため、親や兄弟の判断で殺害されることもある。

Shirin Neshat(シリン・ネシャット 1957-)
イラン、カズビン生まれの女性映像作家。ニューヨーク在住。
第66回ベネチア国際映画際では、長編映画作品『Women Without Men』(独・仏・オーストリア合作)が、コンペティション部門銀獅子賞を受賞。(音楽:坂本龍一)
日本での展覧会
2001年「シリン・ネシャット展」金沢市民芸術村
2005年「シリン・ネシャット展」広島市現代美術館
2006年「人間の未来へ_ダークサイドからの逃亡」水戸芸術館

(「ペルセポリス」イラン出身の女性作家の漫画)


■後期のゲスト

10月2日:みやこうせい氏。(終了)
共産主義時代を経ながらも「フォークロア」(民族文化)世界を現代に結んだ東欧世界を「旅する人」として多くの写真集、著作を発表しています。

11月20日:戸田郁子氏。
1980年代より韓国に在住する作家、翻訳家です。ライフワークとして中国北東部の朝鮮族(戦前、強制労働のために連れて行かれ、戦後そこに棄てられたままにコミュニティを築き上げた人々)のリサーチを写真家リュ・ウンギュ氏と続けています。また、土香(トヒャン)という出版社を立ち上げ、韓国の文化を伝える出版活動を始められました。カヤグムの楽譜集『ソリの道をさがして』シリーズを手がけられました。(配布プリントを参照のこと。韓国の民族文化については、10月30日授業で取り上げます。)

12月11日:朴裕河(パク・ユハ)氏。
ソウル生まれの韓国人。10代に日本に住み、慶応大学を卒業。漱石を中心に日本近代文学を研究しながら、現代の大江健三郎、柄谷行人の著作を韓国語に翻訳してきました。日本と韓国の「あいだ」にある問題に真摯な姿勢で取り組み、重層的で柔軟な視点を提起した『和解のために』(平凡社)で第7回大佛次郎論壇賞を受賞。「(この本の中で)私はときに『日本』を批判し、ときに『韓国』を批判したが、批判の対象がどの国であるかはさほど重要ではなかった。重要だったのは、どのような思考が人を不幸にするのか、だけであった」

[筆記:鍋島亜由美]


■ゲスト講義/レポート

第1回|四元康祐「翻訳の詩学」

第2回|加島祥造「私の中で詩の生まれる時」

第3回|中保佐和子「翻訳、コラボレーション、詩」

第4回|みやこうせい

第5回|戸田郁子「狭間に生きる者たち――コリアン・ディアスポラと私」

第6回|朴裕河「後藤明生『夢かたり』を読む」