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岡﨑乾二郎ゼミ 基礎|2012年度講義録より
1. 歴史的な出来事を表現する。〈前編〉

この講義録は、四谷アート・ステュディウムの学生のみに公開している講義録より、一部を抜粋したものです。
>> 岡﨑乾二郎ゼミ 基礎の講座案内はこちらです。

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第1回

 
【概要】


プロジェクト1. [注]
目の中で、歴史が立ち上がる。出来事を表現しよう!!
いま目撃している出来事、かって起こった事件、物語。
歴史的な出来事をどのように(いまここで起こっているかのように)表現するか。歴史や物語に含まれる時間を、作品でどのように現すか、語るか、という芸術の重要な主題の一つを、(展覧会での上映を前提とした)写真作品、映像作品(5分程度)として作り上げる。

[注]2012年度ゼミは、異なる3つのプロジェクトで構成された。


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Alfred Rosenberg in full flow in a German street, 1932. Rosenberg was a Nazi propagandist and writer who had joined the party in 1920. He was hanged for war crimes at Nuremberg in 1946.


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August 1944. Members of the French Resistance mopping up a Paris street. There were those among the Allies who hoped that the French would rid the city of German troops on their own. But there were others who fought to be the first to enter Paris.


目次


【概要】


【「歴史画」としての写真】
●「作為的(やらせ)」とは? 「出来事」とは何か?
○絵画と写真
○出来事を認識することはできるのか?──因果・ストーリー
○出来事の前後

●歴史画の問題
○プレス・フォト(報道写真)
○動画と静止画
○アンリ・マティス
○光と影── ブリューゲル
○「飛び込むひと」というモチーフ
○「握手」というモチーフ
○出来事そのものは知覚・感覚できない / 現在以上の現在を作り出す


【課題「写真の模写」】


【課題講評より】

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【歴史画」としての写真】


●「作為的(やらせ)」とは? 「出来事」とは何か?
○絵画は作為的であるのが当たり前だが、写真はどうか?
 →実は似ている。同じ問題がある。
「人間は見たいものしか見ることができない」とすれば、見る側に合わせて対象は変形される、あらかじめ読み取れるようにつくられている
 →では、出来事とは何か? 出来事を認識することはできるのか?
◎ある状況から別の状況に変化するという「出来事」。何が起きているのかわかるのは、実際はかなり後になってから。あらかじめある枠組み(因果、ストーリー)でどうなるかが決まっている、というよりも先取り、予測されている。
○本当の出来事は表現できない。出来事の前か後かどちらかしかない。


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ポール・ドラローシュ《レディー・ジェーン・グレイの処刑 The execution of Lady Jane Grey in the Tower of London in the year 1554》1833

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ポール・ドラローシュ《ロンドン塔の若き王と王子 King Edward V and the Duke of York in the Tower of London》1831


●歴史画の問題
◎本来は時間的な過程を、無時間的な画面にどう表わすか?
 a. 予兆を描く
  ex. ギリシア彫刻の円盤投げなどにおける運動の表象の問題
 b. すでに終わったことなのに、まるで今から起こるかのように感じさせる
   過去を現在に再現できるようにするには、今でもまた起こりうるというリアリティが必要。
  ex. 16世紀に起こったことを19世紀に再現したポール・ドラローシュ(Paul Delaroche, 1797-1856)の《レディー・ジェーン・グレイの処刑》
 →bが歴史画の一番面白いところ。

○プレス・フォト(報道写真):読み取れるということは「やらせ」。しかし、やらせしかわからない人のために写真はある。
 →テクストがあってはじめてリアリティを感じる。
 →報道写真は一枚の写真にどのくらい情報を圧縮できるかにかかっている。「瞬間的に百年かかってできるようなことをする」ように。
○現在、動画と静止画の区別がほとんどなくなっている:たとえ3分の動画でも、観る側はそれをスローモーションで再生できるようになっているから。

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○アンリ・マティス(Henri Matisse, 1869-1954)は一般にノンポリだと思われているが、第一次世界大戦直後に以下のようなレモンのある絵画を描いている。この絵がどこか不気味で不穏なものに見えるとすればそれはなぜか?(マザーグースの「オレンジ&レモン」の歌を踏まえるとレモンとは人の首である。ドラローシュ《レディー・ジェーン・グレイの処刑》とマティス《絵のレッスン》には、ジェーン=うつむくモデル、処刑人=画家というような対応関係を読み込むことができる)。
 →現在の出来事を直接描かないで、それを解釈して別のものに置き換えている:その絵が作られた歴史的状況に対応している。それがジャストミートしたときに歴史画は威力を発揮する。
 →絵のフォーマルな魅力のみだと、どうしてこのモチーフを選んだのか、そのモチーフの選び方が抜け落ちる。

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アンリ・マティス《絵のレッスン The Painting Lesson》1919

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アンリ・マティス《静物 Still Life(Vase of Flowers Lemon and Mortar)》1919

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ペーター・ブリューゲル(Pieter Brueghel the Elder, c.1525–69)《イカロスの墜落 Landscape with Fall of Icarus》c.1558

○墜落するイカロスは隅に小さく描かれているが、本当はその姿を描かなくともこの絵は成立している。画面中央に空を見上げている人がいて、画面全体はまるで上からフラッシュを焚いたように光っている。それは真上で太陽が爆発しているから。ブリューゲルは今まで誰も描かなかったイカロスが落ちる前の最初の予兆を描いている(いつもと同じようでいつもとは違う瞬間)。画像が解像した瞬間と出来事の瞬間を重ね合わせている
 →大きな出来事、戦争などを扱うときに、光と影だけでそれを描くこともできる
 →J・G・バラード原作、スティーヴン・スピルバーグの映画『太陽の帝国 Empire of the Sun』1987 は、あきらかにこのブリューゲルの絵を下敷きにしている:飛行機好きの主人公の少年が、広島の原爆投下の光を見るシーン「まるで神が写真を撮ったかのようだ」


○「飛び込むひと」という頻繁に扱われるモチーフは「別の世界に行く」ことを示唆する。

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Tomb of Hunting and Fishing, Tarquinia, Italy, ca. 530–520

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玉虫厨子 捨身飼虎図》飛鳥時代(7世紀)

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デイヴィッド・ホックニー(David Hockney, 1937-)《大きな水しぶき A Bigger Splash》1967

○「握手」というモチーフは、「非対称的な2つの相容れない領域の出会い(あるいは別離)」を表わす。これも多々扱われてきた身振りの一つ。

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Joseph Stalin and Nazi foreign minister Ribbentrop shake hands after concluding the Nazi-Soviet Non-Aggression Pact, August 1939.

歴史画は一般に歴史的に知られた事件を描くが、一切出来事を描いていないようでも広く出来事を含んだ作品もある。それらの作品の前提となっているのは「出来事そのものは知覚・感覚できない」という認識だが、しかしそれを含む仕組みをも作り出している。
 →現在以上の現在を作り出すことこそが、歴史画の課題。

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【次回までの課題】


getty images のなかにある、過去の報道写真から一枚選び、その写真を模写(再現)する
getty images|Time & Life Pictures

その際、以下のような数種類の模写の仕方を試みること
1. ベタに再現する(光の効果、カメラの位置、空間、人物の身振り、構図など)
2. 元の写真にいた人物を省いて、人物のいない写真にする
3. 構図などをベタに再現することなく、その写真に写されているものを読み込んで撮る
 ネットなどを活用して、元の写真が撮られた背景、人物や場所の履歴、時代状況なども調べてみること
(※使用機材は基本的にはデジタルカメラ。ムービーで撮影し、それを静止画にしてもよい)

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【課題「写真の模写」の講評より】


●キャプションと写真
○報道写真は「何かを伝えよう、何かを捕捉しよう」という意図(「誰にどう受け取られるか」という想定)があらかじめ明確にある。言葉にされることが前提になっており、すべてコード化されている。
 →メディアにどう使われるか、そしてそれがどのように機能するかが問題。
検証の仕方:元の写真と再現した写真とをそれぞれ別個に文章で記述し、それらを比較する
 →何のためにその写真が撮られたか、いかなる動機で撮られたのか、その写真に付けられるキャプション(ディスクリプション)を想像する。写真とキャプション(その理解)はセットになっている。それらが掲載され受容される場を推測してみること。
 →例えば、元の写真が『Time』誌に掲載されたものであるということは、記事にすべき、何がしかの語るべきストーリーが必ずあるということ、それは何か?
○「ニュース度」が高いか低いか:この写真のどこがニュースになるか、この写真はどんな記事になるのか?
 →それはどのような状況を含んだ写真なのか?


[学生作品A]
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・どうして床に寝そべって本を読んでいるのか?
 →一冊ではなく複数本が取り出されていることから
  単なる読書ではなく調べ物をしている可能性がある。
  また、書類ファイルや書籍が本棚から乱雑に飛び出ていることから
  図書館の一般閲覧室ではなく資料室である可能性もある。
 →レポートの締切間際か?

・何がニュースになったのか?の推理
 推理1. 最近の若者は行儀が悪い
 推理2. 図書館の設備費が足りていないことの訴え
 推理3. どんなところでも熱心に勉強する女学生のポートレート


[学生作品B]

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・元の写真は「みなしごのカルガモたちをリードして安全な場所へ連れて行く人(親代わりに養育)」という、PC(ポリティカル・コレクトネス、政治的正しさ)的に読者の共感を得る定型とも言えるようなモチーフ。

・再現した写真は、元の写真を解釈、翻訳していて
 「子を引き連れていた親がトンズラした」
 「カルガモを引き連れていた人も、カルガモ自身ももういない
  かつてカルガモがいた、というモニュメントだけが残っている」という表現になっている。

・この写真が『美術手帖』に掲載されているのと新聞記事になっているのとでは、その受け取られ方はどう違うのか?
 →“現代美術”の文脈で受け取られる限りは、その場がどこであるかは問題にならない(「トニー・クラッグ(Tony Cragg, 1949-)を思い起こさせるね」などという話にはなるだろうし「この芝生の鮮やかな緑色が効いているね」などといった純粋造形的な指摘はあるだろうが)。他方新聞記事だとすると(写ってる対象が美術作品でないとすると)見え方は変わる。ゴミが落ちているが、これは何かの事件の痕跡か? などと問われることになる。

・再現写真のなかにも「屋外に置かれた新品の物体←→室内に置かれた汚れた(時間を経た)物体」という対称性がある。この構造の違いを理解すること。
 →後者の靴の写真はクリスチャン・ボルタンスキー(Christian Boltanski, 1944-)の作品のように「同じような靴だが一つ一つ違う人生があることを反映している」と受け取られるかどうか。むしろ震災後の遺留品のように、まったく無関係な個々の人生を一挙に同期させた出来事を如実に示すものと見えるかもしれない。
 →一見すると、片方しかない靴を複数並べた写真は、物に状況が組み込まれているようにも思えるが、結局は芝生の写真と同様、ただのオブジェになってしまっている(骨董品を鑑賞するように読み込めるが、フェテッシュ)。つまり、わざわざ写真にしている意味がない。実物を展示しても効果は同じ。「状況」ではなく「インデックス(痕跡)」。
 →対し元の写真はどうか。被写体のカルガモも芝生に並べられたボールなどと同じく「新品」だが、写真全体は場・状況に対する感情移入ができるようになっている。

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トニー・クラッグ《無題(木)Untitled (Tree) 》1980

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クリスチャン・ボルタンスキー《人々 Personnes》2010


[学生作品C]

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・元の写真の破損したガラスを、再現写真では落ち葉に置き換えている。
 →散らばり方が極めて不自然。人物のいない再現写真は、前景(集められた葉)/中景(散らかっている葉)/遠景(スリッパ)と3つに空間が仕切られてて、静物画(風景画)のよう。しかし、元のものよりニュース(事件)度が低くなっている。

・対しベタに再現していない写真は、かなりニュース度と情報量が高く成功している。
 →撮られた場所が日本の朝鮮学校だと写真だけ見てわかるようになっている(旗の文字は朝鮮語で書かれ、段ボールには日本語が書かれている)。複数の異なる文化の狭間、その干渉が含まれている。例えば補助金の問題などを扱った報道写真として成立している。
 →これをすべてやらせで再現するのが、ジェフ・ウォール(Jeff Wall, 1946-)やトーマス・デマンド(Thomas Demand, 1964-)などの芸術写真。写真でしか成り立たないところまでもっていくと芸術写真になる。

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ジェフ・ウォール《破壊された部屋 The Destroyed Room》1978

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トーマス・デマンド《オフィス Office》1996


[学生作品D]

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・元の写真はマルクス兄弟のハーポが目隠しをして絵を描く画家に扮しているが、再現写真の方が見えないものを感じている画家の表情に迫真性があり、勝っている。


[学生作品E]

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・元の写真の場所はベルリンの壁。西側から東側を覗いている人物がいる。再現写真ではそれを靖国神社の外壁に置き換えている。
 →写真を見ただけでは靖国の壁だとはわからないが「人が入っていけない領域」の嫌な感じは出ている。
 →「壁の向こう」という不可視/不可侵の領域:「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」(西行法師が伊勢神宮参拝時に詠んだ歌)
 →覗く人がいない場合ではどうか? 歴史が凍結した場所として扱われ、壁の向こうを覗く必要がないことこそが、むしろ問題。だとすれば、この壁が崩れるかもしれないという可能性をも含意することが必要ではないか。

筆記者=高嶋晋一