岡﨑乾二郎ゼミ 基礎|2012年度講義録より
3. 世界は絵本のように。
この講義録は、四谷アート・ステュディウムの学生のみに公開している講義録より、一部を抜粋したものです。
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第9回+第10回
【概要】
プロジェクト2. [注]
絵本の前提は、前もって知識のない人にも(ゆえに、こどもでも理解できるように)、ものごとの成り立ち、世界の成り立ちを、つぎつぎと展開する画面の展開だけで、表現することにある。ここで重要なのは、キレのあるリズム。論理的なリズム、知覚的なリズム。感覚の強度、強さ、魅力はこのキレ、切断とつなぎにかかっている。
絵本は、世界をもっとも明確で強い印象、場面、センテンスに分解することで、はじめてそれを見たときのような強い感覚を与え、またその分解された要素から、世界が再び組み立て直されている過程を経験させる力を持つ。絵本のなかで世界は(そこには悲しみも怒りも喜びもあきらめも元気も伴う)、何度でも再生される。
[注]2012年度ゼミは、異なる3つのプロジェクトで構成された。
『もじゃもじゃペーター Der Struwwelpeter』ハインリッヒ・ホフマン(Heinrich Hoffmann, 1809-1894)著、1876
Mani Leib and El Lisitzky《Yingl Tsingl Khvat (The Mischievous Boy) 》1918?
ロシア・アヴァンギャルドの絵本
『せいめいのれきし Life Story』バージニア・リー・バートン(Virginia Lee Burton,1909-68)著、石井桃子訳
目次
【概要】
【絵本について】
●絵本というメディアが規定する形式とは何か?
1. 物体性
2. 12のフレーム
3. こども、老人、外国人、宇宙人が相手
【課題「土をテーマに12見開きの場面をつくる」】
●絵本の種類
【課題についての注釈】
1. データ収集
2. 束見本
3. 形式・方法論
4. 3に対する批判
【絵本特有の「泣け方」とは?】
○絵本『ちいさいおうち』について
○絵本『サラダでげんき』について
【絵本というメディアの哲学的な側面】
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【絵本について】
●絵本というメディアが規定する形式とは何か?
1. 物体性
2. 12見開き(24~26ページ)=12場面=12フレーム
3. こども、老人、外国人、宇宙人が相手
4. 言葉と絵が同等
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1.
物体性
○電子書籍と比べるとよくわかることだが、道具として使えるという点が重要。こどもはそれを見るだけでなく、そこに落書きしたり破いたり、それで何かを叩いたりその上に何かを載せたりする。つまり、一義的な機能に限定されない側面がある。例えばトンカチは主に釘などを打つものだが、それで人を殺すこともできる。この場合の「道具」は客体性=物体性をもっている。
◎絵本は具体的な、複数の潜在的機能を含む(展開可能性をもつ)、物体性をもった道具である。
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2.
12見開き(24~26ページ)
●12見開き=12場面=12フレームで、一度にひとつの見開きしか見れない。
○絵本は12見開きの別の記述が存在している。それぞれの記述は独立している。つまり時間空間の連続性、共通性が前提とされていない。あるいはそれが同じ対象を記述しているということも前提とされていない。しかし一方でそれら12フレームには、なんらかの共通性、連続性が確保されていなければならない。
→通常は、時間空間や対象、あるいは主人公もしくは語り手の意識の連続性で、異なる12の見開きをつなげる(それらすべてが重なっている必要はなく、それらのうちの一つだけでもいい)。
→あらかじめつなぎの同一性を特定し前提とするのではなく、12の見開きを通して、いままで意識していなかった主題が見えてくるとよい。
●手法から(手法と対象の関係から)絵本をつくる
○あらかじめ手法=形式を設定して、機械的に12見開きを作ってしまい、その間にストーリーをでっちあげる(フレームアップする)というやり方もある。
ex. 「土」をテーマにすると:
さまざまな場所の地表をすべて実物大で再現し12見開きをつくる。「地表30cm下の世界」と決めて、さまざまな場所の地面下30cmの土の状態をサンプリングする。またはその長さを徐々に変え、地中深くにしていく。この場合、大概この形式が破綻するところで(ex. だんだん深く掘って地球の向こう側に出てしまう)、別レベルの記述を入れ(ex. 「やっと君にあえた 地面のいちばん深いところで」など)オチをつくるということになる。
『これはのみのぴこ』谷川俊太郎 文、和田誠 絵
谷川俊太郎の絵本は「手法から絵本をつくる」代表的な例
これは のみの ぴこの/すんで いる ねこの ごえもん の/しっぽ ふんずけた あきらくん
◎いずれにせよ肝心なのは、12フレームで示される領域が、あらかじめ設定されている(通念として共有されている時空間、あるいは観念や世俗的価値観などの)枠組みを超える認識を与えること。
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3.
こども、老人、外国人、宇宙人が相手
●こどもを読者/受け手にしているということは、絵本の潜在的な期待値として、本が読めない人にもわかる、言葉がよく理解できない人も理解できる、ということでもある(ボイジャー問題、「中国語の部屋」問題)。
ex. 誤謬論理
人は 死ぬ
草は 死ぬ
ゆえに 人は草である
↓
なぜこれが「誤謬」なのか?
それぞれのステートメント間の階層性が前提になっていなければ、これを「誤謬」とは言えない。
本当はステートメントが並んでいるだけで、その間の関係は読む側が読み取っている。
◎大人はメタフレームをつねに想定して読んでいる。つまり論理の階層性が前提になっている。しかしこどもの知覚条件はそうなっていない。論理の階層性が確定せずにそのつどむすび直される、いわばアナロジー、連想的。その爆発力を武器として使うのが絵本。
◎詩と同様、絵本は既成の論理を破綻させる可能性をもっている。詩は一行(1ステートメント)ごとに論理が飛ぶ。絵本は、1フレーム=1見開きごとに帰属する時空間が異なる。また絵本のなかの文字と絵の関係も同様で、あるページの文字が人物が喋っている台詞なのか、その人物が誰であるかを指しているものなのかなどの論理的な階層が決まっていない。
○映画と絵本が違うのは、絵本は1場面、1フレームのステートメントの自律性が強いという点。映画では各場面は次々と過ぎ去ってしまうが、絵本はそうではない。今開いているページと同時に、開いていない他のページがつねに潜在的に存在している。また前回までの写真の課題との違いは、撮れないものも要素として入れられるという点。
○「人は草である」が「議論に値するけど間違いである」ということになってしまってはダメ。それが正しいか間違いかがわからなくならなければ「事件」ではない。
ex. 植物に変身したダフネ(ギリシャ神話)
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini, 1598 -1680)《アポロンとダフネ Apollo and Daphne》1622-25
ex. アダムの死体から木が生え(旧約聖書)その木がイエスを磔にする十字架となる(新約聖書)
このエピソードは旧約の世界と新約の世界をつないでいる。三位一体という考えもまた、矛盾する時空間をつなぎとめる理屈。宗教的に言うと、死は永遠であり、救済。その死の側からするとアダムとイエスのあいだに時間差はない(パッとページを開いたらイエスだった。またパッとページを開いたらアダムだった)。
ピエロ・デラ・フランチェスカ(Piero della Francesca, 1412-92)《アダムの死 Death of Adam》ca.14464
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【次回までの課題】
「土」をテーマに、12見開きの場面を作ってくる。
追加として、12見開き+2(表紙、裏表紙)=計26ページの
白紙の束見本(本を閉じた状態で24.2 x 18.4cm、見開き状態で24.2×36.8cm程度)を
作ってもってくること。
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●絵本の種類
A. 企画絵本=啓蒙的な絵本、科学絵本(既成のコンテンツを語る)
B. オリジナルな絵本(純粋絵本)=
①物語が前提になっているもの。
主観的で、悪い意味で「ポエティック」なもの。
②形式的・構成的なもの。
谷川俊太郎やレオ・レオニなどの手法先行型。
《あおくんときいろちゃん Little Blue and Little Yellow》レオ・レオニ(Leo Lionni, 1910-99)著
一見完全に構成的だが、そこにベタな物語が入っている。
○純粋絵本は突き詰めると論理的な絵本になる。ただし形式的・構成的な絵本でも結局はメタフレームで収まってしまうことが多く、見ている側が安心するような終わりをつくってしまうという問題点がある。またたとえ科学絵本でも、最後のオチは文学的にしたくなるもの。「土」がテーマだとしても「すべては土に還る」というクリシェで終わらないようにする。土という概念の総体を攻め、総体としての土が今までとは違うものに見えるとよい。
エドワード・リア(Edward Lear, 1812-88)のナンセンス絵本
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【課題についての注釈】
1)データ収集
●「土」について、もっとその対象に迫るよう、徹底的に調べる。
50〜100枚程度のカード型資料をつくる。
●「土」という概念が包摂するだろうコーパス(フィールド、試合範囲)、
「土」という対象が指し示す領域を意識する。
2)束見本
●12フレーム(見開き、コマ)に異なる情報を放り込んでいく(カードを選び並べてみる)。
→「個々のコマがどんなに無関係でも関係ができる」という絵本のフォーマットを確認。
●リズムの重要性=ページごとにキレをつくる
(12コマそれぞれが独立したフレームであることを強調する)
→収集したデータをいかにまとめるか?=ストーリーがなくとも、
形式的な連続性でつながる(谷川俊太郎方式)
→先に12コマの連続をつくり、語り方は最後に考える。
3)形式・方法論
●アプローチの仕方を決める(いかに「土」という対象を語るか?)
→視点や登場人物を決める。
ex. 土と人間、土とミミズ、土と雨、土と温度計、土と幼稚園児 etc...
●データ=属性
普通は対象に属性があると考える。しかし「属性」とは、それを見るフレームに拠っている。大きい/小さい、長い/短い、軽い/重い、堅い/柔らかい、使える/使えない、きれい/汚いなどのデータは「何にとって」がないと出てこない。「何にとって」があってはじめて成立する。いわば主人公(判断基準)によって対象の現われが異なる。記述する側の対象との関わりなしに、属性は存在しない。
→調査する段階で、すでに視点(判断基準)が入っている
(ex. 象の鼻が「長い」のは人間にとって)。
→属性=関数(データには必ずパラメータがある)。
→対象Xについて収集するとは、いくつかの複数のパラメータで対象を調べるということ
(そうでなければ情報量が増えたことにならない)。
4)3に対する批判
●自明とされている視点(フレーム)を批判する。
→形式・ロジックをひっくりかえす(視点を変える)、
盲点(その形式が破綻する箇所)を探す。
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【絵本特有の「泣け方」とは?】
○このプロジェクトの最終目標は簡単に言うと、泣ける、グッとくる絵本をつくること。絵本には絵本特有の「泣け方」がある。
『ちいさいおうち The Little House』1942、バージニア・リー・バートン著、石井桃子訳
○『ちいさいおうち』は一見ハッピーエンドに見えながら実はそうではない。街と田舎は共存できないという不可逆性がラストになっている。ちいさなおうちがいることのできる場所は、実はこの絵本自体のなかにしか確保されない。絵本のなかだけでのハッピーエンドである、ということを示すと悲しくなる。「普通はすべて過ぎ去ってしまうが、絵本のなかでは何回も生きている」という時制を失った感覚、固有性がある(形式的で演繹的な操作だけでは、そうはならない)。
→「小さきものたちがそれぞれ独立して生きている(「小さい」とはサイズのことではない)」という感じが絵本にはある。
『サラダでげんき』角野栄子文、長新太絵
○毎日食べているものが特別な意味をもつ。しかもその特別な一回的なものが、絵本を開くたびに起こる、という感触がある。小さきものたちは絵本のなかで自足しており、外に出ようとしない(フレームのなかで完結している)。つまり分別があり、身の程を知っている。出来事を延長(継続)せずに、止まらせる(サラダは一回食べただけでよかった)。絵本を開くとそれがあるが、実際の世界ではそうならない。
『ジオジオのかんむり』岸田衿子文、中谷千代子絵
○ミミズを狙うニワトリにとっての土と、高校野球球児にとっての甲子園の土は、まったく無関係。しかしそれがどこかでつながると、グッとくる。「泣ける」ということも本当は理論的に捉えられるはず。
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Alice and Martin Provensen『The Animal Fair』1952
『おしゃべりなたまごやき』寺村輝夫文、長新太絵
『あくたれラルフ Rotten Ralph』ジャック・ガントス文、ニコール・ルーベル絵、石井桃子訳
『あおい目のこねこ』エゴン・マチーセン著、瀬田貞二訳
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【絵本というメディアの哲学的な側面】
●絵本はかならずしも子どものためのものとは限らない。絵本は(その形式的特徴から)きわめて明晰、分析的・論理的に、世界を記述する形式。約12の独立した場面=言述=ステートメントだけで世界を構成する。このステートメントの連なりだけで世界を記述・表現するという特徴は、ときに論理学(論理哲学)的な様相さえ帯びる。
●絵本という形式が子どものための本として使われるのは、たった12場面だけで世界を構成しているため、何も知らない人でもアクセス可能なはずだという仮定からきている。むしろ絵本をつくる大人が、自分自身の常識を論理的・形式的に反省せずそれに寄りかかっている場合、絵本の可能性を引き出すことができず、ただ自分自身の思い込み(狭い世界観)をさらけ出すだけになってしまう。
[子供用以外の絵本=Artist Bookをつくった美術家たち]
Marcel Broodthaers(1924-76)
Rosemarie Trockel(1952-)
Peter Fischli(1952-)& David Weiss(1946-2012)
Sol Lewitt(1928-2007)
[哲学と絵本のつながりを知るための参考文献]
『哲学と子ども―子どもとの対話から』G.B.マシューズ、倉光修・梨木香歩訳
『子どもは小さな哲学者』G.B.マシューズ、鈴木晶訳
筆記者=高嶋晋一