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Musique Non Stopゼミ+身体/言語ゼミ
2009年度ショーイング アフタートーク

出演:足立智美、山崎広太
日時:2009年7月21日 20:30−21:45
会場:四谷アート・ステュディウム講義室


トピック:
- ワークショップの過程
- ショーイングについて
- 質疑応答 1:音楽/ダンスにおけるメロディ
- 質疑応答 2:時間の組織・観客と作品の成立


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左より、山崎広太先生、足立智美先生

※このトークは、足立智美のMusique Non Stopゼミと山崎広太 身体/言語ゼミ
合同のショーイング(会場:旧四谷第三小学校体育館)後に行なわれました。
ショーイングの模様はそれぞれ以下をご覧ください。
- Musique Non Stopゼミ
- 身体/言語ゼミ

ワークショップの過程


――足立(以下A) 5月から7月まで隔週で計6回のワークショップで、異なる方向だが相補的な二つのことを行なった。
(1)ジョン・ケージ《ヴァリエーションズ II》
要約すると、 ばら撒かれた透明なシート上の点と線の間の垂線の距離を計って、それをスコアにどんな演奏をするかという、非常にシンプルかつスマートな作品。同じ楽譜を使っているが、各自行なっていることは何の関係もない。ケージが行なったのは、無関係なもの同士が同じ空間にいること。ケージの、とりわけ60年代の作品はおもしろく、いまだに影響力のある作曲家である。
ワークショップでは、《ヴァリエーションズ II》の各自のヴァージョンを作ることを行なった。さらに、ケージ周辺の考え方、システムを網羅的にみていった。
(2)足立智美《OYONE》
ピッチをもたない(音程がない)が、リズムとイントネーションがある合唱曲。ケージ後に何をするか?という問いに基づく作品。ケージとの共通点は、古典的な西洋音楽の技術体系をもたずに行なうことができること。

――山崎(以下Y) このワークショップの前に、ベニントン大学で3か月間、週2回ずつ舞踏のコンポジション(振付)・クラスを行なった。そこでは、言葉をノーテーションとして舞踏的アプローチを試みたが、アメリカ人が舞踏を理解するには時間がかかることがわかった。
一方で、ある写真作品から着想を得て、ダンサーが静止して観客が動く、または観客が特定の状況で静止して、ダンサーが動くことを思いついた。つまり、見るポジションの違いで異なる経験が得られることを発見した(四谷アート・ステュディウムでも3年前にこの演習を試みた)。
この見る/見られる関係性を用いて、文学の短編集からテーマを得て創作することをベニントンで行なった。今回のワークショップもこの実験の延長上にある。 



ショーイングについて


――Y ショーイングで発表した《インタラクティヴ・ダンス》は、基本的に受講生各自が考えた案を、おもに空間的な構成・条件から考慮して順に繋げている。自分が与えた案も含まれている。受講生は、観客をどのように配置するかも含めた振付を考え、その着想を得る材料として、短編小説を用いた。
小説は、川端康成『掌の小説』より「眠り癖」他2篇を選び、受講生に渡した。これらの特徴には、一方向の視点からのみ書かれていないこと、そして、個人名が出てこない場合が多く(彼/彼女などと表記される)、もつれた関係・イメージが読み取れることが挙げられる。
たとえば受講生の小森さん案のシーンは、観客の見る時間差を巧く利用している(観客は会場の真ん中に横一列に並び、パフォーマー二名はそれを挟むかたちで対面して位置し、一方が他方の動作を即座に真似るというもの)。
二項間の固定的な関係ではなく、それを外側から見ていることを意識することが重要。流動的な部分がなくてはいけない。 


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左より:《ヴァリエーションズ II》 《OYONE》


質疑応答 1:音楽/ダンスにおけるメロディ


――質問者1 (《インタラクティヴ・ダンス》について)見る/見られる関係ならば、ダンス以外のジャンルの作品にも見出し得る。であれば、それをなぜダンスと呼ぶのか?
観客が寝転んで、パフォーマーがその間を動き回る作品では、観客は、音しか聞こえず、振動・気配だけしか感じない。ダンス/音楽/美術的なパフォーマンスなのか区別がつかない、このようなボーダーの作品が興味深かった。

――Y 移動することで時間が生じるものを採用の一つの基準にした。
ワークショップで、二人が対面して歩いてきて、一人が何らかの所作を行ない、もう一方は何もせずに擦れ違い、その反応を観察する演習を行なった。見えないが何を感じたかに興味がある。

――質問者2 足立さんのワークショップ/ショーイングでは専門的な音楽の技術をもたない受講生が前提とされていた。山崎さんは、ダンサー/非ダンサーをどのように捉えて取り組んだか?

――Y 今回にかんしてその点は曖昧化している。テクニックがない人のほうが、一つのムーヴメントを大切に行なおうとする。熟達したダンサーの場合でも、たとえば、シンプルに歩くことができるかどうかが重要。
ワークショップでは、コンポジションを追求するため、ダンサーでないにもかかわらず、無理矢理ムーヴメントを作り、それに対して言語化し、それがどこからきているのか、自分にとって何なのかを探らせた。

――質問者1 山崎さんの言う「ムーヴメント」は、ダンサーにとってだけのものではなく、また、その仕掛けがあることによって、観客も含めてある動きが起こることをムーヴメントと呼べるのではないか。そのムーヴメントがあれば、それをどう活かしていくかがコンポジションになる。音楽の場合はどうか?

――A 二つの作品に言えることとして、メロディが生まれてくるかどうかを試みた。それは、ピッチがある音の連続という意味でのメロディではない。
ケージの《ヴァリエーションズ II》は、いかにメロディをバラバラにするかを命題としているような作品。ただし、身体を入れて演奏すると「これの次にこうはならない」というケースがでてくる。楽譜では、音の長さ、高さ、テンポ、音色が点のように置かれていて、それだけを見れば不連続だが、演奏する側面で、その点をどのように成立させるかという思考がでてきたときに、ある連続性が生まれる。
ケージは、作曲という立場で演奏上の問題を回避することで、おもしろい作品をつくることができた。
音の高い・低いが、古典的な意味でのメロディ。《OYONE》では、メロディを成立させる要素が何であるか示さずに、素材がどのように繋がるかを問題にした。

――質問者1 ケージの次に《OYONE》を演奏することからも、足立さんは、《ヴァリエーションズ》のなかにもメロディを読み取っていることがわかる。そこにメロディの新しい概念があると思う。その意味では、メロディと言っても抽象的。ダンスにとってのメロディはどのようなものか?

――Y ルドルフ・シュタイナーのメソッドから発展させて、「あ」から「ん」の50音それぞれを発声したときの喉の形・響きに対して、それに相応しい身体の形を作ることをワークショップで行なった。ショーイングでは、その要素を使い、近づいたパフォーマー同士がコミュニケーションをはかるシーンがあった。

――質問者1 メロディは、楽譜上に存在するよりは、演奏の場面に現われてくると足立さんが言われた。その意味では、(50音の)音に対するリアクションでダンスが出てきたのであれば、それをメロディと捉え得るではないか? 


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《インタラクティヴ・ダンス》


質疑応答 2:時間の組織・観客と作品の成立


――質問者3 (足立先生に)音量は会場でバランスを取ったのか? もの凄く小さい音はあったが、逆に大きい音はないように聞こえた。

――A 原理的には聞こえない音はない。音量調節は行なった。

――質問者4 (山崎先生に)ダンスでどのように時間を組織するか?

――Y 一つのムーヴメントを徹底して行なうことによって起こるのが時間の流れ。自分の創作ではそのように捉えているが、今回のショーイングは作品にはなっていない?

――質問者1 作品になるか、ならないかの基準の一つに、外にもっていけるかどうかがある。まったく敵対的な関係のなかで成り立たなければ、作品とは言えない。
《インタラクティヴ・ダンス》における山崎さんの誘導、ナレーションもダンスと見えないこともない。そもそも観客を移動させることをテーマに作られている作品だから。ただし、観客もニュートラルではなく、それぞれに時間が組織されている。本当に時間を組織するなら、それによって観客の移動が起こることをしなくてはならない。
(Musique Non Stopゼミの場合)音のスケールが観客との関係だとすれば、観客のスケール設定を変えることが音楽のなかでどれくらいできるのかに注目したい。

――A 作品を「外にもっていく」ときに、パフォーマーは、自分のやっていることに疑いをもってはいけない。客観的に見えないほうがおもしろい。今回の《ヴァリエーションズ II》で、一人だけ後ろ向きのポジションがでてきた。たとえ後ろを向いていても、その演奏がいかにクリアに成立するかが重要になる。


[構成:印牧雅子 身体/言語ゼミ2009年度講義録より]