これからの芸術、これまでの芸術――4 ゲスト=豊嶋康子/前嵩西一馬
芸術行為はフェアプレイの抽出である
3月14日、豊嶋康子氏(美術家)をゲストに、「これからの芸術、これまでの芸術」シリーズ第4回が開催されました。
第一部の豊嶋氏のレクチャーでは、2011年2月の大相撲八百長問題に関する一連の出来事と八百長の関与が疑われた元幕内力士・蒼国来栄吉関の土俵復帰を応援する自身の活動とが、その処遇を決める判決を目前にして(先日3月25日に解雇無効の判決)時系列を遡って仔細に解説されました。その随所で、相撲への関心の発端や問題発覚の翌月に起きた東日本大震災の経験など「私」の人生上の出来事を基点に語られました。そして、問題とされた蒼国来の取組や来日時のテレビドキュメンタリー映像、さらにこれまで豊嶋氏がインターネット上に再々アップしてきたBGMを加えた様々な取組の動画の一部を鑑賞しました。
次いで、第二部の前嵩西一馬氏(文化人類学・沖縄研究)、岡﨑乾二郎氏(本校ディレクター)を交えたディスカッションでは、この八百長問題の背景に礼儀とスポーツという二つの問題があげられ、そこで行なわれる「フェアプレイ」とは何かが議論されました。
岡﨑氏からは、芸術哲学は芸術行為を問わないが、スポーツ哲学はスポーツの行為――いかに行為するかというその倫理性――を問う点で、芸術とスポーツが異なることが強調されました。さらに、フェアプレイとは個々の自由意志の問題に関わり、公平・公明性とは区別されることや、すべてを自分一人で負うような行為であることが語られ、むしろそれを徹底するとルール違反がフェアとみなされるようなあり方が、コンセプチュアル・アートや反芸術など芸術の問題と比較されました。前嵩西氏は友敵を分ける政治の性質(カール・シュミット)について取り上げ、そこからフェアプレイが敵対性を成立させることが検討されました。
また、豊嶋氏のこれまでの作品と蒼国来の土俵復帰応援の一環である署名運動とがどのように一致しているかという前嵩西氏の質問に対する豊嶋氏の応答から、その場に直接的な利害関係を持たない「外部の眼」の重要性が示されました。そして、個別的な対象に焦点を合わせそれに「本気で」向き合おうとする豊嶋氏の作品における決定のあり方が、スポーツの試合をする態度とも似ていることが指摘され、芸術におけるフェアプレイとそうでないものについて、会場からの質疑応答を交えて活発に議論されました。