「花や草や動物といった自然界の対象を、彼ほど精密に描いた人間はいません」。ケネス・クラークは、『芸術と文明』の中で、アルブレヒト・デューラー(1471-1528)の素描をこう賛美しつつ次のように付け加える。「しかし私の考えでは、何かが――内面生活が――欠けています。彼の有名な草の水彩画をレオナルドの素描と比べて下さい。デューラーの水彩画は、一点に注がれた目的意識、そして有機的な生命感覚になんと欠けているでしょう。動物の剥製が納まっている陳列ケースの背景みたいです」*1。 
「動物の剥製」あるいは「陳列ケース」というのは、的確な比喩である。たとえばデューラーの同時代人エラスムス(1466-1536)は、印刷術を駆使し、数々のジャーナルを発行し、そして新約聖書をギリシャ語の原典から翻訳しなおしたことで知られているが、一方で『痴愚神礼讃』で、人間の持つ知恵の限界を風刺し、人間社会の中で行われている聖と俗の区分を――まさに脳味噌も糞も一緒に――すべて同じ陳列棚に上げて無効にしてしまう。いわば『痴愚神礼讃』は、知識、技術(後知恵)と真理との結びつきの恣意性をあざ笑っているのである。
デューラーは実際、エラスムスの著作に影響されてもいたが、諸文化を横断しつづけた双方の類似は、さまざまなる知の形式を、その複数性とともに受け入れ相対化しえたということにあるだろう。絶対的な形式はありえない。対象を描写、記述する形式は対象の真実と切り離された文脈で形成される世俗的なものであるほかない。「動物の剥製が納まっている陳列ケース」という比喩はこの意味で的確である。そこで陳列されているのは、いわば複数の地方様式の並列である。
事実デューラーの作品には、複数の形式が用いられ、とても一つの技法のもとに統合することはできない。木版画においては、《黙示録》のシリーズに見られるようにゴシック的要素が強いし、他方自然を繊細に写実した水彩画と油彩画に見られる荘厳さとは、スタイルとしてあまりにかけ離れている。そしてイタリア旅行直後の油彩、たとえばゴシックとルネサンスが様式的に混合したような《博士たちの間のキリスト》(図1)は、その多層性ゆえにマニエリスムを先取りし、事実それを励起する役割さえ果たした。
こうしたデューラーの分裂を、有名な《メレンコリアI》も典型的に示している。コンパスや定規など幾何学にまつわる道具とともに描かれた沈思する有翼の女性。パノフスキーがことさら強調したように、この版画の制作時期が透視画法の習得と重なるという事実は重要である*2。翼をもつにもかかわらず飛ぼうとしない女性は、複数の技法を前にしながらも最終的な審級に到達できないという憂鬱に沈んでいるかのようである。これは透視図法を学んでいたデューラー自身の憂鬱であったはずだ(デューラーは、扇情的なポーズをとる女性を冷静に遠近法で描こうと苦心する画家のアレゴリカルな版画を残してもいる(図2))。こうして、イメージと対象、表象と表象されたものが乖離してしまうことこそがアレゴリーの根本的な様態に他ならない。合理的な方法を用い対象に接近すればするほど、そこで得られる迫真的なイメージは対象と切り離されてしまう。
こうした客観的写実が孕むアンチノミーは、デューラーより26才年下で、エラスムスとも交流があったハンス・ホルバイン(子)(1497-1543)にはいっそう強く自覚されていた。客観的なのは対象ではなく、それを観察する方法でしかない。たとえば「あの絵を見ていると、信仰をなくす人さえあるかもしれない!」*3とドストエフスキーに『白痴』の中で嘆かせた《死せるキリスト》は、文字通り解剖学的正確さで描写された屍骸があるだけである。だが、絵画に客観的対象として捉えられた対象は、所詮すべては屍骸である他ない。これが蘇生するか、しないかの判断は、絵画の問題ではなく信仰の問題、つまりは宗教改革以降の時代背景において、宗教的な賭けが演じられる場面以外の何物でもなかった。

*1 ケネス・クラーク『芸術と文明』河野徹訳、法政大学出版局、1975、p.152
*2 「デューラーが透視画法の問題を取扱う素描の大半の制作年は、1510年から1515年までの数年間―つまり《メレンコリアI》の時代である。」アーウィン・パノフスキー『アルブレヒト・デューラー』中森義宗・清水忠訳、日貿出版社、1984、p.258
*3 ドストエフスキー『白痴』米川正夫訳、岩波文庫、1994、上巻、p.423を参照。さらに下巻pp.162-164も参照のこと。

1514 | engraving | 239×189mm