Theory Round Table シンポジウム 林道郎/松浦寿夫/岡﨑乾二郎

September 9, 2013|講義

批評家の可能性あるいは責任とその限界
──生産過程(あるいは生)の批評と成果物(あるいは死)の批評

8月1日、講座「Theory Round Table」にて、林道郎氏(美術史、美術批評)、松浦寿夫氏(画家、西洋近代絵画史)をゲストに、岡﨑乾二郎(本校主任ディレクター)が加わりシンポジウムが開催されました。討議は、先行する講義で扱われた主題「デ=コラージュ」(松浦氏)、「アナグラム」(林氏)に基づいて行なわれ、それらが芸術の生産過程の問題として提起する、受容・解読する主体とその関与、批評(家)の役割と可能性について議論されました。

始めに岡﨑氏から問題提起として、モダニズムの原理、同時に批評の立脚点として思考されてきた、個々の生産形式の必然性により生まれる自律性と、それを前提とするポストモダニズムの無数に細分化された自律領域同士の通約不可能性などの問題が、現在自覚されない状況に陥っていることが語られました。そして、批評の現場が、かつて中原祐介や東野芳明、多木浩二らのテクストのなかにあった、多領域に開かれた、それが読み解かれる場のネットワークが失われ、制度化された自律性に支えられているとして、そうした批評のあり方と、各生産の現場が自律していない、すなわち言説を発する力がない現状との繋がりが指摘されました。

それを受けて、批評という領域を生産過程と捉えた議論が展開されました。松浦氏は、デ=コラージュの可能性を、ポスターを壁から剥がす=固有名を剥奪し再命名する行為においてのみ壁は存在すること、つまり、この場合壁が、常に客観的に存在するのではなく、絶えざる多くの人の代入行為のなかにしか存在しない点に着目して述べました。林氏からは、語の使用論・道具存在としてアナグラムを位置付けた上で、国家や家族、歴史などを偶有的・アナグラム的な生産物として捉える重要性が語られ、そこで形成される仮設のコミュニティーの批評性が示されました。また、岡﨑氏からは、事例として、田中敦子や村山知義の作品の論理性、通約不可能な回路が自律的な展開性をもつことが強調されました。

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