水田宗子|モダニズムから戦後女性詩へ――左川ちかと尾崎翠
11月28日、「アヴァンギャルドのための絵本講座 20世紀のテーゼとしての女性と表現」(講師=ぱくきょんみ)にて英米文学・比較文学・女性学研究者、詩人の水田宗子さんをお招きして、ゲスト講義が行なわれました。
明治以降の近代社会において、女性がいかに自己表現をしたか? それは文学と恋愛によってなされた。個人対個人の関係で成り立つ恋愛は、社会の規制を逸脱しやすい。さらに、表現の中で規制を逸脱しやすかったのが、文学であった。日本では、平安時代から女性に文学が開かれていたし、江戸時代の女性の識字率は世界一であった。また、小説という新しいジャンルが輸入され、新しいジャンルであるがゆえに、来る者を拒まない、形式にとらわれない自由な表現ができるジャンルができていた。以上のような状況から、詩歌と小説から女性の素晴らしい表現がうまれた。
明治以降から戦前の文学の潮流を分析すると、三つの潮流(1)短歌の流れ、(2)口語詩の流れ、(3)モダニズムの流れが浮かび上がる。はたして、女性の表現という切り口で、この戦前の文学の潮流が戦後の文学にどう繋がっていくのだろうか? 文学において、書く主体を立ち上げることはとても難しい問題の一つである。戦前の文学において、左川ちかや尾崎翠は、少女としての主体を立ち上げ、小説や詩を書いた。女か男かわからない性的に曖昧な少女、ジェンダー社会に組み込まれる前の女性を主体にした。戦後、民主主義教育を受けた女性作家、茨木のり子、石垣りん、富岡多恵子らが登場する。彼女たちは左川ちかや尾崎翠らの主体の立ち上げ方を引き継ぎながらも、個人主義の精神をつらぬき、個人としての「私」を表現する。私は女であると言わない。女性作家、フェミニストとレッテルを貼られるのを嫌い、セクシュアリティを越えた表現を目指す。しかし、60年代以降になると状況が変わる。女性の生き方もさらに多様化する。少女のままでいられない。女性であることを否定できない。社会と完全に関係をたつことも難しい。社会と関係を断った後、個人になった後、少女、女、母親といった役割を捨てた後、いかに個人や社会と関係を築くか、新しいものと関係を築くか、今までの関係を捉え直すか、それをどう書くかが問題になり、時代の表現、アヴァンギャルド芸術がうまれる。
絵本講座 詩の朗読会 予告
12月25日(木)18:30より
特別ゲスト=津久井ひろみ(今春、詩集『水が笑う』[書肆山田]を刊行)