批評(創造)の現在シリーズ――3 講師=千葉雅也/平倉圭/福嶋亮大

December 16, 2008|講義

11月18日、批評(創造)の現在シリーズ第3回が開催され、福嶋亮大(文芸批評家)、千葉雅也(哲学/表象文化論)、平倉圭(イメージ分析・知覚理論/美術家)各氏のレクチャーに続いてディスカッションが行なわれました。

まず福嶋氏から、神話とは「複製可能な人工の記号を一回的で自然なものに見せるシステム」であり、そうした「ヴァーチャルな自然物」が蔓延する現代において、作家性はいかにして成立するかの問いがたてられました。次に千葉氏により、ドゥルーズ、デリダ、バルトの絵画論を通して、ジャンル/制度に対する抵抗の方法が検証されました(「ユーモアの弱度――ドゥルーズ、デリダ、バルトと絵画」)。最後に平倉氏が、「イメージの読解」という観点からロバート・ラウシェンバーグの諸作品を分析し、知覚と行為の分裂、複数のフレームと身体の態勢の分割の関係について論じました。ディスカッションでは、批評/創造において、反復/同一性/類似性のうちに見出しうる差異についてが焦点となりました。

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レクチャラー/テーマ
[写真左から]
福嶋亮大|神話論理と「ヴァーチャルな自然物」――ロラン・バルトを中心に
平倉圭|ラウシェンバーグ:差分の布置

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≫関連企画 批評の現在 シンポジウム
[12月23日13:00-|東京国立近代美術館 講堂]