2003.06.22 田口卓臣

ディドロ・ダランベール、『百科全書』の対抗運動〈2〉

諸知識の系統樹 vs 参照のネットワーク

2.

 『百科全書』の構成は本文17巻、図版11巻[*5]。本文の項目はアルファベット順に並べられている。つまりおびただしい分量のテクストが、必ずしも内容的連関を持たない順序で配列されているのだ。もしこのままの状態で放置しておけば、それは単にばらばらの情報の無為な寄せ集めと化してしまう可能性もある。理論的な認識や学問・技芸の知識が真に有用であるためには、それらを相互に接合させる鎖の存在を提示する必要がある。実際「百科全書Encyclopédie」とは、ディドロの「趣意書Prospectus」の冒頭にもあるように、「諸々の知の連鎖enchaînement des sciences」のことを意味しているのだ。この「鎖chaîne」は主に二つのベクトルにしたがって組織されている。

 第一に、諸々の知識の総体を統合するベクトル。ダランベールが「序論Discours préliminaire」において、『ノヴム・オルガヌム』や『学問の進歩』を遺したイギリス経験主義者フランシス・ベーコンの哲学に触れながら提示する、諸知識の総体的関係を描いた系統樹がそれである。これは、ベーコン当人が「人間精神の進歩」という枠組みのもとに作成した諸知識の系統樹をモデルとしている。読者は本文の項目を読む時、この壮大な系統樹を手がかりに、自分の獲得しつつある情報の位階を認識することができる。「項目の表題となる語のあとには通常その項目が所属する学問の名前が置かれている」ので、読者が混乱することはない。例えばディドロの執筆した項目「技芸Art」には、表題の後に「悟性Entendement、記憶Mémoire、自然史Histoire de la nature、応用自然史Histoire de la nature employée、技芸Art」と記されている。これは、この項目が系統樹の中で占める位置、つまり「百科全書的位階」を示しているのだ。

 しかしダランベールは同時に「万人の好みにあうような百科全書の系統樹をつくることの不可能性」を言明する。「哲学者」の目から統合された百科全書的系統樹は、ディドロやダランベールたち自身にとっては自明のものかもしれないが、全く趣味の異なる個人にとってはそうはいかないからだ。そこで、知識の総合的な秩序付けとは異なる第二のベクトル、つまり諸項目の本文内に振りまかれた参照記号のネットワークが組織される。このネットワーキングによって志向されているのは現代風にいえばインターネットの「リンク」にも似た、諸知識のオルタナティヴな「鎖」の開示である。読者には参照記号を手がかりとして、秩序だったツリーの中の一要素として階層づけるだけでは決して把捉することのできないような、情報の網の目をたぐり寄せていく自由が与えられる。無論、興味が湧かなければ参照する必要はない。読者はどこから読み始めてもよいし、どこで読み終えてもよい。逆に言えば、各々の関心をもってひとたび『百科全書』の内部に迷い込めば、いくらでもその知の迷宮の中を彷徨(さまよ)い歩き続けることができる。そしてその旅の果てに、書物の中に無節操に散りばめられた情報を自分独自の仕方で再構成し、それまでは想像することもなかった発想を獲得することが可能となるかもしれないのだ。

 具体的に見てみよう。例えば項目「四旬節Carême」は、このキリスト教的制度の歴史と変遷を中立的な筆致で記述しているだけだ。しかし参照記号の導くままに項目「批判Critique」(マルモンテル筆)へと読み進む時、読者はこの制度を支えるキリスト教の権威と伝統が徹底的にこきおろされるのを目の当たりにする。ここからさらに参照記号のネットワークを追跡し、ディドロの手による項目「スキティアの子羊草Agnus Scythicus」にたどりつく時、ひとはそもそも歴史的事実という概念自体の孕む問題性に突き当たることになる。というのもこの項目においては、アリストテレスの『弁論術』における体系化をひとつの区切りとして幾度となく反復された(例えばポール・ロワイヤル論理学やピエール・ベール)、蓋然性の問題に関する原理的考察がなされているからだ。ディドロは事実認識について、とりわけ伝聞知の観点から取り上げている。彼はアリストテレス的な分類法に従って、証言の「真実らしさ」と証言者の「権威」という二つの尺度を提起し、この二要素は互いに反比例の関係にあると言う。つまり伝達内容の「真実らしさ」が減れば減る程、「権威」ある者の証言が必要となるということだ。例えば、足・爪・頭があるという形状の点でも、もこもことした毛の生えている点でも子羊にそっくりの植物(スキティアの子羊草)が実在すると報告した植物学者たちの証言は、真実らしさを著しく欠いたものだった。しかし彼らがその道の権威であったために、その証言は長らく「事実」として受け入れられてきたのだとディドロは分析する。このテクストを読むことを通じて、ひとは史実と呼ばれるものの危うさに思い当たらないだろうか。なぜなら、キリスト教の示す聖史のみならずそもそも史実一般が伝聞知の集積であるのだから[*6]

 一方で体系的な統合を目指しながら、一方ではその統合によって立ち現れる世界像とはまるで異なった認識の連鎖を、なかば読者の裁量に委ねる形で忍び込ませること。この一見矛盾しているようにも見える二方向性を巧妙にとらえた比喩が、ダランベールの「序論」の中に見出される。『百科全書』は一種の世界地図のようなものだと彼は言うのだ。いささか長いが引用してみよう。

 「哲学者は、非常に高い視点から、主要な学問と技芸とを同時に見渡すことができる。自分の考察対象やそれらの対象に加えうる自分の操作を一目で見ることができる。人間知識の一般的部門と、それらを分離したり結合したりする諸々の論点とを見分けることができる。さらに時には、それらの部門や論点を関係づける秘密の通路をかいま見ることさえできるのだ。それは一種の世界地図である。この地図は、主要な国々、その国々の位置と相互的な依存関係を示さなければならないし、ある国から他の国へと直通する道を示さなければならない。その道は、しばしば千の障害物によって遮断されている。これらの障害物はそれぞれの国において、その国の住民や旅行者にしか知られ得ないものであり、非常に詳細な個別的な地図の中でしか表示され得ないであろう。これらの個別的な地図がわれわれの『百科全書』のひとつひとつの項目にあたるのであり、そして系統樹あるいは体系が個別的な地図をまとめる世界全図となるであろう。// しかし、私たちが住むこの地球の全体的な地図においては、諸々の対象は、多かれ少なかれ接近させられているし、またその地図を作製する地理学者によって据えられる視点の位置に応じて異なる眺めを示すものだ。同様に、百科全書的系統樹の形も、学芸の世界を見渡すためにとられる視点に依存することになるだろう。それゆえ、様々な投影法の世界地図と同じ数だけ、人間知識の様々な体系を想像することができるのだ。」

 全人類的知識の総体を仮に地球に例えるとするならば、その地球そのものを完全に把捉することは不可能である。しかしひとは、少なくともひとそれぞれのしかたで「世界地図」を描くことができる。言ってみれば、読者と同じ数の「世界地図」が創出されることになる。勿論それらの「世界地図」は、それが地球自体でない以上必ずやどこかに歪みを孕んだものとなるだろう。実際、百科全書的系統樹として提示されている知識のツリー自体、あくまでも「哲学者」の視点から作成されたものに過ぎない。そしてそうである以上、当然何らかの偏りを免れることができないとダランベールは明記する。この認識は無論ディドロにも共有されている。例えばそれは彼の手による項目「百科全書」の中で全く同様の比喩が使用されている事実にも見て取れるし、また「われわれの判断の多様性」という短いエッセーを読んでも明白である。ディドロはそのエッセーで、人間の認識の多様性とは、到達されるべき理念であるよりも前に、そもそも避けることのできない事態であると説いているのだ。この種の多様性は、諸個人の描く「世界地図」が、それぞれの内部に歪みや誤謬を内包せざるを得ないということから必然的に帰結している[*7]。ディドロとダランベールはこの人間的認識の成立条件をポジティヴに捉え直し、もって誤謬への権利とでもいうべきものを打ち立てようとしているのだ。

 この懐疑主義的な態度は、異なる意見を持った者との共存を認める寛容toléranceの精神に結びつく。しかもそのありようは、寛容を認めることのできない不寛容の精神に対してさえ寛容に振る舞うということ、つまり論敵の存在自体を暴力や独断主義によって抹殺しようとは決してしないことを前提としている。無論、彼らが不寛容に対する断固とした論争を挑んだことは言うまでもない。わけても人間のミニマルな生存に対して政治や言論の権力が暴力的に行使される時、ディドロたちの批判は徹底して非妥協的なものとなった(例えば、黒人奴隷制度の批判)。要するに、誤謬への権利は、彼らにとっては誤謬(自他の誤謬ともに)の矯正と何ら矛盾しなかったのだ。

 以上のような態度表明は、諸学問に対するディドロとダランベールのスタンス(歴史認識をも含めた意味での)と関わっている。ダランベールによれば、ルネサンスのユマニストたちが切り開いた考証学的博識の伝統の後には、人間精神の進歩が進むに連れて雄弁・劇作・詩といった文学のジャンルが隆盛となった[*8]。そしてそれらの後を継いだのが哲学なのだと結論される。その意味で『百科全書』は哲学的探究の書物である。これはしかし、現代の私たちが「哲学」という語から想像しがちな、思弁的な認識の優位・そこに含意される独断主義などの宣告を意味するわけではない。何よりディドロの書いた様々な哲学関連の項目(例えば「折衷主義Éclectisme」など)は、ユマニスト的文献批判の伝統を引き継いだヤコブ・ブルッカー『哲学の批判的歴史』、ピエール・ベール『歴史・批評辞典』、スピノザ『神学・政治論』[*9]などのもたらした知見を、存分に利用している。

 専門家の間でのみ共有されるような博識をそれ自体としては肯定せず、その成果をより広く共有されうる情報形態へと変換し、もってそれら再編成された知識を公衆の間で流通させること。こうした知的スタンスこそが、百科全書的哲学と名指されるべきものなのである。そしてこの「哲学」は、以上のような情報公開への志向を通じて、同時代の社会的実践を支えるイデオロギーに対して批判の運動を組織し、新たな実践の創造へとつなげていったのだ。

 カント以降のドイツ哲学の文章を知る私たちにとって、18世紀の思想の文章が一見粗雑に映ることは否めない。なぜなら18世紀哲学は、明瞭な体系の中で理論を示すというレベルにおいては脆弱なものだったからだ。しかし、次の事実を見逃しては片手落ちになるだろう。つまりその「哲学」が、スコラ哲学からデカルト、ホッブズ、スピノザ、ライプニッツ、マルブランシュら17世紀の大哲学者へと至る様々な理論的体系を組み替え、交配し、社会的な実践と突き合わせる言語行為であったこと、またそうした言説の組織の仕方においては一貫していたことなど、である。百科全書的哲学とは、それまでの知に対するひとつの実践的・歴史的応答だったのだ。

*5 『百科全書』の図版については次の目録を参照。R. Schwab and W. Rex, Inventory of the Encyclopedie plates, The Voltaire Foundation, 1984, «Studies on Voltaire and the eighteenth century», vol. 223.

*6 事実認識というテーマに関しては、「権威」としての『聖書』に対する「信」という観点からポール・ロワイヤルとパスカルの哲学を分析した次の書物がある。塩川徹也『虹と秘蹟――パスカル<見えないものの認識>』岩波書店、1993年。なお、ディドロの蓋然性に関する分析は次のような問いを含意しているように思われる。「権威」の批判が独断主義に陥らぬようにするにはどうすればいいのか、あるいは「権威」(そして「真実らしさ」)をいかにして基礎付けることができるのか、そもそも基礎付けることなどできるのか、といった問いである。しかしそうした問いを発する一方で、ディドロは即座に「権威」を破棄してしまうというわけでもなかった。

*7 「世界地図」のテーマに関しては、Herbert Dieckmann, Cinq Leçons sur Diderot, Droz Librairie, Genève, 1959, pp.46-8.を参照。

*8 ダランベールは隆盛となった「文学」の例として、マレルブの詩、ゲー・ド・バルザックの散文、コルネイユやラシーヌの悲劇、モリエールの喜劇、ラ・フォンテーヌの寓話、ボシュエの雄弁術、ボワローの『詩法』などを挙げている。

*9 『百科全書』以外では例えば『懐疑主義者の散歩』『哲学断想』などの著作の中で、ディドロはスピノザの聖書批判の成果を取り入れている。
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