二次元の画面に引かれた三本の線、この三本の線(に暗示された四角形)が絵画を単なる平面――四角形から開放する。ロバート・マザウェルの『オープン・シリーズ』は、その名の通り、まさに壁に窓がくり貫かれ(オープンし)つつある状態を示しているように見える。だが窓はまだ開いていない。三本の線による四角形は未完結(オープン)なままだ。いまだ開かれていない未完結な窓。タイトルに使われる「オープン」という言葉はこの絵画が置かれたアンチノミーをこそ示す。いまだ開かれない/開かれた四角形。いまだ窓でない窓のデッサン*1
よく言われるように、長らく絵画にとって窓がモデルであったとしたら、絵画が実現しようとしていたのは窓の向こうに拡がる空間だったのか、あるいは窓それ自体であったのか。「画家の第一の仕事は、平たい表面に三次元空間を彫りぬくことであった。人びとはこの表面を舞台の前舞台を見るような気持で見た。近代主義はこの舞台をしだいに浅くして、ついに今日では背景と幕が同じになり、画家が仕事をするために残されたすべてとなってしまった」*2。グリンバーグはこう言うが、掘り抜かれる平面は厚さをもっている。たとえ、こちらから見えるのがその表面――平面のみであろうと、浅いとは限らない。つまり浅さ/深さは平面に帰属しない。ゆえに、われわれは極薄のカーテンにさえ厚さを感じてしまう(鉄のカーテンという形容を想起せよ)。厚さを持たない平面とはどこにあるか。
『オープン・シリーズ』のひとつ、《The Sienna Wall》(1972-73)(図1)において、三本の線に穿たれ境界づけられるのみで示された矩形は、窓枠の厚さ分の陰影を含んで描かれる*3。ちょうど、マティスが《コリウールのフランス窓》(1914)(図2)で、開かれた左側の窓に、それが窓であるとかろうじて察知させる桟の罫線を引いたように。そしてマティスが《コリウールのフランス窓》を黒い色面で塞いでしまったように、この窓の内部/向こうもまた、壁と同色の色面で満たされる。窓は壁の向こうとこちら側を繋ぎ隔てる、向こうでもこちらでもない物質の抵抗であり、いかに透明で薄くとも存在する、非物質化された厚さの謂いだった。壁の色面が浸透する場所、たしかにそれは窓だった*4

「モダニズムの絵画が向かった平面性とは決して全くの平面になることではありえないのである 」*5。つまり絵画は平面であり、なおその平面は平面でない。グリンバーグは自らの論理が孕んだこの語義矛盾を排する解決として、「再現つまり図示することそれ自体」を示唆する抽象的な徴(筆触や色面)に注目し「ホームレス・リプレゼンテーション(帰する場所なき再現性)」と名付けた*6。それは何かを再現しているが、それが何であるのかいまだ不明である。こうしてかろうじて絵画は再現に堕すことを回避し、絵画であること、その二次元性に留まる。
しかし、マザウェルのオープン・シリーズは、こうしたアイロニカルな方法に似て非なるものである。それは、むしろこう宣言する。「これは文字通りの家を再現したホーム・リプレゼンテーション(!)なのだ」。事実マザウェルの画面は、彼がたえずインスパイアされ続けてきたメキシコ住宅の壁、そのスタッコ仕上げそのものである。「窓はこの辺に空けようか」と大工は壁に徴をつける*7
窓の向こうの空間をイリュージョンとして描きだすこともなく、また、絵のこちら側の空間に含まれる物体としての壁(平面)に堕すこともなく、絵画を束縛してきた窓/壁という問いはここで宙吊りにされる。知覚が全面的に行動へと開かれるのは、まだ開いていない、これから通過すべき窓がそこにあるゆえにである*8 *9

*1 1967年からはじまる『オープン・シリーズ』は、マザウェルが、ある日アトリエで立て掛けられた大きな縦長のキャンバスの上にさらに重ねて建て掛けられた小さな縦長のキャンバスを偶然に発見し(「プロポーション」を発見したと彼は言う)大きなキャンバスにその小さなキャンバスを木炭で縁取ったことによる。四角形の中(上あるいは向こう)のもう一つの四角形。マザウェルははじめそれをドアに見立て、次に逆さにひっくり返し、窓に見立てた。(エミール・ディ・アントニオ/ミッチ・タックマン『現代美術は語る ニューヨーク・1940-1970』林道郎訳、青土社、1997、p.118)
*2 クレメント・グリンバーグ「抽象的・再現的・その他」瀬木慎一訳、『近代芸術と文化』紀伊國屋書店、1965、pp.159-160
*3 バーネット・ニューマン(1905-1970)の、垂直線「ジップ」が、色面を分かつ線であると同時に空間を拡張する効果も参照されたい。
*4 マザウェルが最も尊敬する画家がマティスであったことは周知の事実である。(前掲書『現代美術は語る』p.77を参照)
*5 Clement Greenberg “Modernist Painting”, 1966 (邦訳は筆者)
*6 Clement Greenberg “Modernist Painting”, 1966 (邦訳「モダニズムの絵画」川田都樹子・藤枝晃雄訳、『モダニズムのハード・コア』太田出版、1995、pp.44-51)
*7 『オープン・シリーズ』のひとつ《Mexican Window》(1974)(図3)を参照。スタッコとは、外壁塗装に用いる漆喰の呼称。
*8 マザウェルは『Open』という単語を、シュルレアリストの自由連想の態度をもって使用し、たとえば辞書上での『Open』という単語に連なる、その変形群それ自体を詩として見るというヴィジョンをも持っていた。「『ランダムハウス英語辞典』<完全版>には、『オープン』という単語のもとに82個の見出しがあり、それは、詩であるかのように行を分かたれて置かれているようでした。私にとってこれら見出しの入り口は、あらゆる種類の連想やイメージによって満たされているのです」(『Robert Motherwell』Harry N. Abrams, Inc., Publishers, New York, 1982, p.163)
*9 マザウェルの『オープン・シリーズ』はマティスとともに当然の如く、デュシャンの《Fresh Widow(塞がれた新鮮な窓/未亡人)》(1920)を想起させる。ある美術家名鑑には以下のように紹介される。「マザウェル、ロバート MOTHERWELL, Robert(1915-)アメリカの画家、理論家。抽象表現主義の先駆者。亡命のシュルレアリストたちと親交をもち、デュシャンの提案と協力で、ダダに関する本を一九五一年に編集出版している。抽象表現主義の作家たちが概してデュシャンに無関心であったのに反し、マザウェルだけはときどき食事をともにするような親しい関係にあった」(梅宮典子・平芳幸浩「デュシャン事典」、『美術手帖』1998.8、美術出版社、p.106)

1978-1979 | 45.7×90.4cm