2005.11.29 岡崎乾二郎

現代における劇場の可能性
──インタビュー〈1〉

初出:舞台芸術総合フリーペーパー『ちゃぶだい』(リニューアル1号) 2005/01/18
1.

近代劇場の形成

──今日は現代における劇場の可能性から、具体的にこれから大阪で催される仮設劇場について話をしていただく予定ですが、まずは劇場という制度の成り立ちについて美術の側から見た視点で伺いたいと思います。美術館という制度が出来たのは近代に入ってからですが、舞台の劇場史ということを考えたら、ギリシャを含めた劇場の歴史の方がずっと古い。その辺りから同質的な部分と違いについて簡単に話してもらえますか。

【岡崎】 一般的に、オペラなどの成立に代表されるようなプロセニアム型の劇場スタイルが定着してくるのは、バロック以降つまり17世紀以降だと言われているんじゃないでしょうか。正面に舞台があって観客がそれに向かって集中し鑑賞する、音楽でいえば、指揮者にオーケストラもまた観客の関心も集中するという形式が成熟するのは18世紀以降。いずれにせよ、現在、見られる劇場の基本的スタイルはやはり近代以降生み出されてきたものなのではないですか。

──プロセニアムアーチ(額縁舞台)の中を観客は見るという制度が確立されたということですね。

【岡崎】 まずは観客が舞台と対峙するというよりは、舞台の仮の焦点として指揮者であったり、あるいは特権的な鑑賞者である王がいて、観客は王の反応を見て、自分たちの舞台へのリアクションを決める。そういう段階が17世紀にはじまった。王が笑えば皆も笑うとか、当時の劇場では、そういう応答だったと言われていますね。プロセニアム型の劇場装置というのは、このように観客のバラバラの反応を間接化することで統制し、見る側と見られる側に分けるという装置であった。やがて王が不在とされても、劇場に座る観客は舞台で起こる出来事に直接対応することなく、安全なる距離をもってそれを鑑賞する、という切断が常態化するわけでしょう。これは美術の場合でいえば美術館という装置ができるのと平行している。美術館に置かれるコレクションはかってはそれを集めた王侯貴族などの視点によって束ねられていた。われわれはそのコレクションそれ自体を見るのではなく、それを集めた王侯貴族のそれぞれの視点を見ていたわけです。それが中心を失い、美術館ができる。しかし、モノを束ねる中心的な視線を失ったはずの美術館でもわれわれは直接、ものを眺めているわけではない。今度はそこに公認され集められたという歴史的事実、ひいては公共的な権威というものを眺めているわけです。むしろそこに集められたモノはそれぞれが本来属するコンテクストからはぎ取られてきたものですから、それを直接鑑賞しようにも、視点が安定しないわけです。観客とそのモノを結びつける関係が安定しない。
 その不安定さこそが、誰のものでもない価値という公的権威を裏付ける効果であった。そうした変化はフランスの市民革命にもちろん対応して起こったものですね。
 こうして見る側と見られる側が断絶というか、分離され、近代的な劇場や美術館はできた。これはいわば一つのメディアとして、そこに展示されること、演じられることは、すでに誰によっても見られるべきもの、というか、すでに誰にも見られたもの、公認されたものだという承認が先取りされていることになる。つまり王ではなく、あらかじめ市民によって認知されたものだ、という先取りされた事実が観客の視点を組織することになる。こういう先取りされた公的視点によって観客の視点が組織されなかったら、美術館は成立しない。これは演劇も同じです。美術品がある以前に、これは美術品であり、見るべきものだ、という態度を統制する仕掛けが組み込まれている。それが近代の装置です。

──近代の視点という装置が形成されるということに関しては、並行的な現象が起こったわけですね。ただ、それに対する運動もはるか後になりますが出てきます。1920年代、60年代のアヴァンギャルド運動はその際たる例でしょうし、演劇ならば劇場の自明性への問いがアングラ期になると、テントや市外劇という形で現れてきます。それは美術に限らずあらゆるジャンルで起こったものだと思いますが、美術としてはどのような形でアンチ・ムーブメントは起きたのでしょうか。

【岡崎】 どんなジャンルであれ共通していることですが、まずはこうして個々の観客を束ねる装置、視点というよりも、むしろ見る側の心理的な態度まで含めて、主体の意識を統制、規制する装置として働いている。という意味で劇場建築なんでいいますが、実際はフィジカル(物理的)な構築物である前に、もっと重要なのは、観客と舞台が分離させる仕組みがいかに成立するか、心理的な機構、統制装置としてあることです。立派な建築を作っても、それが舞台として機能するかどうかわからない。対して、たとえば極端に言えば、町中を散歩していた王さまが突然立ち止まり、民衆がしている喧嘩を見始めたら、他の皆も、それを見物しはじめ、それはそのまま舞台、芝居となってしまうわけです。劇場を組織するとは、どこでも舞台になるとか、物理的に壊せばいいということではなく、こういう鑑賞者と見られる側の分離としての舞台がどこで成立するかを考えなくてはならない。こうした視線を組織する場として舞台はあるのです。
 だから、百科全書でダランベールが書いた劇場建設の奨励をルソーが『演劇について』で痛烈に批判して主張したことは、観客が集まった時に成立する場こそが演劇だということですね。権威として成立したモデルを持ってくるのでなく、民衆たちの側から、劇場というハコでなく日常の雑踏から自発的にそうした場が組み立てられるものだと。ここでルソーは、当然のように観客と舞台が分離した劇場ではなく、人々のそれぞれてんでばらばらの日常が、そこで束ねられ、共同性が生まれてくる契機として演劇を考えている。
 彼は批判しているのは当然、観客と演劇が分離したプロセニアムの劇場制度でしょうが、けれど日常から分離した演劇が生成してくるということ自体を批判しているわけではないんですね。演劇をモデルにして、むしろ共同性というものを、日常の視点から飛翔して舞台のように瞬間に成立する、さまざまな視点、さまざまな主体の欲望や意志が束ねられる虚構として考えているのが重要だと思います。ふだんは、民衆はバラバラなわけです。芝居のように瞬間的に共同体が成立する。このときはじめてコミュニケイションの場が成立する。こうした意味でいえばフランス革命後に、王を失って非実体的な中心性をもった劇場や美術館システムが成立していくのと同時平行して、その制度としてのフィジカルな側面を批判し、場所も物理的条件もテンタティブにオルタナティブな美術館や劇場を組織していこうとした人が沢山いたのも当然ですね。美術でいえばクールベみたいに自分の美術館を作ってしまったりする。
 オフ・ミュージアムという1960年代の動向もこういう意味では近代以降繰り返されてきた動きのひとつと見ることはできる。よく美術館でミニマルアートやアンチフォーマルの作品を見た後、街に出るとポストやら土管やら高速道路やら、なんでもかんでも芸術作品に見えてしまうという転倒がよくいわれますね。日常はミニマルやらポップやらの芸術だらけだと。けれど、これは先程の街角を散歩する王様と同じ効果を美術館が果たしていることの証左でしかない。日常=芸術になったわけではない。これこそが一種の劇場としての美術館の効果です。こうした意味で美術批評家のマイケル・フリードは、ミニマルアートをシアトリカル(劇的)な作品だといって批判しました。美術館とは、たとえ何も作品がなくても、観客がそこに、何かオブジェクトウッド=対象らしきものがあると見させてしまう、そうした制度だというわけです。演劇でいっても、舞台装置も何もない舞台であっても、観客にとっては幕さえあけば、そこに何もなくても舞台があると見てしまうでしょ。たとえばピナ・バウシュの舞台みたいに。屋外でやろうと廃墟でやろうと劇場に見えたら、観客は安心して、かっこいいとか崇高だとか鑑賞しはじめるわけです。そういう仕組みに依存して成立している作品、たとえばミニマルアートをフリードは批判したんですね。つきつめれば美術館という制度自体を批判していたわけです。というわけで、オフ・ミュージアムといっても、ただ物理的に美術館の外でやるということよりも、それこそサイコロジカルにこうした制度の外にでることの方が重要なわけです。美術館あるいは劇場という心理的な統制装置=制度に依存しない形で芸術を成立させることの方が重要なのです。シアトリカル批判という形で、フリードは美術館という制度の外もしくは制度化された、見るという行為の外で成立しうる美術作品のあり方を考えている。フリードというのは意外と美術館なしで成立する美術、劇場なしで成立する劇場を考えていたことになる。

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