佐藤泉|二つの言葉、二つのこころ――森崎和江のことばを読む
10月29日に「ことばのpicture books講座 Lost Modern Girls編」(講師=ぱくきょんみ)にて、ゲストに佐藤泉氏(日本近代現代文学・批評)をお招きし、公開レクチャーが行なわれました。
日本文学からモダンガールを考察する視点として、日本の植民地支配下の朝鮮で生まれた森崎和江の言葉、その日本語表現とはどういうものか、という問いが軸に据えられました。それは一種のバラバラな感覚とつながっていくような近代の体験と重なるのではないか、という仮説から、彼女の様々な時期の言葉と共にモダンガールの視点を語る試みがなされました。
彼女が17歳まで育った故郷と呼びきれない植民地としての朝鮮、留学中に敗戦をむかえた故郷のはずの日本、その後移り住んだ九州・筑豊、そこで出会った女炭鉱夫たち。谷川雁、石牟礼道子らと雑誌「サークル村」で実現しようとした集団的文化創造、共同創作としての聞き書き。その最中も、国交が途絶え20年の朝鮮の地との断絶。自分自身の鏡として認識した在日韓国人2世への思いと、1968年金嬉老事件で感じた「人質」としての自分。国交が回復し、再び訪れた朝鮮で感じた「私には顔がない」「鋳型のように作られた私」という感覚。
その中で、植民地にとっての、加害者・被害者の立ち位置のみでは語れない「人質」の意識や、植民地・朝鮮の風景が自分の原風景としてある事が、日本語表現者の森崎和江にとって、イメージのねじれを招くことになり、その様々に現れるねじれについて考察されました。
植民地で育ったが故に、純粋なモダンガール思想が育つに至り、また同時に、それだけでは自分の「生」の実感に表現を与える事ができないと、欠落を意識していた森崎和江。そこから、単独の我・個人の属性を剥がすのみに向かう精神的な難しさや、モダンガール以前の女性の象徴である「属性としての女性」だけでもない、それらとは別の通路の必要性を考えていた事が指摘されました。
近代になって歴史上に現れた、女性や労働者階級の登場、経済的自立が難しかった当時の女性が、自己実現の手段として選ぶ自由恋愛の破綻にも触れられ、森崎和江が取り組んだ女炭鉱夫の聞き書きについて、坑夫・山本作兵衛の炭鉱内の記録絵を見ながら話が及びました。森崎和江は、女炭鉱夫の過酷で死と隣り合わせの労働の中に、抽象的なモダンガール個人ではなく、無限の孤立の中で自分自身を把握し、共同作業をする、人として愛し合う、独特な個と共同性、愛と労働が分裂しないような経験を感じ取っていたのではないかと述べられました。