2003.08.14 武田将明

煙草と聖書〈1〉

『ロビンソン・クルーソー』における欲望の問題

【付記】
この作品は、2002年度『新潮』新人賞評論部門で最終候補作品となった原稿に、加筆・訂正したものです。原稿の無断転載を禁止します。
アリストテレスやありとあらゆる哲学が何と言おうとも、煙草に匹敵するものなんてありゃしない。(モリエール『ドン・ジュアン』)
1.

序――欲望と悪しき運命

私たちは『ロビンソン・クルーソー』の物語を解釈するつもりはない。のちに明らかになるように、『ロビンソン・クルーソー』に固有の物語など存在しないし、物語を探ること自体、進んで罠にはまりに行くようなものだからだ。ここで取り上げるのは、この小説世界を動かしている動力、すなわち主人公の欲望についてである。それはすでに最初のページに顔を出している。

一家の三男で、とくに職業訓練を受けなかったので、私はとても早い時期から好きなように放浪したい思いでいっぱいだった。父はかなり高齢だったが、家庭と地元の無料の学校でそれなりの教育を与えてくれ、私が法律の道に進むことを望んでいた。しかし私は航海に出ないことには気がすまなかったし、こうした私の性癖は父の意思、いや命令に逆らい、母や友人のたび重なる哀願や説得にも逆らうことがはなはだしかったので、これから私に降りかかる悲惨な生へと急行させるこの生来の傾向には何か宿命的なものがあるらしかった。

これに対し、「賢く厳粛な」父は、結局のところ中流階級の堅実な生き方がなによりもすぐれているというブルジョワ的教訓によって主人公を家に引きとめようとするが功を奏さず、彼は家を飛び出し船乗りになる。クルーソーの欲望の宿命性を強調するかのように、作者は彼に度重なる試練を与えている。ハルからロンドンへと出る最初の航海において、早くもクルーソーは二度の嵐に遭遇する。特に二度目の嵐では船が沈没し、辛うじて命を助けられる。しかし、

悪しき運命はもはや抗うことのできない執拗さで私を駆り立てるのだった。私の理性とより正しい分別が家に帰れと叫ぶのを何度も聞いたけれども、そうする力が私にはなかった。これをどう呼ぶべきなのか分からない。それがひそかに世を支配する神意で、破滅を目の前にしているにもかかわらず、我々を自らの破滅の手先になるように急かし、かくして我々は眼を見開いたまま、まっしぐらに破滅に突き進むのだと主張するつもりもない。確かに、神の定めた避けがたい悲惨というほかはないものが付きまとい、そこから私は逃れることができず、私が心の底で行っていた穏健な推論と説得に逆らい、最初の企図で遭遇した二度ものかくも明らかな教訓にも逆らって、私を前へと押しやったのかも知れなかったが。

逡巡する主人公の思索に、ピューリタン的な予定説が暗い影を落としていることを指摘するのは、作者デフォーが広義のピューリタンだったことを考えても、不当ではないだろう。ある者は神意によって救われることを定められており、ある者は破滅を宿命づけられている。もちろん、人間が神意を知ることは不可能だから、自分が祝福された者か呪われた者かは、最後の審判のときまで分からない。上記の箇所以外でも、クルーソーはしばしば自分が呪われた者の側にいるかもしれないという不安にさいなまれている。
しばしばピューリタン文学の系譜に入れられる『ロビンソン・クルーソー』だが、私たちはピューリタニズム、あるいはそのイギリス文学への影響について踏み込むつもりはない。ここでは、むしろピューリタン文学という枠組みを超えた『ロビンソン・クルーソー』の特異性を際立たせるため、ピューリタン散文文学の嚆矢とされるジョン・バンヤンの『天路歴程』(第一部1678、第二部1684。私たちの議論では第一部のみを扱っている)を少し参照してみよう。両者の冒頭には似た要素が見られる。堕落した町が、じきに神の業火によって焼き払われることを信じた『天路歴程』の主人公は、家族に警告するが、反応は冷ややかである。「彼の家族はいたく驚愕した。彼がいま言ったことが真実だと信じたからではなく、何らかの狂疾が彼の脳を冒していると思ったからだった。(……)家族は彼を嗤い、たしなめ、あるいはほとんど無視した。」理解を得られないと知るや、彼は一人で町を飛び出す。「彼は走りはじめた。自宅からさほど離れないうちに、彼の妻と子供たちはそれに気付き、戻ってくるようにと後ろから叫びだした。しかし彼は指で耳を塞ぎ、「生命、生命、永遠の生命」と叫びながら走り続けた。」『ロビンソン・クルーソー』と類似しているのは、主人公が家族の制止を振り切って一人で家を飛び出す点、さらには彼の行動が個人の意思を超えた命令、神意と呼びうる何かにもとづいているという点である。この共通点に、個人的な信仰を重視するピューリタニズムの傾向を見出すのは容易である。 しかしながら、『天路歴程』と『ロビンソン・クルーソー』には歴然とした差異が存在する。『天路歴程』の主人公は、神の声という道徳的な要請と幸福な家庭生活という人倫の道とのあいだで引き裂かれつつも、より善なるものとして前者を選んでいる。このような善悪のはっきりした区別は、『ロビンソン・クルーソー』の主人公の心理にはみられない。クルーソーが航海熱にとり憑かれているのは、それを絶対的な善だと信じているからではない。また、彼は良心の呵責に責められるが、おのれの不可解な運命を絶対的な悪であると断じることもできない。この違いは、俗人デフォーが説教師バンヤンよりも宗教について理解が不足していることを示すのではない。むしろデフォーは、人倫と道徳とのバンヤン的な区別が覆い隠してしまう何かを意識していればこそ、あえて善悪について判断を停止しているのだ。その何かこそ欲望の問題にほかならない。
クルーソーの航海熱において注目すべきは、それがほとんど計画性をもたないことである。なるほどクルーソーは彼の欲望を極端な利益追求から説明しようとはする。「乱暴で混乱した立身出世したいという考え」、「自然な成り行きよりも速く出世したいという性急で極端な欲望」……。しかし彼の一攫千金への願いは、具体的な根拠を著しく欠いている。十七世紀末から十八世紀初頭のイングランドでは、企画屋と呼ばれる者が多数輩出し、「自然な成り行きよりも速く」巨利を得ようと血眼になっていた。そうした企画のひとつとして、たとえばイングランド銀行が設立(1694)され、のちに南海泡沫事件(1720)を引き起こす南海会社も創業(1711)されたのだった。なかにはこんなものもあった。「ウィリアム・フィップス卿は、陸地から遠く離れた公海で、四十年以上も前に沈んだ古いスペイン船から、八リールの銀貨がおよそ二十万ポンド分入った積荷を釣り上げ、持ち帰ったのである。」この驚くべき企画の成功を伝える文章(『企画論』1697年)は、かつてダニエル・デフォーその人が書いたものである。彼の小説の主人公は、このような企画屋ではない。企画屋は、成功しようが失敗しようが、彼らの企画を事前に立案し、計画的に行動しようと試みる。しかしクルーソーには具体的な目標はあらかじめ定められていないし、彼の行動は衝動的である。つまり、彼は自分の欲望を十分に対象化していない。だからそれは、彼自身の意思を超えた逆らいがたい力として感じられる。しかしながら、それを彼ではなく神の意思であると説明することにも、彼は違和感をもっている。彼の欲望は彼個人にも還元できなければ、超越的な存在にも還元できない。いわば個人と神とのあいだで、それは宙吊りにされている。人間のものか神のものか分からない欲望に対して、善悪の判断をすることはできない。だから、呪われた者の側にいるかも知れない、というクルーソーの不安の本質は、個人と神との境界を不鮮明にすることで善悪の問題を失効せしめ、彼をアモラル(道徳外的)な世界へと曳きこむ不可解な欲望にあるというべきなのだ。
これから私たちは、この不可解な欲望を理解するようにつとめるが、その前に、もうひとつの不可解な問題を解き明かさねばならない。すなわち、ダニエル・デフォーという文士が『ロビンソン・クルーソー』という小説を書いたのはなぜか、という問題である。『ロビンソン・クルーソー』執筆にいたるデフォーの作家としての志向は、直接的に主人公クルーソーの欲望を方向づけているようなのだ。それにとどまらず、『ロビンソン・クルーソー』に対して贈られてきた名誉・不名誉な称号、近代小説の祖とか、近代的経済人の原型、あるいは帝国主義の先駆といった称号がすべて作為的な誤読にもとづいていることも、おなじ手続きのなかから明らかになるはずである。その結果として、私たちは、あのとりつく島のない問題、「小説とは何か」という問題に対して、答えではないにせよ、新しい問いの立て方を提案することになるだろう。これが私たちの企画案というわけだが、企画への信頼を得るために、まず、デフォーがなぜ『ロビンソン・クルーソー』を書いたのかという問題について、それが「不可解」であると評された理由を示すところからはじめるべきだろう。
あるデータを紹介しよう。ダニエル・デフォー(1660〜1731)はおよそ七十年の生涯で五百以上の作品を書いたといわれる。近年、さすがに五百はないだろうと書誌的な問題を再検討する学者があらわれたが、「疑わしきは外す」という姿勢で取り組んだ彼らも、およそ三百作はデフォーの真作と認めたのである(P. N.ファーバンク、W. R.オーウェンズ『ダニエル・デフォー 批判的作品目録』)。そのなかで小説は八作のみであり、すべて1719年から1724年までの五年間に書かれている。つまり彼の著作活動で小説は傍系にあり、小説家としてのダニエル・デフォーのイメージは後世に定まったものにすぎないのである。同時代の人間にとって、デフォーは金のためなら何でも書く政治ジャーナリストであり、ポウプやスウィフトのような教養ある文学者の仲間に入ることなど想像だにされなかった。しかしながら、事実としてデフォーは小説を書いたのである。それは金目当ての投機的企画のひとつにすぎなかったのか、それとも、彼には小説を書く必然的な理由があったのだろうか。私たちは後者の立場から『ロビンソン・クルーソー』出版にいたるまでの彼の著作活動を見ていくことにする。

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