2003.12.28 田口卓臣+津田佳紀

ビリー・クルーヴァーとE.A.T.〈付録〉

8.

1970年の大阪万博において、ビリー・クルーヴァーを中心とするE.A.Tによってデザインされたパヴィリオン(ペプシ館)。これは総勢75人以上の芸術家とエンジニア、そして日米各地の多くの企業が協力して制作された。

このプロジェクトの詳細を検証すると、以後30年におこなわれた芸術と科学のコラボレーションにおいて発生したテーマや問題点のほとんどが内包されていたことに気づかされる。技術的先進性はもとより、科学技術の方向づけや、科学者・芸術家・企業・観客の関係をどのように形成するかという問題について明確なヴィジョンを与えた。またこのパヴィリオンを媒介として革新・発明された諸々のテクノロジーは、後々スピンアウトして、芸術のみならず社会のさまざまな分野で活用されていく。

このパヴィリオンに関して注目すべきポイントを以下に掲げておく。

1:ユビキタスなシステムによるオープンエンドな観客の体験・・・特定の教訓的、権威主義的体験を強いるのではなく、観客が環境と呼応しながら個々のオープンエンドな体験を作り上げることを念頭において制作された。例えば、観客はパヴィリオン入り口で小さなハンドセットを手渡され、床下に音響とライティングの信号を発するループコイルの上に来ると反応してハンドセットから音や光が発する。また室内は半球上の鏡面で覆われており、観客はそこに写った自分やまわりの様子を複雑な光学的効果として体験する。

2:音響、光学システム・・・正確なタイム・シークエンスのコントロールを排し、観客の自由な動きに対応して音の環境も変化するように作られた。また白色クリプトン・レーザーを分光し、テープレコーダーからの信号で回転する鏡で反射され空間内に光のシャワーを発生させた。

3:床面は多様なアフォーダンスを含む物資(芝生、丸太、石、スポンジ、鉛等)で構成されており、観客は歩行による床面の感触の変化を知覚し、やがてそれは1のハンドセットの反応とマッピングされる。

4:環境と呼応するプログラム・・・パヴィリオンは2520個のノズルから発する純水によってつくられた霧に覆われ、風などの気象条件によって刻々と変化する。また太陽の軌道を通る彫刻(未完)や、外部環境に反応して動く彫刻などがパヴィリオンのエクステリアに配された。

5:このような画期的なパヴィリオンに対して、スポンサーのペプシコーラは、表面上は予算問題を理由にE.A.Tのオペレーションとプログラムの中止を要求した。1970年4月24日を最後にE.A.Tは全てのオペレーション/プログラミング作業から手を引いた。

(津田佳紀)

【参考資料】
カルヴィン・トムキンズ著「THE SCENE POST-MODERN ART」高島平吾訳、PARCO出版刊
ビリー・クルーヴァー著「新しい体験の場:ペプシ館の生きた"環境"」中谷芙二子訳(美術手帳1970年7月1日号、美術出版社刊)

9.

Title: Kiki's Paris ---Artists and Lovers 1900-1930
Author: Billy Kluver and Julie Martin
Publisher: Abrahams
Date: 1989

1989年、ビリー・クルーヴァーとジュリー・マーティンは、上記の書物『キキのパリ』を出版した。これは1978年にはじめた調査が結実したものである。彼らは11年間にわたって収集した資料を通して、1900年から1930年までの世界の芸術・文化の中心地モンパルナスを再現した。その調査は、手紙、新聞、デッサン、写真、映画のフィルムにまでおよんだ。とりわけ650枚以上もある写真は、芸術家やそのモデルたちの神話化された実生活(キキ、ピカソ、モディリアーニ、サティー、マティス、ガートルード・スタイン、ジョイスなど)を、歴史的に再定位するアーカイヴとして水際だっている。

この書物は明瞭な形式を取っている。見開きのページごとに、ひとつのテーマが掲げられ(例えば「藤田嗣治とリヴェイラ」)、数枚の写真が並置され、それら資料間の関係が簡潔な歴史的記述の文章によって埋められていく。つまり著者たちは、ばらばらに集められた膨大な量のモノや証言を、共時的-通時的検証を幾重にもはりめぐらすことによって同期させるのである。

かくして彼らの科学的実証精神は、20世紀はじめの文化的・政治的・知的自由を謳歌したモンパルナスの芸術家コミュニティーを、一種の巨大な暗号体系として読解することを可能にした。この暗号読解を通してクルーヴァーはある発見をし、それを『ピカソと過ごしたある日の午後 A Day with Picasso』(1993年出版)にまとめた。『キキのパリ』の副産物であるこの書物では、一見無関係にしか見えない24枚の写真が、実はすべて、1916年8月12日に、ジャン・コクトーの手によって撮影されたものであることが証明される。クルーヴァーの「アーカイヴィスト archivist」としての仕事は、被写体の影のかたちから写真撮影の時間帯を割り出す科学的創意、緻密な文献調査、確実な推理によって支えられている。

こうした考古学的傾向は、E.A.T.創設当初から見られたものである。例えば『TECHNE』Volume 1・No. 1(1969年4月)にはすでに、新聞の切り抜きを複数、見開きのページ内に並置する手法が採用されている。E.A.T.創設以来、骨太に続けられてきた「芸術とテクノロジー」を同期させる「実験」は、「アーカイヴィスト archivist」としての仕事と連動している。

(田口卓臣)

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