2003.08.11 岡崎乾二郎 | ||
確率の技術 技術の格律〈1〉初出:『10+1』no.23, 2001年, INAX出版 | ||
1.
しかし技術と芸術ははたして明確に峻別されうるのでしょうか。むしろ技術がその実効的側面を強調すればするほど、その実効性を要請したところの起点は決して合理性に解消しきれるものではないことを露呈させてしまうのではないか。また芸術と呼ばれているものの特質が、その存在をいかなる目的に回収されることもできず、ゆえに、それ自体を目的として扱うほかないという点にあったのだとすれば、技術に託された実効性が最終的な局面で晒けだしてしまうのも同様の事態なのではないでしょうか。たとえば家を作る技術というものはあるとしても、家それ自体が持つ実効性は、『家を建てる』『家に住む』というように『家』それ自身を主語として含む文でしか定位されないのではないか。『住むための機械』が家なのではなく『家に住むための機械』が家である。つまり家こそが住むという観念を生みだし、繋ぎ止めている唯一のものであって(家なしに住むという観念はありえない)、単純にいいいかえれば家は家を作るために建てられるという、それ自身以外に何の目的もなく自ら合目的性を主張する。しかし、ゆえにわれわれはそれがほかにもありうると疑うこともできる。少なくとも、この局面で技術が呪術と呼ばれてきたものと、重なって見えてくることは確かです。 2.
『手に持ったリンゴは手を離すと落下する』。 「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん」(『論語 』先進論)。
子安宣邦氏の導きに従えば、朱子学の伝統において、この孔子の返答は次のように解釈されてきた(註)。死は生を知りえてのちに知るものである。生を未だよく知らないのだから、死を知ることができるわけがない。すなわち認識には順序があり、死後の世界は不可知であると孔子が斥けたと。あるいは伊藤仁斎はさらに徹底して孔子が鬼神や死後の世界という知り難き対象への問いかけを禁じて、『仁者は務めて力を人道の宜しき所に用いて、智者は其の知り難き所を知ることを求めず』、すなわち呪術的習俗に傾く民衆に対し、知りうべくもない鬼神に惑わされることなく、専ら人道につとめ、「生存の道」に尽すべきだと教えたことにこそ、孔子の賢しさがあらわれていると解釈した。ここには確かに神秘主義を廃しひたすら実践的な──世俗世界にとどまり人倫の道を説く孔子像があるように見える。しかし荻生徂徠はその孔子像に反発し徹底的にそれを批判したのです。その徂徠によって孔子の答えは次のように解釈される。 『けだし死なる者は言ふ可からざる者なり。夫れ人の知は、至れる有り、至らざる有り。孔子未だ死せず、子路未だ死せず。』
他人の死を知ることはできるが、自分の死を経験することはできない、経験したことがないことを説明することはできない。すなわち自分が死ぬことは確実だと知っているとしても、その確かさを示し、確かめることはできない。これを先に提起した、われわれの文脈に置き換えれば、「すべての人は死ぬ」ことを知っているとしても、その死と自分自身の死は、因果性として決して経験的に把握され結びつけられることはできないということです。
子路、鬼神に事えんことを問う。子曰く、未だ人に事うる能わず、焉んぞ能く鬼に事えん。 という文が先行し、 曰く、敢えて死を問う。曰く、未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。
はそれに続いていた。人に奉仕することすら満足にできないのに、まして鬼神に奉仕することはできるはずがないというのが流布した解釈ですが、つまりは人ーー他者とは、鬼神あるいは鬼以上に予測不能で把捉しがたい不可知な存在である。逆さまにいえば人に奉仕することは鬼神に奉仕するよりも難しいという含意すらここに読みとれないこともない。 「理」は、事物にはみな自然に存在する。自分のこころで推測し、きっとこうならなければならぬとか、どうしてもそうなり得ないことがわかることがある、これを理という。およそ人間が善をしたいと思うのも、理からいってそうするのがよいとわかってするのであり、悪をしたいと思うのも、理からいってそうするのがよいとわかってするのだ。だから理には一定の準則がない。なぜかといえば、理はどこにもあるものだが、人間の見解はそれぞれ天性によって異なる。たとえば同じ飴でも、伯夷(殷末の賢者)はそれを見て「老人を養える」と言い、盗跖(孔子と同時代にいたといわれる大盗)はそれを見て「敷居に流しこめばうまく戸がはずれる」と言った。これはほかでもない、人間はそれぞれ自分の見えるものを見、見えないものを見ないから、相違ができるのである。(荻生徂徠『弁名』)
理とは、端的に事象間の因果性を生成させるところのものです。しかし重要なのは、ここで徂徠はこの理が複数あるといい、しかもそれらが互いに不一致で離反する傾向にあるといっていることです。これだけでも朱子学批判としては充分ですが、その理由を徂徠はカント同様、理とは客観的世界に属すものではなく個々の事物が備えている傾向性にあり、つきつめれば客観的に生起するように見える出来事の因果性はそれを観察する側の主観の内にだけ存在し、よってその関心の差異によって、それぞれ異なる現象が生起するとみていたことにあります。 「人に道の正しさに返るようにさせるつもりだったのである。人間が生まれた初めは平静なのは、天から受けた性である。物に感じて動くのは、天性から生じた欲求である。物がこちらへ来て知覚がそれを知り、その後に好悪が現われる。好悪が心中に節度をなくし、知覚が外から誘惑して本心に立ち返れなくなると、天理が消滅する。そもそも物が人に感覚を与えることは窮まりがなく、人間の好悪には節度がないから、物がこちらへ来れば人間はその物に感化されることになる。人間が物に感化されるとは、天理を消滅させて人の欲求を窮めるものである。」礼記、楽記
徂徠によって引用された礼記のこの一節は充分に、カントの理性批判を想起させます。知覚によって捉えられる世界が所詮は快不快に支配された主観的なものに留まるということに対する明晰な自覚がここにはある。客観的な世界に属すはずの事物と事物、事柄と事柄を結びつけるのは、それにたぶんに触発され感化された感性の働きであり、であるかぎりは世界は仮象の世界から外には出られないだろう。天理を失うということは、こうして世界が統整を失ない、そのときどき生起するばらばらな感覚の継起とでもいえそうなものに解体していってしまうということです。
心には形がないので、制御することはできない。そこで先王の「道」は、「礼によって心を制御する」(『書経』仲 之 )こととした。礼を除外して心を治める方法を説くのは、すべて個人の頭から出たでたらめである。なぜかといえば、治めるものも心であり、治められるものも心となるからである。つまり自分の心で自分の心を治めるわけで、狂人が自分で自分の狂疾を治療するようなものであり、とても治められるはずがない。(荻生徂徠『弁道』) 仁斎が見落としてしまったのは、制御しようとする主体それ自身を、その主体自らが制御することは論理的に不可能であるというパラドックスです。ブラックボックスにされているのは、むしろこの主体自らの意識の働きだった。その意味において不可知な存在とは、感性的対象を感情(実感)を伴って経験しているところの心の働きそれ自体ということにもなる。最終的にはそれこそが他者であり、鬼神という存在が必然的に要請されざるをえない論拠にもなっていたということです。 |
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