2005.01.21 北川裕二

ぶらつくオートマティスム

シュルレアリスムと写真

4.

エクリチュール・オートマティックによる「書き取り」という行為が、撮影し、印画紙へ焼き付ける段階までに該当するのだとしたら、次に問われなければならないのは、シャッターを押す手前、カメラを向けるのは、では、どこかということです。都市であれ、砂漠であれ、密林であれ、私は、それこそがオートマティスムと共に、考察の対象にならなければならないシュルレアリストの「ぶらつき」であるだろうと考えます。ここでは詳しく述べませんが、秘教的なエクリチュール・オートマティックと「ぶらつき」の間に、おそらくオブジェの問題も「客観的偶然」も定位することができるのではないか。『ナジャ』とは、あるいは『パリの農夫』とは、拡張されたオートマティスムのことです。

このシュルレアリストの「ぶらつき」に対して敏感に反応したのが、やはりベンヤミンでした。そもそも彼の『パサージュ論』は、これらの著作に触発されて構想されたものです。彼は、『シュルレアリスム』(1929)の中で、『ナジャ』におけるブルトンの「ぶらつき」について、こう指摘します。

かれはナジャが近づく事物に、かの女自身以上に近づく。ところで、かの女が近づく事物とはどんなものか? その基準はシュルレアリスムにとって、およそ可能なかぎり啓発的だ。どこからはじめるか? かれはおどろくべき発見を誇っていい。かれはまず、最初の鉄骨、最初の工場建築、最初期の写真、すたれはじめた物たち、サロンのひらき扉、五年前の衣服、社交婦人の集会所など、流行からとり残されはじめた、「時代おくれのもの」のうちにあらわれる、革命的なエネルギーに出会った。これらの事物が革命とどんな関係にあるか──それについては、だれもこの著者ほど正確な概念をもちえないだろう。社会的な貧困だけでなくまさに建築的な貧困や家具の貧困、奴隷化されつつ人間を奴隷化する事物が、どのようにして革命的ニヒリズムに転化するかに、この見者、予言者の前にはだれもまだ気づかなかったのだ。

廃れはじめた場末、都市の無意識に蠢く塵たち、この「流行からとり残されはじめた、時代おくれのもののうちにあらわれる、革命的なエネルギー」。すなわち都市のリビドーあるいはエスを、いかに書き取り「転化」させるのか。進歩的な意識・理性によって抑圧され、遅延したものたちが、「偶然の出会い」によって、まぎれもなく物質的な「現実」として回帰してくるこうした事態を。異なる速度に棲むものたちが、「ピアノで一挙にたたき鳴らされる和音」のように奇蹟的にも同期する、そのことをです。「ピント」も「絞り」も「シャッター速度」もすべてが一致して、「位置」と「動き」を同時に捉え、白くて黒く、「生と死、現実と想像、過去と未来、伝達可能なものと伝達不可能なもの、高いものと低いものが、そこから見るともはや矛盾したものに感じられなくなる精神の一点がかならずや存在するはずである」(『第二宣言』1930)。そうブルトンは考えたはずです。

「ガラスの家に住みつづける」ためには、この家のどこかに、<暗室>が存在していなければならない。シュルレアリスムにおいては、生そのものが、あたかも写真装置と化した感があります。というよりも、写真の発明によって、生の、全く新たな──隠された微視的な──様相がいよいよ露にされてきたということなのかもしれません。シュルレアリストたちほど、このことに自覚的な者はいなかった。ナジャとはまさしく精巧な、だがその取扱いには熟練を要するプロ仕様のカメラであって、ブルトンはこのレンズを通して、都市の無意識を驚異をもって覗き込んだというわけです。言い換えれば、「ナジャ」と呼ばれる都市の物質的「現実」と、「ブルトン」と署名されるエクリチュールのそれが──「扉のように開いたまま」に──重ね合わされるそのとき、「超現実」は立ち現れることでしょう。

この時以後、シュルレアリスムのオートマティスムは、社会におけるそれであることを望みました。『ナジャ』とは、この困難を物語った希有の「小説」です。ところが、それはどんな「報道ジャーナリズム」よりも「事実」を伝えているでしょう。というのも、「決定的瞬間」を逃すまいと、慌てて撮影された写真のブレのごとく、「痙攣的」なものでもあったからです。これこそ『ナジャ』で問題とされた事実、すなわち「faits-glissades(横滑りの事実)」のことにほかなりません。

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