2003.07.13 北川裕二

「限界」の技術へ向けて

セキュリティ部族社会を脱するための

1.

時代に制約された概念というものがある。具体的な状況にコミットすることを目的として編み出された概念のことである。こうした概念は、時代が移り変わればその役割を終え、忘却されていく運命にある。薄暗がりの黴臭い書庫の隅へと追いやられ、静かに埃を培養する書物のなかで、ひっそりと佇むのだ。ところが、そうした概念を葬ったはずの──無慈悲で節操のない──<時>が、再び概念を表舞台へ担ぎ上げることがある。そのとき、概念は息を吹きかえし新たな装いを纏う。鶴見俊輔の「限界芸術」もそうした概念のひとつである。しかし、「限界芸術」がむしろ、書物に積もる埃、その黴臭さなど、およそ何の役に立つのかも不明なものにこそ着眼し、それらの繁殖力のなかに、わたしたちの生活の意味を問いただそうとした概念であったとするなら、もとよりこの概念は、<時>が制する観念の連鎖を解きほぐすのだといわねばならない。
鶴見俊輔が『限界芸術論』のなかで提起した「限界芸術(Marginal Art)」とは、「純粋芸術(Pure Art)」や「大衆芸術(Popular Art)」に括ることのできない「さらに広大な領域で芸術と生活との境界線にあたる作品」のことである。目次を一瞥すればわかるように、掲載されている各論文は、想像を掻き立てられるユニークなものばかりであり、とりわけ重要なのは、「限界芸術」を定義し理論づける第一部「芸術の発展」である。
「芸術の発展」の第一章「限界芸術の理念」では限界芸術の定義を以下のように記している。

芸術の発展を考えるにさいして、まず限界芸術を考えることは、二重の意味で重要である。第一には、系統発生的に見て、芸術の根源が人間の歴史よりはるかに前からある遊びに発するものと考えることから、地上にあらわれた芸術の最初の形は、純粋芸術・大衆芸術を生む力をもつものとしての限界芸術であったと考えられるからである。
第二には、個体発生的に見て、われわれ今日の人間が芸術に接近する道も、最初には新聞紙でつくったカブトだとか、奴ダコやコマ、あめ屋の色どったしんこ細工などのような限界芸術の諸ジャンルにあるからだ。

また第二章の「限界芸術の研究」では、限界芸術の問題に学問の立場から注目したものとして柳田国男の民族学を取り上げている。

柳田国男の民俗学そのものも、モノズキな人の仕事、こっとう蒐集家とおなじようなひま人のすることとして理解されていた時代がながく続いた。しかし、柳田の仕事、とくにその限界芸術の研究を、モノズキの研究にさせない力は、柳田国男が、限界芸術の諸様式を、民謡とか、盆踊りとかにきりはなさずに、それらを一つの体系として理解していることによる。盆栽が盆栽として、川柳が川柳として、民謡が民謡として、というよりはもっと細分化されて、都々逸とか端唄として孤立化され、断片化されて、固定的にとらえられるとき、これらは、モノズキな人、趣味人だけの関心のマトとなる。だが、柳田国男の学風は、これらの限界芸術の諸様式のどの一つをとりあげても、そこから別の様式にぬけてゆく共通地下道のようなものを同様に見つけてゆくことにあり、この共通の地下道は、日本人が各地各時代にもった具体的な集団生活の様式だった。

その他、大衆芸術論などの各章も、いわば限界芸術という「共通地下道」を迂回することによって論じられている。ここから読みとれるのは、生活の広大な領野のさまざまな場面に顔をのぞかせる「縁」であり「根源」でもある「限界芸術」が、日常生活の変革の契機として捉えられているということである。こうした観点を考慮すれば、鶴見が第一部「芸術の発展」で、柳田国男・柳宗悦を「限界芸術」の重要な推進者としながらも、「柳田国男における限界芸術復興としての小祭への回帰、柳宗悦における京都の共同制作集団設立プログラムなどを見たが、現代の日本社会に限界芸術をいきかえらせる方法としては、望みのある方法と評価することはできなかった」と書くことも理解できる。鶴見がいうように、むしろ宮澤賢治の「挫折地点への道をたどることが前進への重要な足がかりになる」といえるのかもしれない。だが注目したいのは、鶴見が「限界芸術」という概念を形成していくにあたって、宮澤よりもさらにmarginalな文化を多く取り上げているということである。(表)に見られるように「限界芸術」は、「純粋芸術」「大衆芸術」のカテゴリーに括れない文化のほとんどすべてに該当するといってよい。
鶴見は、「日本の大衆小説」を生んだとされる伝説的な落語家、三遊亭円朝(1838-1900)を論じる『円朝における身ぶりと象徴』(1958)のなかで、「身ぶりは、私的、一回的、状況埋没的なものである。これらは、毎日の用事に一回ごとに用いられてはすてられる、紙のコップのような雑器である。この種類の、生活様式でありながら芸術としての側面をもっている分野を、限界芸術と呼びたい」と言う。例えば鼻歌は、「毎日の用事に一回ごとに用いられてはすてられる、紙のコップのような雑器」である。生活のある場面に現れ、時には歌っている本人にさえ口ずさんでいることが忘れさられ、にもかかわらず気分や行為に<リズム>を与え、生活の何かを確かに変えて、いつしか消え去る匿名的なもの、である。「限界芸術」をこうした視点から捉えてみると、わたしたちの生活、さらに身体は、小さくひっそりと、しかしお構いなしにあちこちに涌き出て、所選ばず無秩序に飛び交い、不意に他者にさえ感染する微生物のごときものが、はっきりとした用途も、相互の関連性も不明のまま、ともかく無数に分裂ないし交接しては繁殖する、無定型な集合のように見えてくる。

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