2003.08.02 石岡良治

装飾と反復 〈2〉

初出:『建築文化』2002年2月号 102-105頁
2.

こうして問題は衝動それ自体からその制御へと移される。制御を欠いた衝動こそが病的なのであり、ロースの文化論においてそれは心の病の徴候とみなされるのだ。
ここで着目してみたいのが、シュレーバー症例における「決まり文句」である。元ドレスデン控訴院民事部部長という肩書きを持つパラノイア患者シュレーバーは、脱男性化して神と交わるという主題に基づいて精緻な妄想体系を作り上げ、それを1903年に『回想録』として出版した[*6]。彼は「神の神経言語」について考察し、自身を苦しめる思考強迫が「決まり文句」として現れると語る。シュレーバーの頭の中では「この忌まわしい一件は今後いったいどうなることか」「こん畜生、神様がお○○○されてるなんてとても言えない」といった罵詈雑言が鳴り響き、「助けてくれ」という叫びには「この忌まわしい助けてくれという叫び声がやんでくれたらいいのに」が引き続く。こうした汚言はあたかも衝動のように外から執拗に付きまとい続け、「住まい」を脅かされたシュレーバーの神経は、当の決まり文句を何度も大声で叫ぶことでようやく落ち着きを取り戻す。しかしその結果「こん畜生、そんなことはとても言えない」とか「この忌まわしい人間玩弄がやめばいいのに」といった繰り言を、まさに大声で言い続けているさまが観察されてしまうことになる。彼が叫ぶ「決まり文句」の繰り返しは「自己の内部にどうしようもなく充満するもの」からの解放をもたらすが、その仕方において「便所の壁の落書き」と同等の機能を持っているのだ。
シュレーバーの叫びは侮辱的かつ猥褻な内容に満ちており、病いの症状とみなされる。だが重要なのは、その語が意味する猥褻な内容──それは彼の外からもたらされたおぞましい決まり文句でしかない──ではなく、むしろ、その発話行為の反復にある。そして制御を欠いた病いを徴候として示してしまう機械的な反復こそが、実際のところ、自分の外からやってくるおぞましい「声」から、神経が脅かされるという最悪の事態から解放し、それを抑えるために働く、治癒的な試みだったのだ。
ロースが装飾に見いだした二重性もまさにこのようなものではなかったか。装飾はあくまでも「便所の壁の落書き」として空間的に枠付けられなければならない。だがそれは衝動の偏在を防ぎ、それをより良く置き換えるためなのであり、空間の分割はむしろ、装飾衝動のさらなる解放を求める上位の秩序を想定している。しかしながら、分離派の工芸品にはこの上位の秩序が欠けている。彼らは装飾様式を自己意識によって統御しようとするが、こうして得られた単一の「様式」が室内空間に充満することによって、かえって高次の衝動の制御を失う結果に終わるのだ。ヴァン・デ・ヴェルデにせよオルブリッヒにせよ、同一デザイナーの製品があふれる室内は、ロースにとっては偏在する落書きにほかならなかったのである。
ここでアドルフ・ロースの装飾批判の射程を見誤ってはならないだろう。彼は装飾のフェティシズムを戒める。だが装飾同様、フェティッシュは可変的な対象である。というよりむしろ、そもそも装飾を特定の対象から考察すること自体が戒められなければならないのかもしれない。たしかに十字架というシンボルは交接行為の置き換えであり、エロティックな性格を強く帯びている。しかしこのシンボルはすでに装飾衝動それ自体ではなく、その代替物であり、ベートーヴェンの第九交響曲と同一の機制によって成立している「芸術」なのだ。代替物と非代替物が識別不可能な状態にあること、この事態がフェティッシュ=装飾を構成するのであるから、それを特定の対象の属性とみなすことはしばしば誤認をもたらしてしまう。両者の差異は「文化の進化」によってはじめて明らかになる以上、その識別には歴史意識が必要とされるのだ。だが「近代の装飾家」も歴史意識は有していたのであり、装飾を正しく認識するためには、おそらくそれだけでは不十分であるように思われる。ここで重要になるのが装飾文様のパターン・ブックが切り開いたもう一つの認識、すなわち「文法」としての装飾である。リーグルはパルメットやアカンサスといった個々のボキャブラリーを貫く「文法」を装飾に見いだしたが、その要点は支持体の隙間を埋め尽くしていくパターンの無限進行にあった。ここでは個別のモチーフは出発点にすぎないのだ。このことはヨーロッパで製作された日本趣味の図案が、モチーフの配置法によってその時代様式を明るみにしていることからもうかがえるだろう。ボキャブラリーではなくその変形規則としての「文法」こそが、日本の装飾品と「日本趣味」の識別といったものを可能にするのである。
様式に対するロース自身の認識は、エッセイ「被覆の原則について」[*7]からもうかがえるようにゼンパーの技術論的説明に依拠しており、リーグルのような純化された形で様式の問いを繰り広げてはいない。しかしゴンブリッチは、リーグルがアカンサス文様と実在の植物「アカンサス」を必要以上に断絶させてしまったと述べ、その推論の弱点を指摘している[*8]。たしかに「芸術意志」の自律性および先行性というテーゼは、ゼンパーの「被覆の原則」の批判を通じて練り上げられたのだが、こうして得られた装飾の「文法」において、素材はすでに技術論的な機能を踏み越えているのであり、フェティッシュ同様の二重性を帯びていたのではないだろうか。なぜなら空間恐怖としての装飾衝動は、あくまでも落書きによって抑えられ、諸々の素材において具現化されるからである。反対に、「装飾と犯罪」における装飾衝動の二重性と同様、ロースが「被覆の原則」から引き出す帰結は、素材による被覆にこの二重性を与えることになるだろう。ロースは建築の起源を構造ではなく、素材にたいする被覆性に見出している。部屋の絨毯を支えるためにこそ、構造が必要とされる。というよりも身体は被覆されなければならず、そして生の素材も同様に被覆しなければならないのだ。「素材固有の造形言語」がそのつど見いだされなければならず、イミテーションは避けられなければならない。ましてや鉄を鉄色に塗ったり、木を木の色に塗ったりすることこそは最悪のイミテーションであり、先に見た装飾批判と同様の批判が当てはまるのである。彼にとっては生の構造、生の素材、身体の露呈は 装飾の噴出と同様に「未開さ」の証であり、犯罪としてみなさなければならなかったのである。

「素材固有の造形言語」にたいするこうした認識は、逆説的にも彼を高次の装飾家として位置付けることを可能にする。絨毯から構造を導き出すロースは、装飾の「文法」に従う内装家としてふるまうのである。

近代人は、自分が適当と思えば昔の文化や他民族の文化がつくり出した装飾を利用すればいい。近代人とは、自分の創意・工夫の才を他のものに集中するものである。

この結語は「装飾と犯罪」が実際には装飾の排除どころか、その熟慮された使用を主張していたことを明らかにする。ロースの建築について語る者の困惑は、ロースが言説において装飾批判を展開しているのにもかかわらず、その内部空間がむしろフェティッシュにすら近接する「装飾の魅力」をより引き立てているかにみえるところにあった。生の素材の露呈を退けつつも、あるいは退けるがゆえに、素材が持つほとんど「触覚的」な質が際だってしまう。それはシュレーバーが、自身に付きまとう汚言を払いのける、まさにその行為に成功することによって、彼自身が猥褻な「決まり文句」の発話者になってしまうのと同様の事態である。もちろんそれら「決まり文句」自体に固有の内実が備わっているわけではなく、その制御を失った絶え間ない反復が病いの「徴候」として現れるのであり、実はロースもこの機制を逃れてはいない。このことは「装飾と犯罪」で用いられている言葉そのものが、読者に対して時折「便所の壁の落書き」の等価物として立ち現れてしまうことからも明らかだ。だがそもそもロースにとって建築とは、諸々の被覆材、衝動、感覚等を分節する行為にほかならなかったのであり、エロティックな装飾衝動を制御することによって解放することが問われていたのであった。ゴンブリッチは視覚的なパターン認識から装飾を考察することによってオプ・アートの擁護者となったが、反対にロースは装飾の「文法」を諸感覚の分節原理にまでもたらし、それをラウムプランと名付けたのである。したがって、ミヒャエル広場のロースハウスは、ウイーンの街並との対比によって「図」として際立っていただけではなかった。そのファサードは店舗部分と上階の住居部分を分節することによって、「図」と「地」の関係付けを自身のうちに折り返す。モダニズムと装飾という問いに対して、ロース的「近代人」はこれら諸関係を制御せよ、と応答する。諸々のエッセイおよび建築作品におけるロースの応答が、時折シュレーバーの「決まり文句」に近接した情動的トーンを帯びるのだとしても、それはロース自身の装飾衝動がさらなる置き換えを探し求めていることの現れであろう。ロースは装飾の「文法」の制御を通じて、視覚や触覚、被覆と構造といった諸々の分割を思いがけないところに発生させる。執拗に付きまとう装飾衝動の解放を制御する上位の「秩序」を与えること、「建築家」の役割はまさにこのようなものであり、アドルフ・ロースは一内装家として、繁茂する装飾に対して「命令」を与え続けているのである。

*6 ダーニエル・パウル・シュレーバー『シュレーバー回想録』尾川浩+金関猛訳、平凡社
*7 アドルフ・ロース「被覆の原則について」、『装飾と罪悪』伊藤哲夫訳、中央公論美術出版、29-37頁
*8 E・H・ゴンブリッチ『装飾芸術論』、340頁

*本論考は2001年夏に広島県で行われた「アート・ステュディウム in 灰塚2001」(灰塚アースワークプロジェクト)における筆者の発表に基づいています。岡崎乾二郎氏をはじめとして討議に参加された方々に感謝します。
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