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Biography

2004−07年四谷アート・ステュディウム在籍

1978年東京生まれ。ヴィデオによるインスタレーションやパフォーマンスを制作・発表。2002年武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。2004年B semi Learning System of Contemporary Art修了。2008年第3回マエストロ・グワント(四谷アート・ステュディウム最優秀アーティスト賞)受賞。

E-mail
shintakshintak(a)gmail.com


活動歴

2011
「ポジション・ダウトフル」(神村恵との共作、前後名義)blanClass[横浜]
●「実験地獄」(手塚夏子、神村恵、捩子ぴじんとの共作、実験ユニット名義)小金井アートスポット シャトー2F[東京]
「身と蓋」(Whenever Wherever Festival にて)アサヒ・アートスクエア[東京]

2010
●「We Danceプレ企画 ワークショップ 試行と交換」(コーディネーター:手塚夏子)にファシリテーターとして参加
●「売買される言葉」(We Danceにて)横浜市開港記念会館[横浜]
「気象と終身 寝違えの設置、麻痺による交通」(橋本聡との共同企画、Whenever Wherever Festival にて)アサヒ・アートスクエア[東京]

2009
●「Pascal Pass Scale」(インターイメージとしての身体にて)山口情報芸術センター[山口]
●「Flight Duration」(石川卓磨との二人展)gFAL[東京]
●「You say here “Wish I was here”」continue[東京]

2008
「These Fallish Things」GALLERY OBJECTIVE CORRELATIVE[東京]

2007
「no collective (version 2)」(中井悠との共作、Experiment Showにて)旧四谷第三小学校体育館[東京]

「The problem between their cloud base and our cancellous bone」GALLERY OBJECTIVE CORRELATIVE

2006
●「no collective」(中井悠との共作)GALLERY OBJECTIVE CORRELATIVE

2005
「One Foot On The Moon」GALLERY OBJECTIVE CORRELATIVE

重力と抵抗―力の方向をとらえるために


Don’t push me, cause I’m close to the edge
I’m trying not to lose my head
It’s like a jungle sometimes, it makes me wonder
How I keep from going under
GRANDMASTER FLASH AND THE FURIOUS FIVE “The message”

矛盾を抱えた世界の中で、髪を逆立てたパンクスが拳を突き上げ抵抗のメッセージを発するのは、権力や社会からの圧力、差別や暴力など、ありとあらゆる力に向かってである。その中には、地球という惑星に存在している万物が絶対に逃れることができない共通のルールである重力も含まれる。このルールを知りながら、四足歩行から、わざわざ腰や背骨に負担のかかる二足歩行に変更した人間は、重力に逆らって立ち上がったその瞬間に生まれたと言えるかもしれない。論をジャンプさせれば、重力に代表される外部からのあらゆる力を押し返そうとせず、そんな圧力があることすら感じることができないようでは、人間ではない、と言ってしまっても差し支えないだろう。今日まで生き残っている人間も、今後何もせず漫然と人生を進めていけば、重力に従って脳や肉体は垂れ、形が崩れだし、滅びていくだけだ。人間が人間であるためには、重力を意識し、重力によって肉体や思考が方向づけられてしまうことをもっと知っておく必要がある。しかし、知ってしまった途端、直立した肉体を支持する背骨は、肉体的社会的自重に耐えかね、潰れてしまうかもしれない。重さに耐えるには、筋力と思考を鍛錬して、反発し対抗する力を獲得しなければならない。
高嶋晋一の《One Foot on the Moon Series》は、見るものに重力を意識させ、逃げられないことを了解させる。しかし、同時に、重力の波を乗りこなすことも可能であると教えてくれる。重力を正確にとらえることができるようになれば、重力の方向をズラすことも不可能ではないのである。重力によって固定されていると思い込んでいた(思い込まされていた)身体の位置は自由になり、前後左右が柔軟になって、空間が自在に展開していくのを感じるだろう。

《One Foot on the Moon Part 1》
プロジェクターによって映し出された映像内の部屋は、部屋奥のガラス戸がある白い壁面と、映像それ自体が映し出されている展示壁面とが平行関係を保ち、それら二つの壁面を貫く垂直軸を中心に回転している。観客が強いられている地球の重力と、「映像」という「惑星」の重力は一致する。惑星の住人は、自転と重力に従い、関節と関節の屈曲を司る筋肉との弛緩と弾性によって、極めて物理学的にその身体を変成させていく。やがて彼は、惑星化した映像にもっとも適応した身体となる。四肢のつなぎ目が柔らかくなり、ねじれた胴体と足は、二本の腕が生えた首とつながった。

《One Foot on the Moon Part 2》
展示空間の地面に向かって鉛直方向に走る1本の線は、二つの方形画面を並べることでできたフレームのつなぎ目のようにみえる。このような画面の上を、手首だけがゆらゆらと振れ、観客がもっている「目のフレーム」を揺り動かす。
電車やバスに乗っていて、予兆なく大きく揺れた場合に倒れ込まないようにするには、踵を少しあげてつま先立ちになっておくとよい。足首がしなやかで自由な状態であれば、外からの力の変化にも弾性的に反応し受け入れることができる。「目のフレーム」が揺れたと感じたのであれば、それは「目の足首」がしなやかだったからである。しかし、柔軟体操を怠ると目も足首と同様、ねん挫してしまう。

《One Foot on the Moon Part 3》
カメラの「フレーム」と写し込まれた「基底面」とが一つの有機体に結合することによってその結合に可能な最大の効率を上げ、それによって同時に「フレーム」と「基底面」双方の個性を発揚することができた時、物理学的に身体の形を確定―フレームアップしている「重力-外圧」と「内圧」との均衡は揺り動かされる。映し出された身体は、フレームに隠された人体から解き放される。
分裂した「足の甲」もまた、重力を感じ、油粘土程度の弾力と粘りをもって、自らの内圧で答えはじめる。フレームという外圧と基底面という内圧によって生み出された、新たな力の均衡。

《One Foot on the Moon Part 4》
テーブルからなんとか落ちないように、踏ん張っている足と手。片方の足に寄りかかれば、もう片方が釣り合いをとるために重さを移動する。手足が倒れ込まぬようバランスをとるたびに押し付けられる重さー圧縮によって、テーブルの脚はわずかに短くなる。傾いたテーブルから手足は滑り落ちそうになるが、落ちることはない。なぜなら、テーブルの受けた圧縮をカメラも感じとり、画面を押し返し、揺れ動いた空間を落ち着かせるからである。
手足の力、テーブルにかかる重さ、そしてその均衡は、映し出された対象自体に予め宿っていたものではない。観客がそれらを感じたとすれば、力の方向をとらえたカメラの感性が、対象に重さを与えたからである。こうしてカメラは、力の方向という論理を介して、対象と観客をつなぎとめ、世界を組み替える。

text by Susumu Kihara 木原進



[2005、初出:「ONE FOOT ON THE MOON」展パンフレット、再録:『高嶋晋一作品集:Shinichi Takashima Selected Works』付録]