準備と注解/岡崎乾二郎
アルブレヒト・デューラーが記した以上の告白は、美的判断をめぐって彼を引き裂いていたところのアンチノミーをよくあらわしている。すなわち普遍的な美は神によってのみ判断されうるものであって人間には判断できない。現世において捉えられる美は主観的、相対的なものであるほかなく、普遍的なものには遂になりえない。
自らの姿を美の立法者と誇示するごとくキリストになぞらえて描いた自負あふれる画家でありつつ、他方で1521年マルティン・ルターが逮捕されたとき(殺害されたと早合点し)此の世の終末が近づくのを感じ、おののき怯え、悲痛きわまりない哀悼文を綴った不安の画家でもある、デューラーのこうした人格的分裂はパノフスキーが指摘したように、そもそも彼の血肉となったイタリア・ルネサンスに組み込まれていたものだった。古代の規範の復活と同時に、ひたすら精細な自然観察を要請するルネサンス。普遍(規範)によって規定される美と他方で特殊(自然の変異)にこそ見い出される美。このアンチノミーから(かってプラトンによってなされた蔑視からも)芸術が抜け出そうとするなら、特殊から普遍が導き出される回路が確保されるほかはない。
ここには確かに、特殊から規範(普遍)を引き出すデューラーの、美の立法者としての自信─ルネサンスを風靡したプラトニズムの逆転としてネオプラトニズムの思想的影響─がある。しかし芸術(そして画家)が自らの権威を確保するために、あえていままで誰も描いたこともないほど粗野で武骨な対象、その特殊な姿を描かなければならないのなら、あまりにそれは転倒している。ゆえにその自信もすぐさま冒頭のように(あたかも宗教改革に呼応するように)反転するほかない。芸術家が引き出すのは普遍的な規範では到底なく、たかだか世俗的な慣習、範型でしかありえない。パノフスキーはデューラーを閉じ込めたこの振幅(アンチノミー)が、そのままその後の美術史にも繰り返され、支配することになったと指摘する。
あらゆる特殊からも法則を見出さんとしたデューラーの際限なき企ては、知られているように『人体均衡論四書』に集約される。先行するアルベルティやダ・ヴィンチと異なって彼がもとめたのは美の唯一の基準ではない。むしろ理想化された比例理論から逸脱し排除されてきたところの(しかし現実に溢れている)無数の差異─多種多様な「醜さ」を捉える方法だった。すなわち、この研究は、
パノフスキーが、この書を「比例理論がそれ以前にも以後にも、到達しえなかったような最頂点を示している。しかしながら、この書はまた、衰退の徴候も示している」と評した理由は、上の記述でも十分うかがい知ることができる。デューラーの研究は法則として一般化され有用性を持つには、あまりに些末で多様―奇怪でありすぎ、かつ精密(彼の用いた「分子」と呼ばれる計量単位はmmよりも小さかった)すぎたのである。しかし、こうした批判をあらかじめ予想したかのように、デューラーは以下のような弁明を載せている。
デューラー曰く、この大著でさまざまな人体比例の変異が詳細に分析されるのは、それを学習することで、やがて、いままで見たことのない新奇な人体が目の前に現れたときでさえ、なんらひるむことなく、またその比例をいちいち測ることもなく自在(フリーハンドで)かつ整合的に、その姿を描くことができる能力―理論(kunst)を身につけるためである。
当然ここで身につけられると言われる理論は対象の客観的な属性としての比例法則ではない。それは、いかなる特殊な対象にも、その都度それに相応しい(それが従うべき)特殊なる比例関係を見出すことができる(見出さなければならない)、むしろ主観的能力に備わるべき格律、規則(カノン)のようなものだった。デューラーのこの『人体均衡論四書』を受け、260年後にカントは『判断力批判』で次のように補足している。
カントはここで明確に、美の標準的理念は主観に与えられる規則(カノン)、格律であって、それ自体は対象の性質ではないと主張している(反対に、この理念があるゆえに、いかなる対象の差異からも、それが属すべき比例規則が見い出されるのである)。それは「美の完全な原型そのものではなくて、およそ美の成立に欠くことのできない条件を成すところの形式」だと。デューラーが確保しようとしたのも、蓋し、その形式だったに違いない。
特殊なものを普遍的なものに包摂する、カントが二つに区分した判断力のうち規定的(分析的)判断力は先験的に与えられた法則あるいは概念を原理として、この原理に適合するもの、つまり、はじめに与えられた概念にもともと含まれていた述語(属性)だけを確認する。ここに経験はなく反省も必要ない。矛盾もアンチノミーも生じない。アンチノミーが発生するとすれば、経験が与える自然のきわめて多種多様な変異―特殊を、いまだ与えられていない法則、概念のもとに包摂しなければならない(いまだ含まれていなかった述語―属性を概念に付け加える)反省的判断力においてである。たとえば反省的判断力が抱える困難はしばしば以下のようなアンチノミーとして理解されがちである。
反対命題 物質的な物の産出のなかには単なる機械的法則に従うのでは不可能なものがある
しかしこれは『純粋理性批判』の第三アンチノミーの言い換えにすぎない。つまりこれは、いまだ与えられていない概念―原理を、あらかじめ与えられた客観的原理と取り違える誤謬によって発生したアンチノミーにすぎないとカントは退ける。反省的判断力において生じるのは、正しくは、
反対命題 物質的自然における所産のなかには、単なる機械的法則に従ってのみ可能であると判定され得ないものがある
という二つの格律─[機械的法則があると見なせ]という格律と[それとは異なる原因(究極原因)を見いだせ]という格律─の並立であって、格律であるかぎり、これは互いに背反せず成立しうる。むしろこの二つの格律の存在がいままで知られなかった新たな法則を発見させる統整的原理―手引き(デューラーの『人体均衡論四書』に与えた役割同様に)になるとカントはいうのである。
そもそもカントが趣味判断におけるアンチノミーとして正当に認めたものは次のものだった。
反対命題 趣味判断は、概念に基づくものである。さもないと、その判断が相違したとき、その判断についてわれわれは論議することができなくなる(われわれの判断に他の人々が同意することを要求できなくなる)からである
このアンチノミーは趣味判断が概念ではなく、すでに見てきたように格律(例えば「あなたが得る感覚を普遍的なものであるように経験すべし」「あなたのいかなる特殊な感覚をも万人の同意を得るべく他者と論議すべし」)に基づくもの、つまり反省的判断力によるとすれば、すぐ解決するが、『芸術の名において』のティエリー・ド・デューヴは、このアンチノミーで主語である「趣味判断」を「芸術」に置き換え、カントを読み換える愚行を犯している。ド・デューヴによれば、その置き換えは最終的には以下のような単純なアンチノミーに行き着く。
反対命題 芸術は概念である
ド・デューヴの考えは単純である。「芸術」は、主語概念としては確定的な述語―属性を持ちえない、「富士山」や「ナポレオン」と同じような固有名だというわけである。いかなる述語にも開かれているゆえに、それは規定的(分析的)な判断としては不確定である。ゆえにいかなる新たな述語―属性であれ次々と付け加えられうる(いかなる何でもない何かであれ芸術になりうる)。ド・デューヴが行ったのは、主語概念に含まれていなかった述語を主語概念に結びつけるという反省的(総合的)判断の特性を、固有名の特性に置換しただけだった。ここで固有名はいわば統整的な原理として働いているようにも見えるが、しかしこの合い言葉が有効に働くのは、その言葉が流通している共同体のなかでしかない。ゆえにこの改竄は単純に「芸術」という語を知っている(あるいは知っていなければならない)/知らないという集団の区分を作り出すだけになる。彼が書いたのは「芸術の名のもとに」閉じこめられた集団が転げ回るだけの茶番劇でしかなかった。[*1]
「KUNSTはNATURに潜む。それを曳き出すものがそれを持つ」と書いたデューラーのきわめて明確な定義によれば、しかし、芸術(KUNST)はそもそも名詞ではないし、ゆえに概念でも対象でもなかった。それはデューラーが言った通り、認識のための手引き、格律としてのみ働く技術=理論であって、認識が曳き出される、その過程でだけ仮象として存在するにすぎない。
[*1]シェイクスピアの「ハムレット」は、統整的な原理として、過った仮象が与えられたとき引き起こされる逆説をよく示している。T. S. エリオットは「ハムレット」を、主人公の感情に対応する客観的相関物(Objective Correlative)が欠けているゆえに失敗作だと評した。しかしカントは、その客観的相関物と感情との関係をエリオット以上に正確に、すでに論じていた。
つまりハムレットの悩みは彼の感じる不快の感情に、正確に対応する表象が見いだせない(ゆえに目的として絞り込めない)ことにあり、彼の狂乱は、その感情に仮に与えられた表象(父親の幽霊)に触発されるまま自分自身を感じてしまうという錯乱から生じている。すなわち「何か或るもの」としての対応する事物をもたない偽の表象―ド・デュ−ヴがいう「芸術」という固有名はこの偽の表象として与えられた父親の幽霊のようなものである。もちろん客観的相関物(Objective Correlative)は、このような「名」指されるだけの迷妄を解体する実在的な関係である。エリオットの言に反して(しかし、その意に沿って)、シェイクスピアはこの関係を極めて客観的に描いているといえる。