2003.05.17 岡崎乾二郎+松浦寿夫

対談〈1〉── 力・テクノロジー・数

(2003年4月16日、東京・練馬の「エンガワ」にて収録。構成=BT編集部)


松浦 最初に、今回のイラク戦争に際して、岡崎さんはホームページに「でもの哲学」というテクストを書いたり、建築「でも」ツアーを企画したり、いろいろな活動をしていますが、それはいったいなにかという点を、簡単に。

岡崎 だって戦争を好きな人も、人を殺すのをよいという人も、だれもいないでしょう? しかし一方で、その同じ人が戦争を容認するということがある。そういう人たちは戦争にハンタイするのは感性で、戦争を容認するのは理性だとする、知性の高級な分別をもっているとでも思っているのね。それで、無邪気に戦争ハンタイという子どもたちをつかまえて「気持ちはわかるが、日本の立場を考えろ」と説教する。これは間違っている。「戦争反対」というのは「夏は暑い」、「1+1は2」というのと同じ、悟性による判断で立場によっても不変です。けれど町に出てもハンタイの気配がしない。こんな状況にいたたまれなくって「だれの立場とも関係なく戦争はいかん!」と、授業でもどこでもいいはじめてしまった、と(笑)。「暑い」と叫ぶみたいに。たまたまマンガの仕事をしていたときも「ノー・ウォー」と書き込んでしまい、勢いあまってメールでもあちこち転送してしまったという単純な展開。ちょうどホームページをつくろうと準備していたRAMという勉強会でも、議論の中心は戦争ハンタイになってしまった。

松浦 RAMとはなんですか。

岡崎 《Random Association Methods》といって、建築家とか植木職人とか、いろんな職種の異なるメンバーがいて、それぞれの専門領域の知恵を、人文系とか科学系とか「美術」とか特化せず違うかたちで結びつけて、新しい百科全書創設を目指した研究会。最悪な世界状況を突破(笑)できるために使える、アイデアやテクノロジーのネットワークをつくろうとしていて……。たとえば昨日の朝日新聞(四月十五日夕刊)に福田和也氏が書いていた記事を読みました?

松浦 読んでいません。

岡崎 アメリカはいまや理性を失ったリヴァイアサンだ、その大本にあるのは善悪の彼岸にある巨大テクノロジーだ、というんですね。ゆえに立場に拠った反戦も、戦争擁護もどっちも成立しないと。けれど、だとすれば、この恐るべきテクノロジーをコントロールできなくなって困っているのは、アメリカ自身ではないかと僕は思う。国家というフレームが、それ自身の保有するテクノロジーを統制しきれない。「アメリカ=軍事テクノロジー」とはいえないし、それどころか、実はその軍事テクノロジーも、統制不可能なものになってきている。それに対するアメリカという国家自身の不安が、今度の戦争に現れている気がするの。テクノロジーというのは、個々ばらばら分散的に発達してしまうもので、それに方向を与えているのが国家機構だった。しかし、その枠が自壊しはじめている。敵がどこにいるかわからない、というより、テクノロジー自身が自己矛盾し自壊する行動を起こしはじめている。時代錯誤なほど単純な「悪の打倒」という図式が強調されているのは、むしろ、その反動でしょう。

松浦 今回、一方では、勧善懲悪的な枠組みが維持されいながら、テクノロジーの領域は、あらゆる対立を超える、政治化しえない領域、力の絶対的な表象として設定されているのではないでしょうか。湾岸戦争のときにも思ったけれども、テクノロジーが思考不可能な器のようなものとして設定されているがゆえに、逆にそれがあらゆるかたちで簡単にイメージ化されてしまっている。そこにとても大きな問題があると思います。
 ところが、テクノロジーは、原理的には、非イメージ的なものなのではないか。今回、僕は「数」ということをよく考えていたのですが、テクノロジーによって、なんらかの認識論的な変化があったとしたら、それは数的な次元でだったと思います。単に生活が便利になったということ以上に。それが僕が今回何度となくデモに参加した理由にも関係あるのだけれども……

田口 数が一人増えるとか、そういうことですか?

松浦 そう、僕はごく端的にデモは数の問題だと思っているから。匿名の、なにも代表しないひとつの数として参加するというかね。数的なものは、もしかしたら、安易なイメージ化に逆らえるかもしれない。

岡崎 テクノロジーが非イメージ的なものだというのはそのとおりだね。ゆえにテクノロジーは、それを操作し、形を与えうる主体を同時に形成しないことには、能力を発現しえない。ところがテクノロジーが発展すればするほど、それに形を与える主体が追いつかなくなっていく。実はこの主体こそが想像的なもので、イメージそのもののわけなんだけど。たとえば、今回の戦争で明らかなように、アメリカは、確かに異常な能力をもつテクノロジーを、大量破壊兵器を、保有している。しかし、それを十全にコントロールしうる主体が、もはや存在しない。米英軍の被害というのは、テクノロジーそのものではなくて、ほとんど誤爆や同士討ちだったでしょう? 戦争情報や指揮系統を操るテクノロジーの劣悪さをこんなに暴露した戦争はかつてなかったと思うのね。
 戦争を実際に遂行する兵士たちに埋め込まれた主体的動機にしても、B級のSF 映画なみの曖昧なイメージでかろうじて支えられているだけのように見える。



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