2002.10.23 ジャン=リュック・ゴダール

インタビュー〈3〉
  ── 映画の未来がどうなるのか、分からない

──技術進歩とも関わることですが、二一世紀の映画はどうなっていくとお考えでしょうか。

【ゴダール】映画の未来がどうなるのか、私にはわかりません。今、技術進歩という言葉が出てきましたが、技術進歩といっても、進歩は相対的なものだと思います。現在のパナビジョンのカメラは、リュミエール兄弟の頃のカメラとあまり違っていません。たとえばソニーの小型カメラがありますが、それでクロッキーを作ったり、メモをしたりするのには面白いものだと思います。しかしあまりにも容易に撮れてしまうので、その簡単さによって、人々はだまされると思います。この小型カメラで自分が映画作家と思い込んでしまう危険があります。たとえば鉛筆を持っているからといって、自分がデッサンを画ける画家だと思い込んでしまってはいけません。鉛筆があっても、レンブラントやゴヤのようにデッサンができるわけではないのです。ソニーのカメラにしても同じです。ソニーのカメラを持っていると、スピルバーグと同じぐらいうまく撮れると思ってしまう。まさにスピルバーグ自体がとても悪いのであって(笑)、それは間違いです。
 よく学生に、映画を作るためには何をすればいいのか、何を習えばいいのかという質問を受けます。その時に私は、このように答えます。ソニーでもパナソニックでもいいけれども、小さなカメラで何かを撮ってごらん。私たちが昔、16ミリでも高すぎてできなかったことが、今はできる。同時録音もほとんど録れなかった、今はそれができる。好きなように撮影ができる。最初は、あなたの一日を撮ってみなさい、このように言います。朝起きてから、夜寝るまで、そして夜も夢を見ている。その一日を撮りなさい、本当のあなたの一日を撮ってみなさい。警察に話すようなやり方ではいけない。朝起きて、歯を磨いて、コーヒーを飲んで、仕事にいって、友達と会って話して、それから寝た、これは本当のあなたの一日ではない。本当のあなたの一日を語るように試してみなさい、こういう風に言います。カメラを使って、映像と音を採って、本当の一日を果たして語ることができるのかどうか。採ってみたら、本当の一日は語れないということがわかる。自分にはできない、本当の一日がこのカメラで語れないとわかったら、ハリウッドに行きなさい。ハリウッドでは受け入れてもらえるだろう(笑)。しかし、もしも自分が本当の一日を撮れたと思うなら、友達やお母さん、あるいは身近な人に見せなさい。見てもらって、果たして映画館の入場料と同じ十ドルを、これに対して払うことを受け入れてくれるかどうか聞きなさい。おそらく、観客は、自分に本当に近い人であっても、あなたの本当の人生にはまったく興味がないことがわかるでしょう。そうすれば、本当の映画とは何かという問題提起をはじめることができるから、二本目では、少し成功する機会が出てくるかもしれない。こういう風に言います。
 また、私は技術の問題に興味があります。いつも興味を持ってきました。新しいフィルム、新しいカメラ、新しい編集台に、絶えず興味を持ってきました。それは新しいから、何の規則もない、そこでわざわざ逆らう、不服従をする必要がないからです。新しくて規則がないから、思うままにやることができる。このように新しいものに絶えず興味を持ってきました。ソニーが最初にポータブルの、録画も録音もできるビデオを出した時、まだ二分の一インチのもので、手回しの部分があったのですが、それを一台持って、私はパレスチナに行きました。結局、その機械はパレスチナに寄贈してきたんですけれど、当時、フランスのクリス・マルケルと、若いケベックの映画作家たちと、ソニーに手紙を書きました。「あの新しいビデオの機械ともう一台を使って、ビデオで編集できるようになるといいと思うが」という手紙を書きました。ソニーの返事は、全然そういうために作ったものではないという否定的なものでした。その後、ソニーは編集ができるとても高いビデオの機械を出すようになり、私は高いお金を払って、それを買わなければなりませんでした(笑)。
 技術的な進歩について、編集技術の例を挙げるとすれば、十年ほど前から、随分変わってきました。バーチャルな仕事になってしまいました。昔は、編集台の上にフィルムをかけて、実際に手で回して編集をしていたのに、今ではすべてが速くバーチャルに、ボタンを押すだけで編集ができるようになってしまっています。たとえばナンバー50の映像のあとに、ナンバー100の映像を繋ぎたいとすると、すぐにその100の映像が見つかって、ナンバー50の映像に戻りたいとしても、すぐに50の映像が出てくる。このように、バーチャルなエレクトロニクスの仕事で、本当にすぐに編集できるようになってしまっています。そうすると、私には時間がなくなってしまった。時間が廃絶されてしまったような気がするのです。すぐに過去の中に入っていく。過去に向かっていく。そのため過去に遡っていく時間がもうなくなってしまっています。フィルムの場合は、早回しにしても、その過去の部分まで戻っていく時間があって、考える時間がありました。このように今、過去・現在・未来、すべてがなくなってしまっているような気がします。編集においては、過去・現在・未来がなくなってしまっています。人生にしても同じで、すべてのものがすぐ手に入れられることができる。私はビデオにしても、ひとつかふたつの操作を知っているだけで、その他の操作を知りません。果たして、将来、「プレイ」という操作すら必要なくなってしまったら、どうすればいいのか、考えてしまいます。

──世界文化賞の演劇・映像部門では、イタリアのフェデリコ・フェリーニ、日本の黒澤明さんなどが受賞されていますが、受賞の感想は。

【ゴダール】ベルイマンをお忘れですね(笑)。とても奇妙な感じがするのは、私の親がもらった賞、それを私が貰うこと。とても奇妙な感じがします。ひとつ最後に申し上げたいことがあります。それはアメリカの連邦準備理事会のグリーンスパン議長の言葉です。「私が言ったことを皆さんがわかったのであれば、それは私が下手な表現で自分を語ったからだ」。

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