2002.10.23 ジャン=リュック・ゴダール | ||
インタビュー〈1〉
|
||
──昨年の9月11日以降、映画作家として現実の世界に対して、どのようにコミットしていくことができるとお考えですか。 【ゴダール】私は映画作家に過ぎません。映画を作ること以外に何かをすることはできません。ただし、次のことは言えるかもしれません。今年、一周年の追悼式があった時に、ワールドトレードセンターで亡くなった人たちの名前がすべて読み上げられたのに対して、飛行機の中で死んでいった人間の名前に言及されることはありませんでした。その点に関して、映画作家として関わっていくことが、映画の使命ではないかと思っています。 ──あなたが映画を作り続けるのはなぜですか。 【ゴダール】映画を作ること、それしかできないからです(笑)。映画は楽な作業です。目の前に機械があって、スタッフがいて、すべて彼らがやってくれます。小説だとこうはいかないでしょう。書くのはすべて自分ひとりでやらなければならない。ひとつ言えることは、歳をとるごとに、見ることの大切さ、聞くことの大切さ、そして映画を作ることの難しさがわかるようになってきたということです。 ──今一番、映像作家として興味を持っているテーマは? 【ゴダール】私の次回作は『ノートル・ミュジック』(『私たちの音楽』)というタイトルで、この作品を観ていただければ、今の質問の答えがよくおわかりになるのではないでしょうか。抽象的に、二言三言で説明するなら、三部構成で、第一部の題名は「第一王国(地獄)」、第二部は「第二王国(煉獄)」、第三部が「第三王国(天国)」になっています。これで大体どういうものなのか、想像していただきたいと思います。もし言葉で皆さんに描写することが今できるとしたら、私は映画を作る必要がないということになってしまいますから。 ──あなたは以前、「中国の文化大革命が、自分を商業映画と決別させた」とおっしゃったそうですが、そのことについてお聞かせください。また今の中国をどのようにご覧になっていますか。 【ゴダール】一九六八年当時、フランスでは、重要な社会的文化的な事件が起きていました。その時、私は映画を作り始めて十年ほどになっていましたが、今までと同じようなやり方で続けることが、果たして正しいのかどうか、考えるようになりました。そして、私は少し離れ、孤立していきました。しかし、その後、以前とは違うやり方で、普通の映画の世界に戻っていくことを試みました。それは多少なりとも成功したと思います。いわゆる一般の観客(もちろん、一般の観客と言っても、私の映画を見る人は非常に限られていますが)向けの映画と、本当の意味での研究・探求と言える作品をよりうまく分けて作れるようになったからです。この研究の映画の方は、ほとんど人に見てもらえないような映画です。最近、七、八本、そういう傾向の映画を作りましたけれど、ほとんど人に見てもらっていません。 ──商業主義的なハリウッド映画が世界を席巻している現状についてどう思われますか。 【ゴダール】アメリカ映画の支配ということ、それは私にとっては不可思議なミステリーです。ヌーヴェル・ヴァーグの時代、私たちは、あるカテゴリーのアメリカ映画を支持してきました。ヨーロッパ映画に対して、ヨーロッパ映画に反対するために、あるいは他のハリウッド映画に反対するために、あるカテゴリーのアメリカ映画を支持してきました。そのカテゴリーの映画は、「小さな映画」といわれていたアメリカのB級映画であって、初期のエリア・カザン、ニコラス・レイ、アルドリッチの映画です。そうした私たちの立場はかなり攻撃を受けました。しかし文学においても、『風とともに去りぬ』を書いたマーガレット・ミッチェルよりも、エドガー・ポーやメルヴィルの方を支持しているのと同じことです。ですから私が反アメリカ的だと言われると、少し笑ってしまいます。ハリウッドについては、今も私にとってはミステリーです。今日、ハリウッドは、昔と比べて、随分変わってしまいました。本当のプロデューサーは、もうハリウッドにはいない、ハリウッドにいるのはエージェントと弁護士ばかりです。ハリウッドはある種のやり方に成功したと思います。それは経済的な意味での工場と夢とを混ぜ合わせるやり方に成功したのだと思います。第一、ハリウッドは、長い間、「夢の工場である、しかし夢は工場で作られるべきではない」という批判を受けてきました。しかしハリウッドは夢の工場という、共産主義が成功しなかった試みに成功したのだと言えます。そしてなぜハリウッド映画が人の気に入るのか、私にも気に入るのか、それはわかりません。実際、私自身、金曜の夜や土曜日に映画を観に行く時、ノルウェーや日本の悪い映画を観に行くよりは、アメリカの悪い映画を見る方が好きです。これはすべての人について同じだと思います。悪いスウェーデン映画やギリシャ映画を見るよりは、悪いアメリカ映画の方が人々は好きで、それがなぜなのかはわかりません。 |
||
NEXT > | ||
|
||
[BACK] |