2005.12.13 中谷礼仁

おれにやらせてくれ、ビリー ── ガーデン・パーティの奇跡

クルーバーの個人的メモ「ガーデン・パーティー」[*1]には、奇跡的な瞬間がいくつか書き留められている。このメモは、彼がアートの領域にかかわりをもつことのきっかけとなった、あるイヴェントのプロセスを記録したものである。彼はそのイヴェントの2日後に、これを個人的なメモとして残していたのである。
そのイヴェントとは、スイス生まれの彫刻家のジャン・ティンゲリー(Jean Tinguely, 1925-91)が1960年3月17日夕方にニューヨーク近代美術館の中庭で行った、動く彫刻を中心にしたインスタレーションであった。その機械の「動き」はきわめて特色のあるもので、それはその機械彫刻が自壊するプロセスを披露するというものであった。クルーバーはこのイヴェントの技術的手伝い人として参加した時の経緯を、その記憶がまだ鮮やかなうちに書きつけたのであった。
このメモが奇跡だと筆者が思う理由は、ここに技術をテーマにした根源的かつ大変魅力的ないくつかのパラドックスが端的に提示されているからである。
その一つめは前提的なものであり簡単なものである。それは技術の目的がその技術みずからの再定義、変更(自滅、自壊)に向けられた時のダブルバインド(二重拘束)である。つまり機械の目的が「自壊」に照準を合わせられた途端に、その完遂は不可能になるということである。たとえば今ここに切腹しようとするサムライがいる。彼はすべての妄念を取り払い、いまや純粋に自壊の意志だけを遂行しようとしているという意味でもはや擬人的な機械である。しかし彼が一瞬の飛躍(スイッチのON)とともに短剣を自らの腹に打ち込んだ瞬間より、その意志の存在自体がきわめて危険な状態に陥る。耐えられぬ痛み、失血によって失せていく運動力、もうろうとする意識の中で、しかもなお機械はその純粋な意図を遂行しようとする。しかし遂行すればするほど、その意志は遂げられなくなってくる。意識も気持も運動力もその遂行に従って急速に低下していくからだ。その機械は目的の途中で、どうにもならなくなる。負のフィードバックの調和点においてその動きは停止する。とうとう目的は遂行できなかった。それゆえに切腹には介錯(かいしゃく)という、全くその機械内部とは非連続な外力によってのみ成就するのである。それゆえこのイヴェントは、単に自壊する機械の様をドキュメントするだけではなく、それ自体が不可能であることを指し示すことに第一の目的があったと考えるべきだろう。
とはいえ、このティンゲリーによるイヴェントとそれを記録したクルーバーのメモが語りかけるパラドックスとは、それだけではない。もしこのイヴェントの目的と成果がさきの「腹切り」と同じものであるとしたら、それは楽屋オチめいた、切腹のパラドックス理論の証明と確認だけで終わってしまったであろうから。それだけではイヴェント(出来事)とは呼べないのである。その成立の条件を見極めるためにも私たちはもう少しクルーバーのメモに近づこう。

クルーバーのメモは技術者である彼らしく、きわめて平易に明快に書かれている。プロジェクト開始のいきさつから始まり、製作段階の様々な廃品の「買い付け」の様子が魅力的に語られ、制作されるに従ってだんだんと明らかになるその構造、そしていよいよ当日おこった「こと」についての詳細な実況、そしてその後日談で構成されている。ニューヨーク近代美術館内のフラー・ドーム[*2]で準備されていたその「機械」は彼命名によるメタマティックという形而上的機械のシリーズであり、だいたい以下のような要素で構成されていた。

自転車の演奏アームをもつピアノ演奏以外の様々な役をこなすハブでもあるパーカッション化された自動宛名機械が飛び上がる紙製ロールに絵が描かれ気象観測用の気球に古い木製のラジオモーター付きの小型台車が自殺するアメリカ国旗の角に火をつけられたピアノはひっくり返る発煙筒の不快なにおいを放つ密閉されたボトルそしてラウシェンバーク製のコイン放出機に隠された炭酸ガス消火器[*3]

その形而上機械の構成要素は以前確かにそれぞれ自立した事物であったが、今はその痕跡を残しながら、様々なリンクがティンゲリーによって張られ、今や複数の新たな関係性を構築していたのであった。それでは当日のクルーバーの実況に移ろう。乱暴な抜粋を試みる[*4]

─1960年3月17日午後7時─
  1. 「さあ、やろうか、やろうか」と、ジャンが言った。
  2. 増大変圧器が搬送中に壊れてしまった。
  3. 私は青くなった。ピアノがやばい!
  4. ヒューズが飛んだのだ。
  5. ロールの紙は下には下りてこないで、逆に上に上がっていった。
  6. アームを動かすモーターが、さきほど直したとき、再度つなぎ合わされていなかったこと。
  7. ジャンは笑っていた。
  8. 見当違いの方向に流れていくロール紙に、ビール缶が絵具を垂らして、長さ90cmほどの絵を描いた。
  9. 彼が万全に仕上げたアームは、機能してくれなかった。
  10. 最もストラクチュアの底部におかれた扇風機は、必ずしも役に立たなかったわけではない。
  11. ミンクのコートをお召しの淑女たちは、煙にさえぎられて何も見えなかった。
  12. パーカッションの要素は、申し分なく作動していた。
  13. ガソリンのバケツがひっくり返り…ピアノが燃えはじめる。
  14. 金銭放出機が、キラキラ光るお金をはじき出した。
  15. だがボトルは落ちてくれない。
  16. 気球がはじけてくれないこと。圧縮空気を入れたボトルは空だった。
  17. どこかおかしい。ロール紙の動きが鈍すぎる。
  18. 18分経過、ピアノの消火器が噴き出すはずだった。…焼けただれたゴムホースが消火器を詰まらせてしまっていたのだ。
  19. プールに飛び込んで自殺する台車は、3mほど転がっていった。
  20. 自動宛名印刷機が動き出した。…アームが空っぽのオイル缶を叩きはじめる。
  21. …結局それは、たった一度打ち鳴らされるだけのゴングとなった。
  22. 20数分後、金属が溶け、構造物ぜんたいがグニャグニャに崩れたけれど、完全に倒れることはなかった。
  23. ジャンは急に、ピアノの後ろの消火器が熱で爆発するのではないか、と心配になったらしい。
  24. ピアノの火は火事には当たらない、と裁定された。
  25. 消防士はようやく火を消しはじめた。その時でさえ、彼らは気がすすまないらしかった。
  26. ロバート・ブリアが勇敢にも、ピアノの下から木の支持材を崩した。…ピアノは後ろざまに倒れたものの、倒れはしなかった。
  27. ピアノから消火器を取り外すと、観客が殺到してきて、残骸を記念に持ち帰ろうとした。

おそらくティンゲリーの予想通り、そのイヴェントは彼らの技術的予想を裏切るハプニング続きであったことがよくわかる。彼は笑っていた(7.)。それこそが不可避的に彼が要請すべきものであったからだ。完全に自滅する機械の実現は端から不可能なのだから。日本語カタログに収録された「ガーデン・パーティー」の末尾には、結局自滅し切れなかったピアノの前に立ち、「彼」のピアノ線をつまんで−なにやらいとおしげさとは少し異なった−神妙な面持ちのティンゲリーの姿が掲載されている。確かにクルーバーがまとめているように、このイヴェントは当時の批評家の何人かが示唆したような、機械に対するプロテストとか、ニヒリズムと絶望の表現(さきほどの第一のパラドックスの再認に近い)だとは解釈しえない。クルーバーの言葉を借りるのなら「ジャンの機械は、私たちの生における瞬間の表象として、自らを創造し、破壊した」のであった。これが第二のパラドックスである。どういうことか。
さきほどの切腹の例に戻ってみれば、私が機械と人間の事例とを同様に扱ったことについて、機械と人間とは違うと反論される向きもあるかもしれない。しかし自壊するプロセスという遂行困難なモード下の状況においては機械こそが、「精神力」の低下なく、目的を遂行しようとするけなげな人間なのではないか。壊れていく機械に私たちはまず一抹のはかなさを感じる。しかしそれだけではおわらない。そのきわめて困難な状況においても志を遂げようとするその運動に、私たちはむしろ完全な生きようとした人間を見てしまうからである。自らを壊し続ける機械の果敢な運動が次第に弱まって、なお自壊の意志を示し続けながらも(おそらく小さいモーターとかが、伝達器が破壊された後も回り続けるのであろう)、ぜんまいのおもちゃが止まる寸前のような緩慢で運命的な停止を迎える。ティンゲリーの芸術家の意図としては、自己言及的パラドックスの状況に発生するそのような〈不格好な崇高〉を形成させることこそにあったのだろう。自壊する機械から最高の人間の状態が現われる。それゆえにこの作品は、その象徴たる場所としてのニューヨークに、純粋な愛情を込めて〈ニューヨーク賛歌〉と名付けられたのであった。

それでは開演当初から青くなっていた(3.)クルーバーは、このイヴェントからどのような見解を導いたのだろうか。もちろん、クルーバーの役目は廃品の探索と買い付けだけではなかった。それは当日の機械の作動中には、決してさわってはならないための、それにかわる装置の設定作業であった。様々な機能や要素は、あらかじめ設定された時差中継器によって発動させられるのである。つまりはクルーバーの役割は機械内部の物理的な技術連関が不能状態に陥ったとしても、それを外部から操縦可能にする非情の《介錯人》だったのだ。しかしこのイヴェント内部から理論的には切り離されていた完全者をもってしても、その立場は作動当初から早々と崩れ去ってしまった。それゆえに技術者たる彼は、想定できなかった彼の立場の崩壊によって、青くなってしまったのだ。アワくって直そうとした彼を止めるものがいた。ティンゲリーである。
「おれにやらせてくれ、ビリー」
という彼の言葉は、彼が今まさになされつつある出来事全体の後見人としての芸術家の役割をとてもよく示しているものに思う。それは完全な観察者であったはずの介錯人を越える何ものかであった。当日を回想したクルーバーはこう述べている。

「科学実験にも失敗ということがないのと同じように、このアートにおける実験にも、失敗はなかった。機械は機能を持つものではないし、そのようなものとして扱われたこともなかった。それゆえあのスペクタクルは、あれやこれが動いたか動かなかったか、といったレヴェルで判断されるべきではない。…私は彼の機械の一部だった。
…ジャンは自由を生み出すエネルギーを供給し、渾沌に対する支配者だった。そのエネルギーが放出されると、起こったことのすべては、ジャンが決めたからいいんだ、ということになった。スペクタクルの「ランダム」な要素、思いがけないなりゆき、あるいは制御された部分とのあいだに、どんな区別もつけられない。…このスペクタクルに、どんなパラドックスも、どんな問いも、どんな「ナンセンス」も、どんな優先事項も、どんな混沌も存在しえなかった。」(「ガーデン・パーティー」)

パラドックスを無効にするパラドックスが必ず存在する。これが3つ目のパラドックスであり、実はそれこそが芸術と呼ばれるものの本分だった。この発見が彼をアートに無限に近づかせる意志を持たせた(しかし彼は絶対にそのものになることはしなかったのであるが)。そしてこのイヴェントが彼にとってもティンゲリーにとっても後の重要な活動の証左となったことは疑いようがない。ティンゲリーはその後1ヶ月を経ずしてヌーヴォー・リアリズムに参加し、そしてクルーバーはE.A.T.を創設、先導することになったのである。

*1 同記述は2003年4月11日から6月29日にかけて再考されたE.A.T.の回顧展に伴って制作された同展カタログ『E.A.T. - The Story of Experiments in Art and Technology』NTT出版、2003に収録されている。大変貴重なカタログである。
*2 バックミンスター・フラー(1895-1983)の考案によるドーム。単位スペースフレームの一種で、球面に内接する正20面体の頂点で分割し、大円によって作られる球面上の三角形グリッドで構成された網目状のドーム。最小の部材長種類を用いて球面を構成していく方法である。きわめて科学合理的な構造と実現理論であり、がらくたの転用によるティンゲリーの作品と一見、好対照をなしている。
*3 同論文からの中谷の恣意的な抜粋と結合による。
*4 なお以下の記述はクルーバーの詳細な記述を当方が全く恣意的に取捨選択して構成したものであるので、ぜひクルーバー自身によるメモを直接参照されたい。


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