2004.10.14 中谷礼仁

デ・レ・メタリカ(金属について)

初出:『建築文化』2004年10月号 12頁

金毘羅境内・本宮横の現地を見に行った。山の傾斜に沿うように地層を張り出したかのような、造成工事を含む長い建造物である。その半分以上は地下にある。その敷地途中に、なにか陥没事故でもあったのかと一瞬戸惑う土塊状の「中庭」がある。大木が昔からそこにあったように二本、空を覆っている。この木もずれ落ちてきたのだろうか。そこを滑り落ちていくと、斎館棟の地下階に至る。その中央で屈曲しているたまりが「ラウンジ」と呼ばれているのだが、そこに偶然、鈴木了二が立っていた。上部の地盤面、長手方向一列に亀裂が走っていて、それが「トップライト」になっている。その表現はあまりに人文主義っぽいので、断層というべきか。建物が割れている。いずれにせよ応力がたくさん働いていそうで、それだけで緊張感があるし、人間が作った感じがしないところがちょっとある。

亀裂からの陽光の下、各室の天井と人工地盤面のスラブとの間に空隙があるせいで、予想以上にがらんとした印象のそのラウンジで、氏に挨拶をした。こういう時の開口一番は困るものである。うまい言葉が見つからず「古代に負けていませんね」と口走ってしまった。それが氏には、上階の木造和風部分の屋根反りについての「建築史研究者」からの指摘とうけとられたようだ。しかしながら誰だってこの建築に抱くにちがいない複雑な感情の束を、あえて一言で表現せねばならない時に、まさかそんな細部のみをあげつらう人はいないだろう、と思う[*1}。きちんと伝わらなかったと思ったので、それを書きたい。太古に負けていないというべきであった。深い洞穴に、小さい住まいが作られたかのように、人の空間は注意深く、後付けされたかのような仮設性を持って置かれている。

十年ぐらい前のことだが、鈴木は建築を、あらゆる国家よりも古いものだと述べた。それも専制国家が真っ青になるほどの精密な秩序が充満しており、「芸術」ばかりでなく、人類の営為という営為のすべて、というのは言い過ぎにしても、大概のものが「建築」を母胎にして生まれた、と言うのであ[*2]。この指摘に、当時、衝撃を受けた。今さら繰り返すまでもないが、建築史は国家の要請によって生じた後知恵でもあるので、そこに住みついている限り、鈴木のこの宣言の強度には太刀打ちのしようがないからだ。その宣言が、今まさに本当に完成してしまったようだと、まずは伝えたかったのである。

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そして同時に素晴らしい労働の図版がたくさん挿入された一冊の本のことを思い出していた。一五五六年に刊行された『デ・レ・メタリカ(金属について)』である。それは、近代技術の夜明けを告げる画期的技術書であったと同時に、当時のドイツの鉱業・治金技術の集大成であった。実学への精通、鉱山師の心得からはじまり、鉱脈や亀裂についての解説、測量、開掘方法、道具や機械の説明、詳細な加工法を経て、各種金属の分離、そしてガラスの製法までが網羅される。目の前にあるその建造物の作られ方を、想像してみると、むしろその当時の採鉱場の様子がありありと浮かんでくるのである。何か限られた素材から、分離され、精練され、たたき出されたような結果としての建造物。いや、むしろ何かをとり出してしまった跡としての採鉱場所か。ここの現場では、建築家はいわゆる「建築家」ではなく、建設業者もまた何かそれ以前の生業の姿をしていたのではなかろうかと思ってしまう。

木火土金水、世界は五つの元素でできていると昔の人は考えた。現在はこの説は覆され、元素は一一八に拡大してはいる。その進展は、ちょうど近代建築の進展にも似ている。さらに還元されたはずなのだが、皮肉にもその要素は増えてしまったのだから。それは先に指摘した亀裂と「トップライト」との違いのようなものだ。人間にしか意味のない微少な違いが、新しい事物を生み続けている。しかし、それらの射程はおおむね短く、私たちを貧しくする。それに比べてみれば、実感上も先の五元素の方が圧倒的な説得力を持っているのではあるまいか。この建築は、むしろ一一八から五への元素へと逆さに進んでいるように見えた。

そして、ちょうど下の宝物殿で同プロジェクトのエスキース展示をしているというので、行ってみることにした。土塊状の「中庭」がいつ生成してきたかを確認したかったのだ。どうやら最後の最後までこの中庭は決まらなかったように見えた。そしてある時いきなりその土砂が雪崩を打つように流し込まれたようだった。そしてとうとう、その土塊に最後まで残っていた地下通路、おそらく暗黒から空へと向うビスタを構成しようとしたそのトンネルも潰されてしまったようだった。その経緯を見て、ああ本当によかった、逆さに進んだと思った。もしこのトンネルが残っていたら、そこにはどうにも我慢のできない人間の臭いだけが立ちこめることになっていたろう。むしろ自然が作られたのだった。

*1  もちろんその屋根の姿は、たおやかなくせに加工精度も高いのでいきおい(切断感)もある。ちょうど中世の頃の名品のような感じだ。
*2  この指摘は複数存在するが、例えば「佐木島プロジェクトと映画」『建築文化』1998年12月

デ・レ・メタリカ

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『デ・レ・メタリカ』

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