そして同時に素晴らしい労働の図版がたくさん挿入された一冊の本のことを思い出していた。一五五六年に刊行された『デ・レ・メタリカ(金属について)』である。それは、近代技術の夜明けを告げる画期的技術書であったと同時に、当時のドイツの鉱業・治金技術の集大成であった。実学への精通、鉱山師の心得からはじまり、鉱脈や亀裂についての解説、測量、開掘方法、道具や機械の説明、詳細な加工法を経て、各種金属の分離、そしてガラスの製法までが網羅される。目の前にあるその建造物の作られ方を、想像してみると、むしろその当時の採鉱場の様子がありありと浮かんでくるのである。何か限られた素材から、分離され、精練され、たたき出されたような結果としての建造物。いや、むしろ何かをとり出してしまった跡としての採鉱場所か。ここの現場では、建築家はいわゆる「建築家」ではなく、建設業者もまた何かそれ以前の生業の姿をしていたのではなかろうかと思ってしまう。
木火土金水、世界は五つの元素でできていると昔の人は考えた。現在はこの説は覆され、元素は一一八に拡大してはいる。その進展は、ちょうど近代建築の進展にも似ている。さらに還元されたはずなのだが、皮肉にもその要素は増えてしまったのだから。それは先に指摘した亀裂と「トップライト」との違いのようなものだ。人間にしか意味のない微少な違いが、新しい事物を生み続けている。しかし、それらの射程はおおむね短く、私たちを貧しくする。それに比べてみれば、実感上も先の五元素の方が圧倒的な説得力を持っているのではあるまいか。この建築は、むしろ一一八から五への元素へと逆さに進んでいるように見えた。
そして、ちょうど下の宝物殿で同プロジェクトのエスキース展示をしているというので、行ってみることにした。土塊状の「中庭」がいつ生成してきたかを確認したかったのだ。どうやら最後の最後までこの中庭は決まらなかったように見えた。そしてある時いきなりその土砂が雪崩を打つように流し込まれたようだった。そしてとうとう、その土塊に最後まで残っていた地下通路、おそらく暗黒から空へと向うビスタを構成しようとしたそのトンネルも潰されてしまったようだった。その経緯を見て、ああ本当によかった、逆さに進んだと思った。もしこのトンネルが残っていたら、そこにはどうにも我慢のできない人間の臭いだけが立ちこめることになっていたろう。むしろ自然が作られたのだった。
*1 もちろんその屋根の姿は、たおやかなくせに加工精度も高いのでいきおい(切断感)もある。ちょうど中世の頃の名品のような感じだ。
*2 この指摘は複数存在するが、例えば「佐木島プロジェクトと映画」『建築文化』1998年12月
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