2004.06.12 王寺賢太

「狂牛病」フィーバー?

ウシ、ヒト、狂気、理性

初出 週刊『読書人』2000年12月18日

先月の末に大手のスーパーマーケットの流通網で「狂牛病」に感染した牛が発見され、商品回収の騒ぎとなって以来、この一月ほどのフランスはさながら「狂熱」(フィーバー)とでも言いたくなるようなちょっとしたパニック状態に陥っている。

日本でも数年前からカイワレダイコンがO157の発生元として疑われたり、雪印の牛乳が食中毒を起こしたりしてスキャンダルになっていた。しかし今回の主役はフランス人にとっては主食と言ってもいい牛肉であり、感染の可能性のあるクロイツフェルト=ジャコブ病も人間の中枢神経系を冒す「死に至る病」なので、老若男女、貧富の差を問わず(K=J病はきまって若い人に発症するとされているが)、自らが「死に向かう存在」である事実に突然眼ざめたといった具合なのだ。その過熱ぶりを示しておけば、パリをはじめ多くの自治体で小学校の給食から牛肉が消えたほか、フランス人の五人に一人が牛肉を食べるのをやめてしまい、中央卸売市場では、乳牛、肉牛の売り上げが40%近く落ち込んでしまったほどだ。

「狂牛病」という病気自体が科学的によく分かっていないこと、家畜の死肉や骨からできた飼料を使ってきた畜産業の構造的な問題があること、さらに市場に出る牛のすべてにチェックを行う手段が欠けていること、おそらくそれらが今回のパニックが増幅された原因だろう。科学的な知識にしても、畜産業の構造・システムにしても、一朝一夕に解決されうるような問題ではない。それゆえになおさら行き交う言葉は流言飛語の色合いを増すので、今回の「狂熱」(フィーバー)にもおきまりのドタバタ喜劇は欠けてはいない。大統領が「狂牛病」をめぐる「psychose 精神異常」を戒め、「lutte contre l'irrationnel 非理性に対する闘争」に向けて毅然と立ち上がったかと思えば、首相は「ヴェジェタリアンの国民をつくるわけには行かないでしょう」とカメラの前で牛肉をほおばって見せ、慌てて「もちろん私はヴェジェタリアンには大いに敬意を持っていますが」と付け加えている。売り上げ激減を嘆く農家は、肉付きのよい体躯にヒゲ面をブラウン管に現して「c'est completement bete, 完全にケダモノだ=馬鹿げてる、 c'est fou ! c'est fou ! 狂ってる、狂ってる!」と繰り返すので、見ているこちらは思わず爆笑してしまった。

しかしこういう人間の狂気は、まあ馴染み深いものだ。この一件で不気味なのは、やはり本来理性とか狂気とかいった範疇と無縁なはずのウシの「狂気」だろう。このウシの「狂気」はまた、イヌの「狂気」がそうであるような、人間に飼い慣らされた動物に回帰する野生とはちがっている。狂犬病のウイルスは自然に存在し、それに人間の理性が単純に対立すればすむものだが、狂牛病は、脂肪分から出来た乳の代用品や、成長を促進する家畜の死肉や骨を使って作られた飼料を与え続けたあげくに家畜に現れた、いわばあくまで人間的・理性的に生み出された動物の「狂気」であるからだ。

今回の「狂熱」(フィーバー)で印象的だったのは、動物性蛋白の飼料を即時撤廃することを求める大統領の提案に、エコロジストをはじめとして多くの反対が出たことだった。彼らは、死肉や骨の再利用をやめてしまえば、それらの焼却や埋め立てによって大気や地下水の汚染が起こること、また代替飼料としてアメリカから遺伝子操作を施した大豆を輸入する必要があることを反対の論拠として主張していた。このことは、畜産を含めた人間の再生産のサイクルが、すでに自然の再生産のサイクルを遙かに凌駕してしまっていることを意味しよう。そこでは単に「自然に帰れ」といった言辞はまったく無意味であり、あくまでも人間的・理性的にサヴァイヴァルの技術を磨いていくしかないということになるだろう。しかし一体、死肉を燃やせば煤塵が大気を汚染し、骨を埋めれば腐って地下水を汚染する、その家畜の累々たる死骸の量とはそもそもどれほどのものだろうか。

この記事を書くために読んだ記事や資料の中に、ひとつ気になるものがあった。それは、クロイツフェルト=ジャコブ病の血液による感染が心配されているため、北米では80年から96年までの間のイギリス滞在者の献血を禁じているという新聞記事だった。カナダでは、同時期のフランス滞在者にも同じ措置がとられているという。とすると私にも十分に狂牛病に感染している可能性があるというわけだ。そしてこの記事もまた、「狂熱」(フィーバー)にやられた病者の妄想にすぎないのだとしたら…?


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