2003.10.10 王寺賢太

アヴェイロンの百姓

ジョゼ・ボヴェと「もう一つのグローバリゼーション」

初出 週刊読書人連載「モナドの窓」 2000年7月14日

握り拳の両手にかけられた手錠を、少し薄くなりかけた頭上に高々かかげ、嬉々として笑っている男がいる。たっぷりした栗色の口ヒゲ、目尻に刻まれた太い皺、日に焼けて赤らんだ頬。手錠をのぞけば、なんの変哲もないこの無邪気な男の顔が、フランスのメディアを連日賑わせている。

写真の男の名はジョゼ・ボヴェ。フランス南部アヴェイロン地方で牧羊を営む百姓で、フランスの「百姓連盟」Confederation Paysanneのリーダーである。68年世代で兵役を忌避してアヴェイロンの山中で百姓を始め、軍基地の拡大に反対しながら、地元で小規模でエコロジカルな農業を進めてきた。ちなみに、彼の収入は月12万円足らずだという。ボヴェと彼の属する「連盟」が一躍有名になったのは、昨年の8月、彼らがミヨーの町に建設中のマクドナルドを「分解」したことによる。これは、ヨーロッパ共同体によるホルモン牛の輸入禁止の続行に対抗して、アメリカがフランスのチーズに100%の輸入税をかけるという手段をとったことに対する異議申し立てだった。カーニヴァル的な雰囲気の中で行われたこの「分解」に対して、地元の判事は直ちにボヴェほか「連盟」員四名を拘置する。問題の写真は、ヴァカンス先から急遽戻ったボヴェが裁判所に出頭して逮捕された際のものだ。

フランスの百姓のマクドナルド襲撃、という事件が昨年全国紙で報道された際、そのいかにも短絡的で楽天的なアクションに爆笑を誘われた僕は、ボヴェならずとも嬉々としたのだが、同時にそのシンボリズムがフランス的なアンチ・アメリカニズムに親和的であることに危うさを覚えた。事実、極右や右翼のスーヴレニスト主権論者たちはボヴェへのシンパシーを隠さなかった。だが、ジョスパン首相に「ターザン」呼ばわりされたボヴェたちの主張は、巧みにフランス・ナショナリズムのくびきをかわしながら国境を越えて支持を得ていくことになる。

彼らの主張の核心には、第一に世界通商機構に主導される商業自由化を最優先とするグローバリゼーションへの批判があり、それは一方で開発途上国の農業の保護・育成(フランスは世界第2位の食料輸出国でもある)に、他方で多国籍企業の資本投下による農業生産至上主義と食べ物の画一化への批判(La malbouffe! 「まずいメシ食わすな!」)に結びつけられている。さらにこの後者の論点は、遺伝子操作を受けた種子の散布や自然破壊をもたらす大規模農業への反対といったエコロジスト的観点から展開される。またフランス国内的に見て特筆すべきなのは、農協のコルポラティスムと一体となった国の大規模農業への援助を彼らが拒否する点で、往々にして福祉国家内部での政党政治に埋没しがちなフランスの社会運動には稀なアナーキスト的な立場が堅持されていることだ。ともあれ、引っこ抜かれたマクドナルドの看板と、手錠をかけられて嬉々とした笑顔のイメージに乗せられて、ボヴェと「百姓連盟」のメッセージは大きな反響を呼んだ。インターネット上での世界各国の社会運動の「短絡」的な結合の一つの成果が、世界の社会運動体の圧力を前にしての昨年末の世界通商機構による「シアトル・ラウンド」の失敗だった。

この6月30日に始まったボヴェほか九名の裁判は、マクドナルド建設現場の「分解」か「破壊」か、という争点をはるかに凌駕する出来事となった。それは、この裁判を期に、アンチ・グローバリゼーションの掛け声のもとにフランスの片田舎に世界各国の社会運動のメンバーたち2万人が集結し、議論する大規模な集会が開かれたからだ。アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカなど、参加者の顔ぶれは多彩であり、その主張もまた様々に異なっている。ただ、この集会が興味深いのは「食う」という最も身近な行為に焦点を当て、そこから農業という産業を商業的グローバリゼーションへの抵抗の観点からグローバルに再考しようとしていることだ。「食う」ことにせよ、「農業」にせよ、それは労働力の再生産にとって欠かせないリングであり、同時にある一定の空間と時間を占めずにはおかないという点で、商業を介した資本の自己増殖の速度には抵抗せざるを得ない「遅れ」を孕んでいる。このアヴェイロンの山中の集会が、その「遅れ」を肯定する者たちのグローバルな「短絡」の結果だとすれば、そこには確かに現時点における生産・交通手段の「ずれ」を逆手に取った「もう一つのグローバリゼーション」の可能性が開けているように思われる。嬉々とした百姓たちの知性に、しばらく注目してみたい。


(おわり)

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