2003.06.02 倉数茂

生成するテクネー ── 柳宗悦

 どのような作品も他の作品との比較においてしか作品ではありえない。それはちょうど、どのような技術も他の技術の転用・変形としてしかありえないのと正確に対応している。例えば日本の〈美〉を求めてさまよう『古寺巡礼』の和辻哲郎がくりかえし記述するのは、目の前の作品が必ず日本とは異なる地域の文物を想起させるという事態である。 「この天王の骨相は、明らかに蒙古人のものである。特に日本人として限定することもできるかも知れぬ。わたくしはこの顔を見てすぐに知人の顔を思い出した。目、鼻、頬、特に顴骨の上と耳の下などには、われわれの日常見なれている特殊の肉づきがある。皮膚の感じもそうである。しかしこれがシナ人でないとは断言はできぬ。ただインド人でないことは明らかである。発掘品から推測し得る限りでは、西域人でもないであろう。とすると、この種の写実と類型とは、少なくとも玉関以東で発達したものといわなくてはならない。」[*1]
 各地を巡って次々に「作品」に出会う和辻が見出すのは、つねに埋め込まれた他の地域、他の時代の痕跡であった。
 つまり、そこに作品が産まれるとき、孤立した自然な生成というものはありえない。どのような作品も、外部からの技術の移入、ときには技術者自身の移住からしか始まらない。だから芸術の(技術の)歴史とは──しばしば戦乱や飢餓によって追い立てられた──人間の移動の歴史である。そのようにいやおうがなく想起されてしまうここではない場所と時間のみがかろうじて「作品」を成立させるのであって、そうでなければ仏像ならば単なる礼拝的価値、器物なら使用価値しか持ち得ないだろう。
 だから日本の伝統工芸を賞揚する柳宗悦が、同時に他の地域の文化をきわめて高く評価することができたのは、多文化主義でも白樺派的ヒューマニズムですらなく、ひとつの論理を丹念にたどっていった結果に過ぎない。
 柳は、たとえば「くに」というものの固有性をみとめない。どのような「くに」も、文化的には他の地域との交通の産物だからである。「今日法隆寺や夢殿に残された百済の観音は、支那のどの作品に劣るであろう。またどの作品の模倣であり得よう。それらは、日本の国宝と呼ばれるが、真に朝鮮の国宝とこそ呼ばれねばならぬ。」[*2]「日本はかつて朝鮮の藝術や宗教によって、その最初の文明を産んだのである。」[*3]そしてまたどのような国家であれ、微細に視るならば多数の差異と独自性をはらんだ「郷土」へと分解してしまうからである。「器が材料を選ぶというよりも、材料が器を招くとこそいうべきである。民藝には必ずその郷土があるではないか。その地に原料があって、その民藝が発足する。自然から恵まれた物資が産みの母である。風土と素材と製作と、これらのものは離れてはならぬ。」[*4]
 「一つの器の背後には、特殊な気温や地質やまたは物質が秘められてある。」[*5]だから風土が無限に多様である限り、そこから産まれる民藝品も無限であろう。こうした、生成する作品のあいだにどのような階層ももうけまいとする柳の態度は、きわめてデモクラティックなものであるともいいうる。この観点をおしすすめるならば、日本という「くに」さえ散逸してしまい、ただアジアの無数の郷土が相互に影響しあい交通しているような差異にあふれた世界が見えてくるだろう。
 柳にとって(民藝)作品は、そのようにたえず変容し、交通しあう仮象としての「郷土」と本来的に結びついていた。それはその土地にすむ名もなく貧しいものたちの真正な自己表現──ただし個的な表現ではなく、伝統や共同体といった個を超えたものの表現なのであるが──さらにいえばその土地-自然そのものが自らを露わにする場と考えられていたのである。

 ところでジョルジュ・アガンベンによれば、古代ギリシア人たちは、自然の営みと人間の制作とを、ともにポイエーシスという語によって語っていたという。
「プラトンは『饗宴』の一節で、「ポイエーシス」という語の豊かな根源的響きがどのようなものであったかを述べている。すなわち、「ある事物を非存在から存在へと導くことができるあらゆる原因がポイエーシスである」。何かが生-産される、すなわち隠伏と非存在から存在という光へともたらされるたびに、ポイエーシスが、生-産〔pro-duzione〕が、詩が生じるのである。この広義の根源的語意において、あらゆる技芸──この語「アルテ」を用いるもの(芸術)だけに限られるわけではない──は詩であり、現存への生-産である。それと同様に、物を生産する職人の活動もポイエーシスである。そして自然(ピュシス)もまた、そのなかであらゆるものが自発的に現存へともたらされるかぎりにおいて、ポイエーシスの特徴をそなえているのである。」[*6]
 自然(ピュシス)も、人間による生産活動も、「ある事物を非存在から存在へと導く」という意味で同じポイエーシスである。ただ自然の生成と異なり、外部の原因を必要とするもの、すなわち「技術」(テクネー)によって生みだされるものがある。しかしテクネーは、職人の活動にも芸術家の創造にも等しく働いているものである。こうした考えは、柳にとっても好ましいものであったに違いない。
「想うに個人的天才たちは、自分の才能の上に立って仕事を致します。これに反し凡庸な工人たちは、自己の力量などに便り得る作者ではなく、与えられた材料を素直に受取り、己に任せずしきたりの作り方に任せて、迷いもなく狙いもなく、ただ作ってしまったに過ぎないのであります。それ故これを「他力的」な作り方と呼んでよいでありましょう。かくして凡ての仕事が、他力に支えられてなだらかに素直に自然に生れて参ります。」[*7]
 ここでいう「他力」とはいわばピュシスの生成力を信頼するということであろう。しかしその際にも、いやその時こそ「テクネー」(しきたりの作り方)が必要とされる。そのため伝統技術の衰退は、ピュシスの生成力をせき止めること、さらには自然そのものを見失うことを意味する。「しかし幸なことに、伝統は大きな他力となって、彼らを厚く守護致しました。」[*8]
 アガンベンが指摘するのは、ギリシアにおいて作品は人間の意志の表現としてあったのではないということである。作品はその作り手ではなく、彼が住まう世界の意味自体を開示する。
「要するに、ポイエーシスの本質的な性格とは、その実践的で意志的な過程の局面においてではなく、むしろその存在において、ヴェールを剥ぎとるという意味での真理の様態であったのである。人間の「行為」内部におけるこの区別をたびたび理論化したアリストテレスが、プラクシスにくらべてはるかに高い位置をポイエーシスにあてがおうとしたのは、まさしくこうしたポイエーシスと真理との本質的な近似性のためであった。」[*9]ポイエーシスとは「芸術作品のなかで何かが非存在から存在に到来し、そうすることで真理の空間を切り拓き、地上における人間の居住のための世界を築きあげることである。」[*10]
 こうした発想は、柳においても繰り返し語られるものだ。個人の意志以上に、ポイエーシスの本来性──美の真理?──を強調すること。
 「用の美」という、あまりにも著名な概念をみるがよい。「用の美」をモダニズム的な機能美、すなわち外的な必要性が美しい形態を決定するという発想と同一のものだと即断することは明らかに誤っている。用、すなわち使用において作品はその道具性に埋没する。用の美は単に見て美しく、触れて心地よいというだけのことではなく、個別の用具が水に溶けるようになめらかに日々の道具連関のうちに解消されてしまうことを指しているに違いない。ちょうど個々の工人たちが、跡形もなく技術の実践と伝承のうちに姿を消してしまうように。だがそのことによって、美的な対象としての作品は消えながら、生活そのものが美的な芸術として立ち上がる。そしてまた同様に社会(共同体)も美的な作品となる。美は距離をおいて鑑賞するものではない。それは美しき道具たちによって組織された生活として、日々、生きられるものとなる。そのようにしてテクネーは、「地上における人間の居住のための世界を築きあげる」。 
 しかしこのことは逆説的に、人間が、テクネーという土地-自然の潜勢力の発現の表面に浮かぶ、うたかたの泡のようなものに過ぎなくなってしまったことを示している。人間はそのようなどこまでも空虚で稀薄な〈主体〉として、生成する自然の現れに、すっかり自分をあけわたしてしまっている。いやテクネーこそが〈主体〉をとらえ、無数の分裂した身体動作の連なりに解体してしまうのだといってもいいだろう。器をつくるとき、私の腕はろくろの動きにあわせて勝手に動いているだけであり、筆をふるうとき、その筆は、自在に紙の上をすべっているだけである。
「常識では描き手があって絵を描くのだと申しますが、真実にはそうではなく、描く事が描いているのであります。つまりおのずから絵が絵を進めてゆくとでも申しましょうか。一遍上人が「念仏が念仏する」といわれたように、土瓶絵の場合も同じで、仕事が仕事をしてしまうのであります。」[*11]
 そのため人間は必要ではない。ただ相互に交流しあう技術の自己展開のみがあり、人間は、そこで一時的な代理人として現れては消えていく。そしてつくるものもつくられたものも一時の儚い影でしかないことが明らかになったとき、ピュシスの力である弥陀の称名──つまりはひたすら自己を遂行する完結したプログラム──の執拗な低い響きが聞こえてくる。

 だが真におどろくべきはこの柳のヴィジョンの美しさ、懐かしさではなく、これが、奇妙にもなぜかありふれた既知の光景としてみえてしまうことであろう。たとえば本ウェブに掲載されている「テクノロジーの盾と矛」という論考のなかで、津田佳紀は先般の「イラク戦争」が軍事技術の再生産というテクノロジーの内在的な必要性から遂行されたのだという観点を提示している。その過程で濫用された悪、正義、独裁者、敵や味方という表象ですら、テクノロジーの暴走を正当化するためにあらかじめ付与された政治的な仮象でしかなかった。とすれば、最初にあったのはテクノロジーだけであり、そのテクノロジーの都合によって巡航ミサイルが発射され、航空機が飛び立ち、戦車は砂塵をあげ、爆弾が投下され、人々は殺し、殺されていった(かのように見える)。
 資本主義という現下の人類にとって所与の「自然」──しかしそれはいうまでもなく歴史的なものでしかない──が推進するテクノロジーの自己展開に、私たちはいやおうがなく組み込まれている。その内部では、個々の動機や行為や欲望も、技術の展開のための一契機に過ぎない。テクネーがテクネーする。テクネーが限りなく自己を反復する。
 柳を批判的に引き継いだ保田與重郎は、テクネーとしての美の発現に、「日本」という表象を与えなければ気持ちが休まらなかった。これは保田が無方向に展開する技術のアナーキーをこらえ通せなかったことを意味している。その「日本」という表象が「戦争」にかわり、やがて「死」にまでのぼりつめるのは束の間のことだった。

*1 和辻哲郎『古寺巡礼』p48、岩波文庫、2002年
*2 柳宗悦「朝鮮の友に贈る書」、『民藝四十年』p37、岩波文庫、1998年
*3 前掲書p41
*4 「雑器の美」、『民藝四十年』p87、岩波文庫、1998年
*5 前掲書p87
*6 ジョルジュ・アガンベン『中身のない人間』p88、人文書院、2002年
*7 「法と美」、『美の法門』p212、岩波文庫、1999年
*8 前掲書p212
*9 アガンベン前掲書p102
*10 前掲書p104
*11 「法と美」p228
*12 前掲書p227

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