2004.02.11 伊藤洋司

70年代イタリア映画

映画大国イタリアを讃えたい。ハリウッドが成立する以前の1905、06年に、ローマやトリノではすでに映画製作会社が誕生していた。数多くの名作が生み出された1910年代、イタリアは間違いなく世界で最も重要な映画国家のひとつであった。マリオ・カゼリーニの『ポンペイ最後の日』、ジョヴァンニ・パストローネの『カビリア』『王家の虎』、アウグスト・ジェニーナの『さらば青春』などが特に有名だが、ここでは、ニーノ・オクシリアの『サタン狂詩曲』とエドアルド・ベンチベンガの『マリューテ』(Mariute)という不当に忘れられた二本の傑作に注目しておきたい。後者は短篇だが、一度見たら二度と忘れられない作品である。トーキー期に入ってもイタリア映画は、マリオ・カメリーニ(『身勝手な男』『紳士マックス』)やアレッサンドロ・ブラゼッティ(『鉄の王冠』)といった実力者が活躍し、繁栄し続ける。しかし、イタリア映画が再びその真の重要性を世界に示すのは、ロベルト・ロッセリーニの出現によってである。

イタリアン・ネオレアリスモの代表的存在であるロッセリーニは、『無防備都市』や『イタリア旅行』などを撮って、20世紀の映画史に決定的な影響を与える。しかし、傑作『黒い魂』を撮った後、彼は映画の死を宣言し、劇場用映画の製作をやめてしまう。勿論この後も『救世主』など重要な作品をテレビのために撮り続けるのだが、1963年のこの宣言は刺激的な問題を提起しており、見過ごしてはならない。

ロッセリーニ以降も、イタリアでは数多くの才能ある映画監督が活躍している。その伝統は現在にまで引き継がれ、ナンニ・モレッティの『息子の部屋』やマルコ・ベロッキオの『母の微笑』など素晴らしい作品が相次いで作られている。なかでも、現在最も注目に値する監督としてマリオ・マルトーネの名を挙げておきたい。『ナポリの数学者の死』『煩わしい愛』(L'amore molesto)『戦争のリハーサル』などで有名な彼は、確実に現代映画の最先端に立っている。

こうしたイタリア映画の豊かな歴史のなかで、1970年代は独特な位置を占めている。黄金期も過ぎ、産業的には衰退の道を歩みながらも、重要な作品は数多い。例えば、ベルナルド・ベルトルッチの『暗殺の森』、ミケランジェロ・アントニオーニの『さすらいの二人』、ピエル・パオロ・パゾリーニの『ソドムの市』、ルキノ・ヴィスコンティの『イノセント』、フェデリコ・フェリーニの『カサノバ』、エルマンノ・オルミの『木靴の樹』、ジャン=マリー・ストローブ&ダニエル・ユイレの『雲から抵抗へ』、マルコ・ベロッキオの『虚空への跳躍』など、有名な映画が次々と思い浮かぶ。しかし、ここではむしろ、当時から評論家の高い評価を得ていたこうした監督たちの作品ではなく、不当に軽視されてきた大衆映画に注目したい。世界的に見ても、この時期、日本映画では日活ロマンポルノと東映の実録ヤクザ路線に活力があり、アメリカ映画ではロジャー・コーマン第二世代の監督たちが活躍し、ホラー映画から次々と才能ある監督が現れた。同様に、イタリア映画でも、当時最も才気に溢れていたのは大衆的なジャンル映画なのだ。そして近年、当時のイタリア大衆映画を再評価する気運が世界的に急速に高まっている。

イタリア大衆映画の歴史はジャンル映画の歴史である。しかし、ジャンルの数は多く、70年代に限ってもここでその全てに言及することはできない。以下、主要なジャンルだけを取り上げることにする。

マカロニウエスタンは、60年代半ばから70年代半ばにかけて大量に撮られたイタリア製西部劇のことである。セルジオ・レオーネの『荒野の用心棒』のヒットをきっかけに大ブームとなったこのジャンルは、60年代後半を最盛期としている。実際、マカロニウエスタンの代表作というと、セルジオ・レオーネの『ウエスタン』、セルジオ・コルブッチの『殺しが静かにやって来る』、セルジオ・ソリーマの『復讐のガンマン』、アントニオ・マルゲリティの『そして神はカインに語った』(E Dio disse a Caino)といった映画がすぐに思い浮かぶが、これらはみなこの時期に撮られた作品だ。一方、70年代前半はこのジャンルの衰退期であり、作品の質は低下していると言わざるを得ない。しかし、それでも注目に値する映画が幾つも撮られている。例えば、セルジオ・コルブッチの『J&S さすらいの逃亡者』は、狂おしくどこか切ない美しさが胸を締めつける作品で、このような映画は本家のアメリカでも決して撮られたことがない。同じくコルブッチの『進撃0号作戦』やセルジオ・レオーネの『夕陽のギャングたち』も忘れがたい味わいの秀作だ。また、作品の評価は分かれるが、チェザーレ・カネヴァリが『マタロ!』(Matalo !)というマカロニウエスタン史上最大の異色作を撮っている。コメディ調の作品が多くなるなど、ジャンルの最盛期にはなかった要素を幾つも取り込みながら、マカロニウエスタンはこの時期最後の輝きを放ったのだ。

最も70年代的なジャンル映画はジャーロである。ジャーロはこの時期を中心にイタリアで数多く撮られたスリラー映画のサブ・ジャンルで、極めて暴力的でしばしばエロティックな描写を特徴としており、特に若い女性が狙われる連続殺人事件を語っている。ジャーロはイタリア語で黄色を意味し、当時イタリアで流行ったスリラー小説の叢書の表紙が黄色だったことから来ている。このジャンルを代表する映画監督はマリオ・バーヴァとダリオ・アルジェントだ。まず、バーヴァが60年代に『知りすぎた少女』と『モデル連続殺人!』を撮ってジャンルの先駆的存在となるが、ブームに火がつくのはむしろアルジェントが1970年に撮った『喜びの毒牙』によってである。アルジェントはその後も70年代に『わたしは目撃者』『4匹の蝿』『サスペリア PART2』、80年代に『シャドー』とジャーロを撮り続け、世紀の変わり目にも『スリープレス』を撮って、遠い過去のジャンルになったはずのジャーロへの強いこだわりを示している。このジャンルの巨匠としてはもう一人、セルジオ・マルティーノを忘れるわけにはいかない。彼の『ワード夫人の奇妙な悪徳』(Lo strano vizio della signora Wardh)と『影なき淫獣』は文句無しに素晴らしい映画である。70年代のジャーロの代表作としては、ダリオ・アルジェントとセルジオ・マルティーノの作品、マリオ・バーヴァの『血みどろの入江』の他に、エミリオ・P・ミラグリアの『イヴリンが墓から出た夜』(La notte che Evelyn usci dalla tomba)、ルチオ・フルチの『幻想殺人』、マッシモ・ダラマーノの『ソランジェ 残酷なメルヘン』などが直ちに挙げられる。

70年代には暴力描写の激しい刑事アクションが多く作られていることにも注目しておきたい。都市を舞台にしていることと、権力の腐敗を告発する左翼的な物語が多いことが、その特徴である。ドン・シーゲルのアメリカ映画『ダーティハリー』のヒットに影響されて成立したジャンルだ。主要な作品としては、フェルナンド・ディ・レオの『ミラノ9口径』(Milano calibro 9)、ステファーノ・ヴァンツィーナの『黒い警察』、ウンベルト・レンツィの『ミラノ殺人捜査網』、セルジオ・マルティーノの『イタリアン・コネクション』などが挙げられる。

最後にホラーを取り上げたい。イタリアのホラー映画は60年代から80年代までに極めて多くの秀作を生み出した。このジャンルの代表的監督は、ジャーロと同じくマリオ・バーヴァとダリオ・アルジェントである。マリオ・バーヴァが1960年に撮った処女作『血ぬられた墓標』は、イタリアのホラー映画の革新を告げる重要な作品だ。続いてバーヴァは60年代に『白い肌に狂う鞭』『呪いの館』といった秀作を撮り、70年代には『リサと悪魔』などで才能を発揮した。ダリオ・アルジェントは、バーヴァの美学をさらに洗練させるような形で、自分のスタイルを研ぎ澄まし、20世紀の映画史において最も特異な美学を完成させるに至った。ジャーロでデビューしたアルジェントは1977年の『サスペリア』でホラー映画に乗り出し、続いて1980年に傑作『インフェルノ』を撮る。70年代のホラーの代表作としてはバーヴァとアルジェントの作品の他に、ジョルジョ・フェローニの『悪魔の微笑み』、ルネ・カルドナ・Jrの『バミューダ三角地帯』(Il triangolo delle Bermude)、ルチオ・フルチの『サンゲリア』などが挙げられる。60年代に比べて70年代のホラーは、残酷描写が極端に激しくなり、血の噴出や身体の変形、切断を直接的に描写した。心理的恐怖よりもむしろ、死と身体の問題のほうが重要になってきたのである。

このように、70年代イタリア大衆映画は秀作の宝庫である。そこには主要な特徴が二つある。まず、セックス&バイオレンスの強調。性表現と暴力表現のタブーから解放されて映画は70年代前半にこれらの表現をエスカレートさせていく。こうして今までにない新しい表現を得て映画製作が活気を帯びる一方で、性と死が映画にとっていかに重要な主題であるかが改めて明らかになってきたのである。

次に、おびただしい引用、リメイク、パロディがある。マカロニウエスタンはアメリカの西部劇を横取りしたものだし、『ダーティハリー』と同類の映画が数多く作られて、それだけでひとつのジャンルを形成してしまう。アメリカ映画がヒットすると大抵そのパクリ映画が製作されることになる。これらは単なる模倣ではなく、性質が大きく変化し、本家とは異なる独自の世界を作り出すものである。実際、70年代イタリア大衆映画は、その独特のいびつな美学によって異彩を放っている。

黄金期のハリウッドのB級映画が映画史において重要な役割を果たしたように、70年代イタリア大衆映画もまた映画史に大きな衝撃を与えた。古典映画から遠く離れたこれらの映画は、真に新しい美学の可能性を秘めている。今、世界中の若いシネフィルがこれらの映画に向けている熱い眼差しを思えば、このことは容易に納得できるだろう。


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