2003.02.21 伊藤洋司

ゴダールはいまどこにいるのか

既成の映画システムのなかに入り込み厄介な手続きを経なくても、映画が好きであれば誰でも映画が撮れる筈だ、と考える若者はどんな映画を撮るのか。スタジオのセットを使わなくても、現実のパリでロケ撮影すればよい。ゲリラ的なロケ撮影では、ショットを細かく割るわけにはいかないので、長回しのショットが中心になるだろう。手持ちカメラを使うのが便利であり、画面がぶれても構いはしない。しかし、録音はどうするか。技術の発達は軽量で高性能な手持ちカメラを生み出したが、録音機材はまだかなり重い。同時録音は無理なので、言葉を発する口元を真正面から撮るのはできるだけ避けたほうがいい。こうして人物はしばしば背後から撮られることになるだろう。

既成の映画文法を次々と覆し映画史に衝撃を与えたジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』は、このように生まれた。決して、素人が闇雲に撮ったわけでも、反抗のための反抗によって動機づけられていたわけでもない。『勝手にしやがれ』に代表されるヌーヴェル・ヴァーグの美学は、「映画が好きであれば誰でも映画が撮れる」という信念に基づきながら、現実の条件と密接に結びついた地点で生み出されたものであった。

ヌーヴェル・ヴァーグに関しては、それがシネフィリーの運動であり、シネフィルで映画評論家でもある若者たちの運動であったこともまた、忘れてはならない。ゴダールをはじめとする「カイエ・デュ・シネマ」誌のメンバーは、まずシネフィルとして、自分の映画に様々な映画を引用しながらそれらへのオマージュを表明し、さらに評論家として、映画史の認識といった批評的意識を作品に反映させた。

このようにしてヌーヴェル・ヴァーグは、映画をめぐる環境の変化に対応しながら、二十世紀後半の映画美学に決定的な影響を与えたが、六十年代のゴダールに関して言えば、重要な要素がさらに二つ挙げられるだろう。まずはアンナ・カリーナの存在であり、不幸な結末に終わる私生活での関係を暗示するかのように映画の終わりでしばしば死んでしまう彼女は、映画に実存的重みをもたらし、グリフィスの映画におけるリリアン・ギッシュのような役割を果たした。

もうひとつはフランソワ・トリュフォーとのライバル関係である。山田宏一氏が見事に指摘したように、二人の映画はしばしば対になっている。つまり、トリュフォーの『突然炎のごとく』にはゴダールの『はなればなれに』が、トリュフォーの『柔らかい肌』にはゴダールの『恋人のいる時間』が、『華氏451』には『アルファヴィル』が、『暗くなるまでこの恋を』には『気狂いピエロ』がそれぞれ対応しているのだが、互いに刺激し合うこの関係が両者の作品に与えた影響は無視できない。六十八年の五月革命が終わった後のトリュフォーの歩みが、ゴダールには裏切りにしか思えず、二人は永遠に袂を分かつことになるのだが、七十年代においてもゴダールが最も意識していたのがトリュフォーであることは間違いない。

トリュフォーとは対照的に、ゴダールは五月革命を契機に商業映画と縁を切り、政治映画の時代に入る。過激化したゴダールは、既成の映画製作システムを完全に否定するだけでなく、物語を否定してほぼ解体し尽くし、映像と音の統合といった既成の映画が自明とみなす事柄の虚構性を次々と告発していった。『ヒア&ゼア・こことよそ』を考えてみよう。この映画では、「ここ」(パリ)でも「よそ」(パレスチナ)でもなく「ここ」と「よそ」を繋げる「と」こそが重要なのだと主張され、大きな影響を与えたが、ここで注目すべきなのは、フランス語で「と」に対応する単語「ET」が画面に大きく現れ、二方向から交互にライトがあてられていたことである。これほど出鱈目な画面がかつてあっただろうか。映画を支えている画面というものの貧しさ、無意味さをあからさまに見せつけるこのショットに人は真剣に驚かなければならない。それなしには、七十年代のゴダールの有効な読解は不可能であり、映画に溢れかえる政治的、理論的言説を分析するだけでは、決してその本質には辿り着けないのである。

この時期、ゴダールは「政治映画を政治的につくる」というテーゼを掲げていた。誰も注目しないことであるが、撮る内容と撮り方が一致しなければならないという考え方が根底にあるこのテーゼは、いかに過激に見えようとも、現実的条件と美学が密接に結びつくゴダール的態度の延長なのである。つまり、製作条件、製作のあり方が、作品の内容、主題と結びつき一致しなければならないということである。

しかし、七十年代末にゴダールは変貌する。五月革命を契機とするゴダールの変貌が語られることはしばしばあるが、真剣に論じられねばならないのは、実はこの七十年代末の変貌である。『勝手に逃げろ/人生』を撮影しながら、ゴダールは商業映画の地平に復帰するのであるが、この時起こる美学上のある決定的な変化を無視してはならない。高性能な機材を揃え、光が悪いと言って撮影をやめたりしながら、光と影を繊細に捉えようとする八十年代以降の贅沢なゴダールは、現実的条件との密接な関係のなかで美学を紡ぎ出していたかつてのゴダールとは大きく異なっている。ヌーヴェル・ヴァーグの運動は、決して画質の追求ではなかった筈だ。勿論、この変化はただちに否定されるべきものではない。しかし、世紀の境に撮られた『愛の世紀』の一番の美しさは、やはり、製作費が足りないからという理由で映画の後半をデジタル・ビデオで撮ることに決定する時に生まれるのではないだろうか。そもそも、『ヒア&ゼア・こことよそ』で「ET」のショットを撮ってしまった者が、何故いまさらこのような「美的」な画面を平気で撮れるのだろうか。

また、八十年代以降のゴダールの姿勢にはいくつか曖昧な点があることに注意しよう。まず、ヌーヴェル・ヴァーグは製作、配給面で問題を残したとトリュフォーが指摘しているが、ゴダールはこれとどのように決着をつけたのか。商業映画を否定して政治映画を撮っていたゴダールは、何故またここで商業映画の世界に戻ったのか。確かにゴダールは非商業映画も撮り続けているのだが、真に重要なのはこの上映機会の少ない映画のほうなのだとでも、涼しい顔をして言うのだろうか。パリではなく、辺境と言ってよいスイスのレマン湖畔のロールに拠点を置くということに、彼の姿勢は示されてはいるが、それだけでは全ては解決されない。

さらに、七十年代には物語に対して否定的な態度を取り続けたが、この態度はどう変わったのか。相変わらず物語に対して距離を取り続けているし、物語を否定した非商業映画もあるのだが、映画のなかで物語の占める位置が相対的に大きくなったことは事実である。それならば、物語の積極的な価値が何らかの形で認識されている筈だが、それはゴダールにおいて曖昧なままである。ゴダールは、物語性の比較的強い『カルメンという名の女』を撮った後、過激に物語が解体される『ゴダールの探偵』を経て、物語が極端に貧しい形でしか提出されない『新ドイツ零年』へと至らざるをえない。すなわち、乱暴に言えば、六十年代から七十年代にかけて辿った過程をもう一度反復するしかないのである。

とはいえ、八十年代のゴダールはやはり世界映画の最前線にいたのだろう。『カルメンという名の女』が『気狂いピエロ』の一種のリメイクであったように、八十年代の作品は、七十年代を括弧に括ってしまえば、六十年代の作品のいささか優雅なヴァリエーションであると言え、様々な興味深い問題を提起してもいた。しかし、八十年代末にゴダールは再び変容を示す。ビデオを用いて映画史をモンタージュする作業を開始し、『新ドイツ零年』ではドイツの歴史を問題にするなど、歴史という観念が重要な役割を果たし始めるのだ。物語と厄介な関係を結ばずにはいられないゴダールがイストワール(物語=歴史)が持つ二つの意味の片方からもう一方へ力点をずらしたと言えるのだが、この変容によっても物語の問題は本質的には解決しないことに注意しなければならない。歴史の問題を扱ったところで物語から逃れられるわけではないのだ。『愛の世紀』で、歴史と物語の問題がリンクし二重の困難が問われているのは、だから必然的な事態なのである。さらに、歴史の問題を重視することにより、九十年代のゴダールはより観念的になってきている。ゴダールは常に個別的なひとつの状況、ひとつの物語を観念より優先してきたが、今や、観念的な次元での問題意識を重視する傾向が見られるのだ。こうしてゴダールは以前とは異なる領域に辿り着こうとしている。

はっきり断言すべきではないだろうか。ゴダールが最も偉大であったのは、『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』を頂点とする、五十年代末から六十年代末までの時期であると。近年のゴダールの弱さについて付け加えるならば、アンナ・カリーナとフランソワ・トリュフォーの不在が大きいだろう。現在事実上の妻であるアンヌ=マリー・ミエヴィルの存在は、一方ではアンナ・カリーナとアンヌ・ヴィアゼムスキーの、他方ではジャン=ピエール・ゴランの衰弱した反復にすぎない。ミエヴィルとの共同作業は、それでも最初のうちは重要な成果を出していたが、関係が長期化するにつれ、怠惰なものになっていった。また、トリュフォーが亡くなり真のライバルを失ってからのゴダールは、外からの大きな刺激を失って、次第に活気を無くしていくように見える。

映画の黄金期が終わり映画をめぐる環境も変わってきた二十世紀後半に、ゴダールを中心とするヌーヴェル・ヴァーグは、新たな状況に対応する新たな美学を打ち出して、映画史に決定的な影響を与えた。しかし、二十一世紀を迎えた今、ゴダールは映画の最先端にはもういない。勿論、ゴダールの映画は今でもいつも圧倒的で、世界的なレベルに達していることは間違いない。しかし、ホウ・シャオシエンの『ミレニアム・マンボ』とアッバス・キアロスタミの『テン』に加えて、ツイ・ハークが『ドリフト』を、ジョン・カーペンターが『ゴースツ・オブ・マーズ』を、デヴィッド・リンチが『マルホランド・ドライブ』を、ジョニー・トゥが『ザ・ミッション 非情の掟』を撮る現在、ゴダールの『愛の世紀』は完全に年老いている。だから、映画の二十一世紀を迎えるために、ゴダールの限界を確認しつつ、いささか唐突ながらここに「カーペンター、アルジェント、ツイ・ハーク主義」を宣言して、この文章を終えることにしたい。


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