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H/a・shi・mo・toに気をけろ

倉数茂

橋本くんには、いつも歩きつづけているような印象がある。
それは彼がゆっくりと変わっていく人だからかもしれない。
やや俯き加減で、大またに足を運ぶ男。
なかなか気づけないのは、その何気ないそぶりに仕込まれたたくらみだ。

彼のPCには、古今東西のあらゆる名画の画像がいっぱいにつまっており、彼が持っているかばんを開くと、めったに書店では手に入れることができない、貴重な画集の数々がばらりと溢れ出す(彼はそれを「特別価格」で僕らにわけてくれる)。彼にはどこか練達の行商人めいたところがあって、あちこちの奇妙な場所から携えてきた、新たなイメージやアイデアをおしみなく投げ出してみせる。そのため、彼が姿を見せると、今日は何を持ってきたのかと周囲の人間がむらがることになる。
ところで行商人というのは、いつ現れるのかわからないからこそ待ち遠しい。橋本くんもまた、ふらりときてはふらりと去っていく。彼と会う約束をしても、いつやってくるのかは誰にも予測することができない。ふと気づくと彼はすでにその場所におり、僕らが気づく前にいつのまにか姿を消している。おそらく、彼が興味を持っているのは、異なる場所と場所、時間と時間、人と人を結びつけることである。そのために彼は、精妙に人と事物との関係を測る。というのも、人が見るのはいつでも絵と絵との関係や、人と自分との関わりであって、一枚の絵や、一人の人間を認識することなどできないと彼はよく知っているからだ。

彼にとって敵となるのは、絵は絵であり、美術は美術であるといった単純な思い込みだ。この敵と戦うための武器のひとつが、彼自身の身体となっている膨大な美術アーカイヴである。彼はこの生きた知識を使って、思わぬやり方でイメージや事物を関係づけたり引き剥がしたりし、時には壁を作って隔てたりする。 それはとても洗練されているので、観客はしばしば自分がひとつの美術作品を見ているのだと思い込んでしまう。だけどそれは誤解である。橋本くんはもっとおそろしい人なのだ。見る、というたやすくあっけないことが、実は、ひどくあいまいで脆いものであること。作品がぼそりと呟くこのメッセージに、気づいた瞬間、思わず立ちすくむ。
充分に時間をかけて、虚心坦懐に彼の作品と向かい合ってほしい。そこに、何やらぎろりとしたものを認めるとき、足元をすくわれているのは僕たち観客の方なのだから。