明るく好奇心旺盛な新妻、直子を主人公に、マンモス団地と隣接するバタヤ部落が舞台となる。堅実な夫との近代的生活と、犬を連れ、盲目の少女とともに暮らすバタヤ、伊古奈との間で、いかに生きるべきかを問う「彼女」の価値観が次第に揺れ動いていく様が描かれている。「フィクションを設定すること自体の中に、すでに考え方があらわれている」と羽仁自身が言うように、この映画においてはあらゆる状況設定に作者の意思が行き届いている。次々に起こる断片的な出来事の連なりは、斬新なショットや音使いとともに、当時の社会意識をも反映させながら、物語が展開してゆく。リアリティとは、断片化されたフィクションを構成することによってはじめて得られるものである。つまり現実を観る方法とは物語を構成する技術である。これはまさにドキュメンタリーの姿勢そのものでもある。伊古奈役にシュルルポルタージュの画家、山下菊二が選ばれたことも特筆に値する。
 
   
山下菊二
1919年徳島県に生まれる。38年、上京して、福沢絵画研究所に入る。49年、美術文化協会の会員になるが、翌年、退会。以後、多くの会を結成、あるいは参加。52年、小河内村へ行き、ダム反対闘争。以後、松川裁判、安保闘争、狭山裁判などに加担。75年、筋萎縮症と判断される。86年、死去。権力や差別、天皇制や庶民意識の問題と向かい合い、渾沌たる現実をシュルレアリスムの方法で戯画化したり、ルポルタージュ絵画を創案して、事件を紙芝居化するなど、その絵画は、戦後史の証言ともなる重要なものである。代表作に《あけぼの村物語》(53)《見られぬ祭》(65)《葬列》(67)《転化期》(68)など。
 
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