岩波映画製作所に改名後初の作品。その年の文部大臣賞を受賞し当時業界でのヒット作となる。この作品で羽仁進は脚本担当の一人として、初めて映画製作に参画する。1947年に新たに創設された「社会科」のための教材映画で、衛生改善のためにハエ撲滅を訴えるという教育映画。保健部児童によるハエ退治への姿勢は、熱心な生態観察へと突き動かされ、そしてその眼は、学校や地域の環境、ひいてはハエを生み出す社会構造へと向けられていく。それは、映画というメディアによって発見された観察法が人々の意識を変えていくという、岩波映画創設者中谷宇吉郎の考えた、科学映画の可能性そのものを表した作品といえるのではないだろうか。ただ、ここではまだカメラは子供たちを自由に「観察」してはいない。彼らが、このハエたちのように生き生きとした映像となるには、『教室の子供たち』を待たなければならないだろう。
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