THE PERFECT STRANGER 声明文
〜パーフェクト・ストレンジャーは死の匂い〜

tnwh 高木生

諸説いろいろありますが、一般的に言ってロックは1950年代のアメリカで生まれたとされているようです。戦勝国アメリカが達成したゆたかな社会は、同時に、そこに違和感を持つ若者という集団を発生させることにもなりました。以後、争乱と緊張の時代にかけて、繁栄する社会が却って抑圧する自由と幸福を求めた彼らの抵抗は、ロックと呼ばれる音楽のイメージにも色濃く反映されていきます。リズムやハーモニーといった音楽の理論よりも、そのような世界の外部を求める衝動において、それまでのポピュラー音楽との違いが認識されていたのかもしれません。そうであるなら、それは格別新しいものでもなく、窮屈な社会を絶えず変革してきた、文化の運動の連なりのひとつとして考えられるのではないでしょうか。

ところで冷戦も無事終結し、世界はひとつのグローバルスタンダードで覆われるようになりました。この世界に外側がなくなったことで、革命の音楽としてのロックは、その役目を終えたようです。格差や貧困といった不連続と無力を強調する言葉が飛び交うようになり、若者というどこか牧歌的な呼称を持つ階級は解体されました。切り離された個人にとって、制度化された音楽に私的な慰撫以上のものを期待するのは虚しいことでしょう。出口のない閉塞感の中、切羽詰まった暴力の氾濫に為す術のない私は、一息つくため、ひとまずトイレに入って頭を冷やすことにしました。

たちどころに私が気付かされたことは、前に使用していた者の物が残して行ったと思しき匂いが、その室内に濃厚に立ちこめていることでした。この匂いに不快感を覚えること、私もまた人後に落ちるつもりはありません。それは確かに死の匂いだからです。現代社会において最も私的な空間とされるトイレの個室において、このように別の世界の気配が濃密に漂っているとは何としたことでしょうか。周到に隠蔽された下水設備をかいくぐり、音姫や消臭剤といった抑圧機構もすり抜けて、糞尿はこの世を超える何かを、今も変わることなくこの世界に束の間侵入させていたのです。

私たちがウンコに怯える限り(あるいは反対に聖水としてそれらを崇めることも同じですが)、世界がひとつに閉じ込められることなどあるはずはないのです。爆弾で世界に風穴を開けることは出来ません。なぜなら、この世界の外はどこか遠くにあるのではなく、例えば、まさに今ここに、どうしても我慢できない便意とともにあるからです。そして排便に現れる彼岸の感触になぞらえることがもし正当であり得るなら、外部をよそに求める錯誤が消えたロックは、ありふれたものとして、ささやかではありながら、しかし確実な抵抗を始める準備がようやく整った。そう言える気がします。

THE PERFECT STRANGER。死こそは完全なる他者ですが、それはまた、いつもそばにいて、脂汗とともに私たちを駆け出させるものでもあります。既成の秩序から思わず漏れ出てしまうような、あの世の匂いを伝えるゲストを招いてイベントを企画しました。ご来場の皆さまと共に、ここにある他の世界を垣間見るロックコンサートをつくりたいと思います。

皆様のご参加、心よりお待ち申し上げております。