第2回マエストロ・グワント大賞 中山雄一朗へのコメント

彫刻の辛抱

岡崎乾二郎│造形作家、四谷アート・ステュディウム主任ディレクター

脊椎動物のからだの魅力は、まさに武骨ときに、か細き骨格の露骨とそれを包みこむ筋肉、贅肉の可塑性のなやましき相互依存にある。
ボディビルディングとは自らの身体を彫刻同様に構築しなおすことだが、しかし、ここで彫刻は外形として、かたちをなぞり塑像することとは違う。力を加え、肉という可塑性を絞り上げ、練り込み、剛健と柔軟を確保する。かたちはこの終わりなき鍛錬の過程として、その運動の道筋、力の緊張と弛緩という作用の必然として、自ずから、そこに立ち現れる。
外形の様だけ象る彫刻は、かたちをこうした生きた過程、力学的な干渉として理解しない、張り子の虎つまり見かけ倒しであるにすぎない。
この意味で中山雄一朗の彫刻作品シリーズは、今日希有な本質的な彫刻であるといえる。見た通り、粘土と芯棒(木材)それを結びつける棕櫚縄のなやましき相互依存は、塑像制作過程の内部構造そのものだが、中山は塑像の核心がこのビルディング(構造)にあることにあえて留まり、その条件を引き受ける。
はじめはみずみずしい弾力をもった水粘土はやがては引き締められ、乾涸びるだろう。こうした必然的な変化をも、中山は彫刻の生な必然として捉え、厳格に陶冶する。いわば(彫刻という身体の)鍛錬のプログラムである。でなければ、みずみずしさと乾涸びなど、正反対を見せる彫刻の様相(皺やひび、張り、たわみ)のそのつどが、まるで人生の重みに耐えた人物の形象同様に、必然として立ち現れる理由は説明できない。彫刻はそのつど、自らをつらぬく諸力のさまざま、そのときの必然、宿命にじっと耐えている。脆さ、重さそして時間。存在することのこうした不可抗力を抱え込む辛抱と寛容。その様態が彫刻に尊厳そしてユーモアを与える。中山雄一朗の彫刻を希有にしているのはこのDignityである。近畿大学国際人文科学研究所四谷アート・ステュディウムの第2回最優秀アーティスト賞にふさわしい。

林道郎│西洋美術史/美術批評、上智大学国際教養学部教授

一目見てスバラシイと感じた。シンプルに見えるのだが、その不思議な、とぼけた力動感そして存在感に心をつかまれた。こういう仕事は、たゆまぬ素材とのとりくみがないと生まれない。持続的な試行をくりかえすことができるのは貴重な才能にほかならず、これからもきっと何か予測のつかないものがこの人の手から生まれるだろうと素直に感じる。

中村麗│インディペンデント・キュレーター/編集者

木と粘土を麻紐で固定した中山雄一朗の彫刻は、昨今の流行りの作品の中ではむしろ希有となってしまったようにも思われる自律した固有の〈存在感〉を発露している。その職人的な手技による一見素朴な形態は、鋭敏な〈構成力〉に裏打ちされているであろうことが彼の一連の作品を通して見て取ることができる。否、ヌーボーとしたどこかユーモラスなその佇まいには、そのような理屈を抜きにしても十分惹きつけられる。

小野弘人│建築家、西片建築設計事務所主宰

中山雄一朗の彫刻は、3から4種類のマテリアル(木塊、水粘土、棕櫚縄、ボルトナット)が夫々平等に異なる目的に向かって邁進しているように見えながら、一元的な統合体としての纏まりを備えている。
制作過程において生じるよりどころのない複数の“イメージ”を、浮遊させたまま放置せずに、それら一つ一つを吟味しながらも首尾一貫した単一の“イメージ”の獲得から目をそらさずに居つづけることは、作家の粘り強い意志なくしてはなし得ない。
中山の作品が説得力を持つとすればそれは、ある全体的イメージを“彫刻”として簡潔に定着させるといういさぎよい姿勢によるものであろう。

松浦寿夫│画家/西欧近代絵画史、東京外国語大学教授

今回初めてマエストロ・グワントの審査に参加しましたが、その審査は困難をきわめました。それは、どのような評価基準を設定するかによって、異なった結果が生じる可能性がありえたということです。それにもかかわらず、中山雄一朗さんが大賞となりえたことには明確な理由があります。それは、同氏の作品が、どのような評価基準の設定によっても、つねに高い水準にあるということです。それはしかし、同氏の制作が今後直面しなければならない困難の徴でもあります。その意味で、今後の制作に期待したいと思います。