2003.04.29 RAM LAB(北川、木原、攝津、田口、中谷) | ||
「文化財略奪」の歴史を検討する |
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【目次】 1、イラクの「国宝」の略奪 |
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戦後のイラクで文化財の略奪がおこっている事実を受けて、ニューヨークのメトロポリタン美術館館長をはじめとするアメリカの美術関係者、とくにACCP(骨董品の収集家や芸術関係の法律家らによって昨年結成された組織)は、次のような発言をした。(注) ・盗まれた品物の流出を、取り締まりによって閉ざしてしまうと、けっきょく貴重な文化財は加工されるなどして失われてしまう。 だがアメリカ軍自体が、バグダッドに残った住民たちに文化財の略奪を奨励していた。この事実に着目するとき、うえの論理が、どのようなトリックをはらんでいるかは一目瞭然だ。すなわち、盗賊に文化財をいったん盗ませ、それをマネーロンダリングのような手法で買いとり、最後はメトロポリタン美術館に収める、という仕組みである。 これは間接的な経路を経ているものの、明らかに大英博物館におけるエルギン・マーブル同様の「略奪」である。イラクの文化財をアメリカに「戦利品」として奪い取ろうとするトリックがここに展開されようとしている。 (注)ACCPが、戦争が始まる以前からそう発言していたことは、明記されなければならない。 以下、リサーチ結果を掲げる。 |
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●国連による定義 ・ユネスコ危機遺産概要 ●文化財から見る近代 ●物神化する文化 ●バグダッド陥落以後の世界と日本 「4月15日のウエブ版「ザ・ガーディアン」の記事によれば、「英国の考古学者達は、略奪されたイラクの文化財が自由に市場に出回るようにしろと言う、アメリカのコレクターからのプレッシャーに、アメリカ政府が屈服した」ことが原因だと非難した。もちろん、国防省はこの非難を拒否した。英国考古学者達の疑念と関連して思い出されるのは、略奪が行われた直後のテレビ報道で、イラク国立博物館の副館長が、即座に「これは単なる民衆の暴発的な行為ではなく、プロの仕事だ」と言っていたことだ。収蔵室の厚い鋼鉄の扉が破壊されずに「キー」を使って開けられていたこと、最も価値の高い収蔵品だけが持ち去られ、他は破壊されていること、さらに、収蔵品のカタログが破壊されて、何が失われたか、即座には分からないようにしてあったことがその理由であるという。略奪のすぐあとで、テヘランやパリの骨董品市場に、バグダッドから盗まれた文化財が現れたと言う報道は、「バグダッドの盗賊」が、極めて計画的に、しかも正確なタイミングで、ごく短時間に徹底的な仕事をしたことを確信させるものだ。「バグダッドの盗賊」が何者であったのか、ミステリーやスパイ小説には絶好のテーマである。あるイラク人が言っていたように、博物館の前に、装甲車を1台置いておくだけで、この大惨事は防げたのではないか?」 ●イラク攻撃による文化財破壊の問題を検討する考古学のサイト ●国際博物館会議 ・"reports of cultural property incidents" |
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●ACCPの働きかけ ●ニューヨークのメトロポリタン美術館のモンテベッロ館長の発言 ●CNNの報道 ●「人間の盾」としてイラクに入ったスウェーデン人が証言。「アメリカ軍が略奪を教唆するのを見た!」 ●フセイン政権崩壊後、イラクで略奪が横行。アメリカは対応を後回しにし、目の前で行われる略奪を傍観した。 ●イラクで文化財の略奪がはじまる。米軍は文化財略奪を傍観。 ・イラク国立博物館に暴徒が乱入・略奪、収蔵品の大半消え壊滅的損失(17万点)。同館はイラク最大の博物館で、古代メソポタミア文明やイスラム文明などの遺跡から出土した貴重な文化財が数十万点収められていた。被害にあったのは、後期アッシリア時代(紀元前720年ごろ)の象牙細工や金細工を施した象牙板、くさび形文字を使用したシュメール時代の都市国家ウルの黄金のハープやハムラビ法典を写した銘板など文明の発祥を物語る文化財など多数。湾岸戦争の時にも、地方の博物館の収蔵品約4000点が行方不明になった。 イラク国立博物館 ●アメリカ国内でも米軍の傍観的態度への批判があいつぐ ●大英博物館、イラクの文化財保護で専門家チーム派遣へ。大英博物館はエルギン・マーブルの略奪で悪名高い。 ●アメリカ軍の攻撃によって、すでにイラクの文化遺産は大量破壊された。 ●イラク博物館略奪は、密売を目的とした組織的犯罪の可能性が濃厚 ●略奪品、はやくもイラク国外に流出 ●生きた歴史博物館としてのイラク、ネストリウス派のキリスト教の問題 ●イラクの文化財は一日も早くイラク市民の手に |
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●ウォーナーリスト 第二次世界大戦で京都を救ったとされる神話的人物はとんでもない泥棒であるという仮説。ウォーナーがルーズヴェルトに日本の文化財爆撃を避けるよう進言したという説への疑義。 以下2点は偏向しているが、京都爆撃回避神話論と併せて考察すると興味深い ●アメリカの空襲によって破壊された日本の文化財---文化財疎開の問題 |
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●概要十字軍と都市の発達 ●概要十字軍の略奪 ●ビンラディンによる声明書「ユダヤ教徒と十字軍に対する」 ●十字軍に占領されたシナゴーグに残る異教徒(イスラム教徒)の寓意像 |
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●欧米による文化財破壊の歴史、日本による文化財略奪の歴史 http://www.portnet.ne.jp/~kobe2pls/kyoto/tariban.htm 「西欧キリスト教諸国の文化財破壊と略奪の蛮行の事例は、イスラーム世界だけに限らない。アジア各国の仏教文化財も、中国の儒教文化財も、中南米の先住民族インディオの文化財も破壊し、オーストラリア先住民アボリジニーの文化を滅ぼし尽くし、アメリカ・インディアンの文化も破壊し尽くし、ユダヤ教の壮麗なシナゴーグ(ユダヤ教会堂)も徹底的に破壊し尽くし、焼き尽くしたその後に、ヨーロッパの主要なキリスト教会を建設し、イスラエルの精神的支柱であるタルムード文献(タナクとその注解書)を路上に積み上げて火を放ち、焼却し尽すなどの、タリバンや、ヒットラー顔負けの「蛮行」を繰り返し犯してきた西欧キリスト教諸国が、タリバンたちを避難し「イスラーム原理主義者の蛮行」などと、言えるのだろうか!」 「京都市左京区鹿ケ谷の泉屋博古館(せんおくはっこかん)は、中国古代の殷代や周代の貴重な青銅器類が沢山常設展示されています。戦前、旧住友財閥が日本政府や日本軍の軍事的支援と財力に任せ、貧しい中国人民から二束三文で買い叩き、奪い取って収集してたいわゆる「住友コレクション」が、戦後、京都大学人文科学研究所に移管され、さらに現在は、京大人文科学研究所から切り離され、泉屋博古館(せんおくはっこかん)の名称で、現在に至っています。」 ●欧米の博物館、中国から略奪した文化財を返還することに反対声明 http://www.pekinshuho.com/2003-09/03-09-china1.htm 「2002年12月19日、大英博物館など欧米18の博物館と1つの研究所は、「世界の博物館の重要性と価値に関する声明」を共同で発表し、芸術品とりわけ古代文化財をその国に返還することに反対する姿勢を示した。この声明は中国で大きな反響を呼んだ。(中略)百年にわたる文化財の流出の屈辱の歴史は、近代中国の国力が衰退し、列強の侮辱に甘んじた事実を示すものでも。中国文物学会の統計によると、流出した文化財は驚くほど多く百万点にものぼり、逸品は数十万点を数え、47カ国に散在している。一部は戦争下で強奪されたものである。絵画について言えば、ニューヨーク市立博物館が最も多く、大英博物館は最高傑作を収蔵している。磁器について言えば、アジアの芸術作品の収蔵で有名なフランスのギメ美術館の所蔵品が最高である。アメリカでは、大型の古代青銅器は1千点にものぼり、逸品は少なくとも百点を数える。ヨーロッパで中国の文化財を最も多く収蔵している国が英国であり、中でも大英博物館は群を抜く。大量の優れた文化財では、代表的なものとして漢代の玉石彫刻のギョ(馬偏に又)龍、晉代の顧ガイ之の「女史シン(竹冠に減の右側)図」、敦煌の絹絵と文書などが挙げられる。中国の文化財収蔵で英国に次ぐのがヨーロッパではフランスである。ルーブル美術館の分館であるギメ博物館では、所蔵品の半数以上は中国のもので3万余点にものぼっている。」 |
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●ルーヴル美術館とフランス帝国主義思想 「1793年から 1815年にかけてフランス革命政府はベルギー・イタリア・ドイツなどの地域から多くの美術品を接収してルーヴル美術館に持ってきた。外国から美術品を接収するにあたってフランスが示したのは、「人類共通の遺産である美術品を管理、人類の進歩に貢献する」使命であった。(中略)。「文明化の使命」論とはフランス帝国主義が植民地獲得にあたって国の内外に主張した理念である。世界で最も進んだフランス文明の成果をアフリカなどの未開地域に伝えなければならない、フランスには野蛮を文明化する責任があるので植民地が必要なのだという説明である。「文明化の使命」論を大義名分にして、フランスはアルジェリア・チュニジア・モロッコなどの植民地を獲得したが、植民地になる国がフランス支配を望んだかどうかは別問題であった。」 ●「国有財産」としてのルーヴル美術館 「フランス革命さなかの1793年に開館。歴代のフランス国王のコレクションをルーブル宮殿内に公開展示したことにはじまる。フランス人画家ダビッドがその管理委員会の委員長に指名され、1848年には国有財産となった。」 ●「美術館」という装置を生んだナポレオンの対外侵略 「フランスがナポレオンのもとヨーロッパの覇者となるにつれて、ヨーロッパ各地の美術品を略奪に近い形で接収し、それらをまたルーヴルで展示するということを行うようになった。これは古代の戦利品の陳列に通じるものであり、国威発揚の手段として効果を発揮した。このことはただ単なる国威発揚だけではなく、「パリがローマに変わるヨーロッパの中心地である」ということを強くアピールする手段としても用いられた。(中略)ルーヴルの館長ドゥノン(Dominique Vivant-Denon 1747-1825)は、接収した美術品を美術史的順序で展示するという現在の美術館で一般的に見られる方式を考案し、また、ナポレオン没落後の美術品変換要求にも対応した。このような美術館の展示・運営は、後にフランスに接収された美術品が各国に変換されたあと、各国で美術館が作られる際の重要な見本となった。 」 ●ドミニック・ヴィヴァン・ドゥノン Dominique Vivant-Denon 1747-1825 ●ナポレオンによる略奪がヨーロッパにもたらした影響 ●イタリアを「解放」するナポレオン軍の略奪 「ナポレオンは、イタリアではオーストリア軍を倒しイタリア解放に成功する。 「解放軍」は略奪者の顔ももっていて、たとえばルーヴル宮の庭に建つカルーゼル凱旋門が完成した1808年にその頂上を飾った4頭の金色に輝く馬は、ヴェネツィアから略奪したものだったが、ナポレオン没落後、 サン・マルコ寺院に戻された。(ベルリンのブランデンブルク門の上の戦場の女神像も1806年にナポレオンに持ち去られたが、1814に取り戻された)」 ●ローマの近代史 「反宗教改革期のローマを特徴づけるバロック様式は、17世紀の建築物に多くみられる。ベルニーニやボロミーニのような彫刻家と建築家が、この時代にローマの外観をかえていった。18世紀のローマは、教皇の支配のもとで比較的穏やかな時代をむかえていた。スペイン階段などにみられる18世紀前半のロココ様式の建物は、やがて新古典主義の建物にかわった。1797年ナポレオン1世はローマを占領し、多数の貴重な美術品をもちさった。1814〜1815年のウィーン会議ののち、ローマはふたたび教皇領となった。」 ●プラド美術館は、ナポレオンによるスペイン侵攻がきっかけとなってつくられた ●略奪の証人としてのゴヤ、そしてスペイン絵画 ●ナポレオン時代の略奪品の返還 25 Bulletins (SH-Bulletin, ESH-Bulletin) ●文化財破壊、ナポレオンを「被告」に模擬裁判 ●ナポレオン関連基本情報 |
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●わが個人的遺書-ヒトラー 「わたしの所有するものは-それが何らかの価値を持つ限り-党のものである。万一党がもはや存在しないのならば, 国家に属し, 国家ももし破滅させられるならば、それ以上の決定はわたしのなすべきものではない。多年わたしが買い集めた絵画は、決して個人目的のために収集したものではなく、もっぱらわたしの故郷の町ドナウ河畔のリンツに画廊を建てるためであった。(中略)この遺言が完全に執行されることはわたしの願いである。遺言執行人としてわたしは、最も忠実なる党員マルティン・ボルマンを指名する。」 ・マルティン・ボルマン ●ゲーリング・コレクション 「ユダヤ人芸術科と前衛芸術科の追放・排斥と、その作品の没収が行なわれた。その中心となったのがローゼンベルグ機関とマルティン・ボルマンを実質的なリーダーとするリンツ特務班である。膨大な量の略奪美術品のうち、ヒトラーが嫌った美術品はアメリカやイギリスのコレクター(美術館を含む)へ売却し、ヒトラーはその売却費用を戦費として使った。ナチス・ドイツ降伏後、略奪美術品は連合軍によって元の持ち主への返却が進められた。ローゼンベルグ機関が隠匿していた美術品は三万点を超え、リンツ特務班の略奪品はおよそ一万点に及んでいた。一方、旧ソヴィエトも略奪美術品を多数押収し、その一部を自国に持ち帰り秘匿した。エルミタージュ美術館(サンプト・ペテルブルグ)がその公開に踏み切ったのは1995年のことである。近年の報道によれば、ルーヴル美術館とオルセー美術館(共にフランス)にもモネやゴーギャンなどの名画を含む二千点もの略奪美術品が眠っていることが明らかになっている。」 ・ヘルマン・ゲーリング ・「ド−ビニ−の庭」ゴッホ(ひろしま美術館) 「この作品は国立ベルリン美術館(1930年開館)の友の会が開 館直前の1929年に美術館に寄贈したものだが,37年ヒットラ−の退廃 芸術追放の政策により館から放逐された。その後,一時,ナチス・ドイツのナンバ−・ツ−であったヘルマン・ゲ−リ ング元帥のコレクションに入ったとされているが,確証はない。」 ●ナチ戦争犯罪情報公開法(清水試訳) ・1998年10月8日にアメリカ議会で成立した法律 ナチ戦争犯罪を犯した人物に関する記録の機密解除の必要条件 ・ナチ戦争犯罪情報公開法の成立について ●「ナチスの略奪美術品/半世紀後の返還続々」(1999/12/23「朝日新聞』) 他関連記事情報 「第二次世界大戦中に,ナチスがユダヤ人から略奪した美術品が,半世紀を過ぎた今,次々と本来の所有者に返還されている。今年の夏には,大財閥ロスチャイルド家へ返還された美術品がロンドンで競売にかけられ,多くの記録を作って世界的な話題となった。日本にも略奪美術品は多数流入している。バブル期に史上最高価格で日本人が買い取ったゴッホの「医師ガシェの肖像」もそのひとつだった」 →関連記事「ナチス強奪絵画「返せ」―仏人所有者日本人コレクターを告訴」(9/16『産経新聞』夕刊),「ゴッホ「医師ガジェの肖像」―ナチス「略奪絵画」だった」(10/2『日経新聞』),「ナチス略奪美術品−英政府が鑑定委/被害者へ返還促進」(2/19『毎日新聞』夕刊) 「英政府は18日,ナチス・ドイツが戦時中に欧州各地の民間人などから略奪した美術品の所有権の争いを解決する鑑定委員会を設置することを明らかにした。ドイツやフランスの政府もナチス略奪美術品の返還作業を進めているが鑑定の信用性をめぐる対立で紛糾することが多い。政府が公認の鑑定委員会を設置して返還手続を促進するのは初めての試みという。奪われた家宝を探しているナチス被害者や遺族は歓迎している」,「ピカソ,モネなど300点以上/大英博物館にナチ略奪名画―ユダヤ人団体が返還を要求」(3/1『産経新聞』夕刊),「強奪ユダヤ資産は1300億円/大戦中の仏政府下−200億円なお保管/基金寄付の動き」(4/18『産経新聞』),「戦時中の略奪美術品を返還−もうひとつの戦後処理問題/解決へようやく一歩」(4/25「産経新聞』),「ナチス略奪美術品56年ぶりロシアに―エカテリーナ宮殿・琥珀の間」〈4/28「東京新剛夕刊),「ナチス略奪の可能性―作品リスト次々公開/欧米の有力美術館」(5/9『信濃毎日新聞』) ●「ナチス略奪美術品56年ぶりロシアに―エカテリーナ宮殿・琥珀の間」(4/28『東京新聞』夕刊) 他関連記事情報 「第二次世界大戦中にナチスドイツがサンクトペテルブルク近郊のプーシキン市にあるエカテリーナ宮殿の“琥珀の間"から持ち去った美術品が27日夜,56年ぶりにロシアに戻った」 →関連記事「ナチスの略奪美術品/半世紀後の返還続々」(12/23『朝日新聞』),「ナチス略奪美術品―英政府が鑑定委/被害者へ返還促進」(2/19『毎日新聞』夕刊),「ピカソ,モネなど300点以上/大英博物館にナチ略奪名画―ユダヤ人団体が返還を要求」(3/1『産経新聞』夕刊),「強奪ユダヤ資産は1300億円/大戦中の仏政府下―200億円なお保管/基金寄付の動き」(4/18『産経新聞』),「戦時中の略奪美術品を返還―もうひとつの戦後処理問題/解決へようやく一歩」(4/25『産経新聞』),「ナチス略奪の可能性―作品リスト次々公開/欧米の有力美術館」(5/9『信濃毎日新聞』) ●ナチ略奪絵画:英政府の肝いりで遺族に返還 62年ぶりに 「英王立美術院で展示されていたドイツ・バイエルン州立美術館所有のナチス略奪絵画が13日、元の持ち主の家族に62年ぶりに返還されることが決まった。今回の返還決定は、英政府が今月から開始したナチス・ドイツに略奪された絵画の返還事業による初の成功例となった。」 ●オーストリア社民党、ナチとのかかわりを自己批判(2000/04/07読売新聞) ●Hotel Bogota 戦後、1938年にナチによってJewish Museumから略奪された、Max Liebermannの自画像は、建物の地下室で発見されました。 ●ナチスに売られた名画-贋作者メーヘレン |
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●アフガニスタン文化をウェブサイトで保存 ●仮想・カブール博物館 ●戦争のなかの文化遺産「タリバーンのバーミヤン大仏破壊」報道を読む ●中央アメリカ各国の文化財保存関連の法律 ●ゲントの祭壇画の盗難とその模写 、及び2、3の問題 |
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●ナチスの略奪絵画、押収されて元所有者の遺族へ ── オーストリアで ●暗い過去を持ったアートの美術館鑑定 ●戦中戦後の該当時期の所有者や入手経路がはっきりしない作品をリスト化し、発表。 ●「世界の博物館の重要性と価値に関する声明」2002年12月19日 ●清国における文化財略奪
1860年に英仏連合軍によって略奪された圓明園の文化財のオークションを中止するよう書面で要請 ●北朝鮮からの日本への要求 略奪文化財の返還 ●エルギンマーブル |
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http://www.let.kumamoto-u.ac.jp/cs/cu/000522ch.html ●ワルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」『ベンヤミン・コレクション――近代の意味』所収、久保哲司訳、pp.583-640、筑摩書房、1995 ●ピエール・ブルデュー『ディスタンクシオン1,2』石井洋二郎訳、藤原書店、1990 ●エドゥアルド・ガレアーノ『収奪された大地』大久保光夫訳、新評論、1986 ●アルジダス・ジュリアン・グレマス『意味について』赤羽研三訳、水声社、1992 ●M.アルヴァックス『集合的記憶』小関藤一郎訳、行路社、1989 ●李亀烈『失われた朝鮮文化:日本侵略下の韓国文化財秘話』南永昌訳、新泉社、1993 ●木田元「物」『大百科事典』平凡社、第14巻、 pp.962-3、1985 ●松本剛『略奪した文化――戦争と図書』岩波書店、1993 ●小川伸彦「制度としての文化財 : 明治期におけるの誕生と宗教・美術の問題」『ソシオロジ』 35(3) :109-129、1991 ●荻野昌弘「保存する時代 : 文化財と博物館を考える」『ソシオロジ』 42 (2):103-108、1997 ●太田好信『トランスポジションの思想』世界思想社、1998 ●クシシトフ・ポミアン『コレクション――趣味と好奇心の歴史人類学』吉田城・吉田典子訳、平凡社、1992 ●渡辺公三「物質文化」石川栄吉ほか編『文化人類学事典』pp.653-655、弘文堂、1987 ●西川長夫「国家イデオロギーとしての文明と文化」(『思想』1993年5月) ●ノルベルト・エリアス『文明化の過程』上下 法政大学出版局 1977、78年 ●ディエス・デル・コラール著「ヨーロッパの略奪 : 現代の歴史的解明」小島威彦訳、未来社、1980.6 ●エクトール・フェリシアーノ「ナチの絵画略奪作戦 」宇京頼三訳、平凡社、1998.7 ●ヒュー・トレヴァー=ローパー「絵画の略奪」樺山紘一訳、白水社、1985.11 ●コンスタンチン・アキンシャ,グリゴリイ・コズロフ「消えた略奪美術品」木原武一訳、新潮社、1997.5 ●ジャック・アタリ「歴史の破壊未来の略奪 : キリスト教ヨーロッパの地球支配」斎藤広信訳、朝日新聞社、1994.3 ●種村季弘「贋作者列伝」青土社、1992.5 ●ミルトン・エステロウ「消えた名画 : 世界美術品犯罪史」木村忠雄訳、朝日新聞社、1968 ●ミルトン・エステロウ「名画泥棒」木村忠雄訳、北宋社、1996.3 ●溝口敦「消えた名画 : 「ダ・ヴィンチ習作」疑惑を追う」講談社、1993.8 ●朽木ゆり子「盗まれたフェルメール」新潮社、2000.3 ●ジェローム・コワニャール「盗まれたモナ・リザ」小倉正史訳、リブロポート、1994 ●デヴィッド・ロクサン,ケン・ウォンストール「ヒトラー強盗美術館」永井淳訳、日刊ペン社、1968 ●カール・マイヤー「美術泥棒の世界 : 国際美術市場のからくり」小沢善雄訳、河出書房新社、1976 ●Appadurai,Arjun. ed.,1986, The Social Life of Things : Commodities in Cultural Parspective. Cambridge: Cambridge University Press. ●Karl E. Meyer, El Saqueo del Pasado;Historia del tra'fico international ilegal de obras de arte, Mexico:Fondo de Cultura Econo'mica, 1990 ●Quetzil E. Castaneda, In the museum of Maya culture : touring Chichen Itza, Minneapolis : University of Minnesota Press, 1996 ●Sebastia'n R. Lamarche, La Navegacio'n Indi'gena Antilla, Santo Domingo: Museo del Hombre Dominicano, 1993 |
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