2004.01.10. RAM LAB(矢崎衣良・田口卓臣 編) | ||
小林直樹 『憲法第九条』第8章「平和のための積極的構想」 |
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Naoki Kobayashi 岩波新書、1982年 |
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【概要】 |
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憲法学者 小林直樹のこの本は、ソ連崩壊以前の冷戦構造下で書かれた。しかしそこで扱われている問題はいまだに古びていない。実際、現在の世界各地をおおう暴力(戦争)の連鎖を見れば、冷戦当時一定の説得力を持ちえた「核の抑止力」理論も、いまやぼろきれのように綻んでいることは明白である。 もっとも有効な「安全保障」とは何か。小林の問題意識はこの点に尽きている。そして彼の答えは、日本国憲法第九条こそがその指針である、というものだ。国家のパワー・ポリティクスを前提にした思考から抜けきれない者は、憲法第九条を非現実的と嘲笑する。小林はこれに反論して、積極的な平和主義(「人類」の立場にたつこと)が、むしろ「国益」にもつながることを示そうとする。積極的な平和主義とは、あらゆる戦争・軍事力の放棄を目標とするだけではなく、軍備を背景にしたいわゆる安全保障体制(例えば日米安保)に代わる「安全保障」を構想することである。それはいかにして日本を侵略しにくい国にするかという方法に関わっている。 小林の「安全保障」構想は多様である。体系的な平和外交、軍縮促進運動、戦争防止策、平和教育・平和研究の促進といった論点が、個別具体的に検討されていく。とりわけ以下の提案は、政府によってまともに検討されてこなかったゆえに貴重である。
小林の思考方法は公正である。なぜなら以上の政策提案をしたうえで「にも関わらず外国から侵略を受けた場合にはどうするのか?」という問いを立てるからだ。この問いに対しても、彼が主張するのは「非武装=非暴力の抵抗」の有効性である。日本国憲法の平和主義は「国家として戦争放棄する代りに、不正な侵略者に対して国民が自由・人権のための抵抗をする自然権」をむしろつよく認めているのだ、と彼は言う。 外国からの侵略者に対する「非暴力抵抗」には以下のように多様な方法がありうる。 (一)非暴力抗議──侵略者に対する不同意の態度を人びとに象徴的に伝える方法。行進、巡礼、集会、徹夜(寝ずの番)、官吏への付きまとい、抗議文の印刷・配布・ユーモラスないたずら等。圧制のもとで積極的な反対行動が抑圧されている場合、有効に用いられる手段。 |
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【抜粋】 |
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「これらの要件が整い、適切な指導のもとで長期にわたる広範な抵抗が行われるとき、おそらくどのような占領軍も有効に侵略目的を達することはできないであろう。各地で無数の抵抗グループが不服従の運動を起こし、多数の民衆も自らの自由と生活権を求めてこれに協力し、占領軍の兵士たちに説得を試みるような国では、侵略軍も銃剣で長い支配を続けるわけにはいかない。しかも、非暴力行動は、それを意味するガンディーのいわゆるサチヤグラハ(satyagraha)にみられるように、あくまでも真理と正義の力に依拠するという倫理的原則に立つことによって、侵略者に対する精神の優位を確保することができる。「威武も屈する能わざる」民族の抵抗の強みは、あらゆる圧制や迫害に耐えて自由を回復する力となりうるであろう。 非暴力抵抗の最大のメリットは(中略)壊滅戦争を回避できる点にあるが、同時にそれはまた、右のような倫理的原理にもとづく運動者たちの内面の強靭さによって、市民とともに民主的価値を守りうる点に見出される。不服従やボイコットや敵兵の説得等の運動は、武器による戦闘を放棄した代りに良心による不屈の闘いを引き受けた人びとが中心になって、広範な市民によって展開される。 ここで守られるべきものは──国民の生命は、前提として軍事侵略が行われた時から一応守られているので──主として国民の生活様式を含んだ体制原理、われわれについていえば平和主義と民主主義であるから、この原理の実現に努めてきた国ならば、自分のためにもこれを守ろうとする人民は、圧倒的に多いはずである。しかも、非暴力抵抗はまさに、守るべき平和=民主の原理に最も適合した手段であり、少なくともモデレートな不服従運動ならば、誰でもが加わることができる。 さらにまた、このような「市民による社会の直接的な防衛」としてのシビリアン・ディフェンスは、第一には現憲法および教育基本法の実現を通じ、「真理と正義」を愛する自主的な市民を育成することによって、日常的に準備することができる。それに加えて、各地方自治体、労働組合、宗教団体、学生組織等の民主化運動のなかで、無法な権力の抑圧に対する抵抗力を養成しておけば、緊急時にも有効な力となりうるだろう。 要するに、民主主義の徹底化、すなわち全国民の人権意識の強化、真理教育を中心にした自主的市民の育成など、草の根からの民主化をはかることが、市民防衛の基本となるということは、目的と手段の一致という点だけをとっても、この防衛法のきわめて優れた長所だといえよう。こうした諸点を考えると、第九条の発案者であった幣原喜重郎の次の言葉の真実性が、核の重圧の下における今日、改めて再確認されることになろう。 かれはいう、──「中途半端な、役にも立たない軍備を持つよりも、むしろ積極的に軍備を全廃し、戦争を放棄してしまうのが、一番確実な方法だ。……軍備などよりも強力なものは、国民の一致協力ということである。武器を持たない国民でも、それが一団となって精神的に結束すれば、軍隊よりも強いのである。……八千万[今では一億以上]という人間を全部殺すことは、何としたって出来ない。数が物をいう。事実上不可能である。国民各自が、一つの信念、自分は正しいという気持で進むならば、徒手空拳でも恐れることはないのだ」と。」 |
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