2003.12.18 RAM LAB(田口卓臣 編)


加藤周一
「夕陽妄語 2003年回顧」
    加藤周一 Kato Syuichi
2003年12月17日付 朝日新聞 夕刊12面

【概要】
 加藤周一によれば、イラク戦争は三つの段階に分けられる。第一段階は準備期間。第二段階はアメリカとイギリスによる攻撃開始から勝利宣言までの期間(3月20日〜5月1日)。第三段階は、いつ終わるのか見当のつかない、アメリカ軍によるイラク占領の期間。加藤が力点を置いて分析するのは、第一段階および第三段階についてである。

 第一段階では、2001年9月11日の同時多発テロ事件に始まり、アメリカ政府による「テロとの戦争」宣言、アフガニスタン攻撃、イラク査察のプロセスで国連加盟国の意見がふたつに分かれたこと(仏・露・中・独その他多数の国 vs 米・英・スペイン)、そして少数派の米英が「戦争は問題解決の最悪の手段である」とのフランス大統領の苦言を無視してイラク攻撃に踏み切ったこと、などである。これに対して、世界中で総計数百万、つまりベトナム戦争末期の反戦デモを超えるほどの市民が、戦争反対のデモに参加した。「しかもイラク戦争反対の大衆運動は、戦争開始以前、準備段階で起こったという点で、独特である。」

 加藤はさらに、この種の大衆運動に対してよく行われる批判、つまり「大衆感情とはしばしば不合理であり、道を誤るものだ」という批判はあくまでも事の半面を強調したに過ぎないと説く。むしろ反対に「政府と議会があまりにしばしば法的、倫理的、現実政治的に道を誤ったから、戦争と平和のような重大な問題については、市民大衆が街頭に出て直接に意思表示をする必要がある」という別の半面があるのだ、と。しかも、戦争反対論は大衆だけの意見なのではなく、カーター元米国大統領、ヨハネ・パウロ2世、アナン国連事務総長の意見でもあった。日本でも世論は反対が賛成を上回ったが、首相は戦争をあらかじめ(それが始まる前から)「支持」していたのだ、と。

第三段階、つまり2003年12月現在も進行中の泥沼状態は、おそらく今後も続くだろう。そしてこの段階で、日本政府はイラクへの自衛隊派兵を決定した。この出来事がいかなる意味を持つのかについて、加藤は以下のように分析する。

【抜粋】
「日本政府は自衛隊を派遣する方針を決定した。その決定の合法性は疑わしい(憲法、国連憲章の違反)。日本国民の多数意見との乖離も著しいだろう。また、「国益」の増進ともみなしがたい。そういうことが、なぜ起こったか。

少なくともひとつの理由は、この年の秋の選挙の結果である。小選挙区制は、いつでも、どこでも、大政党に有利、小政党に不利に働く。しかも選挙の争点が二大政党[自民党vs民主党]の対決であるかのように宣伝され、ほんとうの争点がかくされた。ほんとうの争点とは憲法九条の改訂である。二大政党は、その点に関して、根本的に異なるものではない。根本的対立は、二大政党間ではなく、二大政党と少数政党の間にあるはずのものだった。

議会において少数政党の力が弱められれば弱められるほど、憲法九条の無理な解釈――海外派兵――九条改訂――軍備増強――徴兵という日本史の新たな方向転換は、十分な批判、十分な議論なしに貫かれることになるだろう。政府の政策と国民感情の乖離の幅もせまくなるのではなく、さらに大きく開いてゆくに違いない。」

【参考文献】
加藤周一『憲法は押しつけられたか』かもがわ出版、1989年
大南正瑛・加藤周一『わだつみ不戦の誓い』(岩波ブックレット、No.339)
加藤周一・井上ひさし・樋口陽一・水島朝穂 他『暴力の連鎖を超えて──同時テロ、報復戦争、そして私たち──』(岩波ブックレット NO.561)
憲法再生フォーラム編『有事法制批判』岩波書店、岩波新書、2003年

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