[音楽] 2005.2.4 editorN |
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「笑う」なブライアン・笑え、ブライアン!ブライアン・ウィルソン スマイル2004大阪公演 |
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『SMILE』 とは、ビーチ・ボーイズが1966年に発表した世紀の傑作アルバム 『PET SOUNDS』 の次に発表される予定だった、 世界でもっとも有名な未発表アルバムである。 (SMILE DAYSより http://www002.upp.so-net.ne.jp/smiledays/) 発表断念から37年後にとうとうそれを完成させたブライアン・ウィルソン63歳が、昨日(2005年2月3日)大阪にもやって来たのだった。 完成させられなかったトラウマが、その後私生活的にも地獄の日々を送らせたという逸話は、実際に見ていないのでわからない。が、想像できなくはない。この音、当時24歳前後だった天才が、彼の生まれ育ったアメリカという空間にあった音を貴賎の区別なく、300年ぐらいの想像的歴史まで加えて、40分のアセテート盤にぶち込もうとした代物だったから。”あの”アメリカをビニール1枚にぶち込もうなどと言うことは、恐ろしくて考えられない。残った未発表テープは、”グッドバイブレーション”などを除いて、いずれも構成しきれなかった断片であるが、その片りんを伺わせるに充分なものだ。スマイルに狂ったマニアが出るのも当然である。多くの海賊版の作者が彼らなりのスマイルをリミックスして出していたことも何とも異常なことである。 2004年に完成したスマイルは、しかし予想をはるかに上回る出来だった。それをライブで完ぺきに再現するという触れ込みなのだから、とにかく見てみないわけにはいかない。 初めからどうなるのかわからなかった。スマイルは、例えばビートルズだったらSGT.ペパーズ以降のライブをしなくなった時点の音だったから。限られた楽器編成、短くシンプルな楽曲、電気増幅などといったポップの物体的唯物性はほとんど消滅している。それはライブを前提につくられたわけではなく、彼の頭の中にあった音と、彼の頭の中に偶然もたらされた独特なその出会いの体験を、そのままリスナーに届けるべく、お金も、楽器編成も、時間(つまり多重録音)もすべて限界なく作り込んだ代物だったから。3部に別れた「ライブ」のうち第2部に行われたスマイル完全再現は、だから一種とても不可解なものになった。 17人編成のバックの演奏は完ぺきだった。確かにスマイル2004が解像度高く再現されていた、唯一ブライアンを除いて。彼はもう声も、キーボードの上の手も動かない。24歳の彼の声、手をどう蘇らせようというのか。彼だけが中心でスポットライトを浴びている。他は暗い。ちょうどクラシックの指揮者の位置で180度向きを観客側に向けた状態だ。彼は歌えないのをあきらめた時には、しきりに腕を振ってバックをコンダクトしている。匿名的なバックの服装はラフなりにも見られることを意識したものだが、ブライアンは違う。しわくちゃのネルのシャツを胸をはだけて袖を巻くってズボンから出した状態のものだ。見られることを意識していないように見えた。この構成を見て、スマイル再現の風景がまるで映画の病院の中の一シーンに見えてきた。一人の患者の到達しがたい夢をいやすように彼の想像した人物達(エンジェル?)が一糸乱れずそれをかなえてくれている。彼らのバックに浮かび上がるのは24歳のブライアンの顔のイメージ。その顔がスマイル2004のメイン・デザインとなった太陽の中に浮かんでいる。もう決してたどり着くことはないスマイル1966...スマイル2004の太陽は24歳のブライアンとは! この2004再現をどうとらえればいいのか正直わからない。ライブへの強迫なのか、何かの供養なのか、治癒の過程なのか、あるいは未だ煉獄なのか。ブライアンの頭の中は未だに劇が繰り広げられているのだろう。確かに彼は現役の天才で、2004も本当に彼が作ったのだと思った。ただ彼の身体をとりまく物理的変容はスマイルにとってみれば拘束具なのであった。グッドバイブレーションを歌い出した時、彼が観客に両手でそれぞれにO.K.サインを出した。おそらく大丈夫これはうまく歌える、という意味だったのだろう。客席の何人から小さな笑いが起こった。 3部でブライアンはスマイルを捨てた。バックバンドは初めて名前を紹介され、不自然なスポットライトは取り払われ、彼らの肌の色がようやく見えるようになった。チューンは初期のもの。ライブにうってつけのものである。ブライアンはバンドの一人になって活躍した。ビーチボーイズのコーラスを聴くたびに、ああこれはダシだなあ、と思う。そのきわめてシンプルな物理的構成にその地域うん千年の技がしまい込まれているのだ。ライブとは、到底再現できない時間と空間とを、たった4,5人の肉体活動によって、圧縮し再現するモノだと思う。MP3よりはるかに高性能なのだ。 そしてその過程を確保するのは、アドリブに象徴される、演奏技術という一種批評のような圧縮技術である。ベンハーの闘技場の光景を、あるいは十戒の海が割れる様子を、このフレーズ一発で表現してやろうとか(遠藤賢司)そういうことを演奏者は必ず思っているはずである。その発見と実行に演奏者の血が笑う。そして観客にとっては、彼らのちょっとしたふるまい、しぐさ、手の動き、表情すべてがその音を聴く助けになり、圧縮過程は、瞬時に大いなる解凍過程へと向うことになる。ライブの驚きはここにある。二部まできわめて神経質だったブライアンはここで大いに笑っていた。そして最後の最後のアンコールは、彼の復帰第一作となったアルバム("Brian Wilson" 1988)の冒頭の曲だった。津波に巻き込まれたバックバンドのメンバーにも捧げられた曲だった。 I was standin' in a bar and watchin' all the people there Oh the loneliness in this world well it's just not fair Love and mercy that's what you need tonight So, Love and mercy to you and your firends tonight "Love and Mercy " スマイル2004について[萩原健太](http://www.st.rim.or.jp/~kenta/) The Smile Shop(http://www.thesmileshop.net/) 初出 編集出版組織体アセテート 編集者日記2005年2月4日分 | ||
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