[映画]
2004.9.17  有賀 文昭

華氏911 マイケル・ムーア監督

 「偏ってるって?それで結構!」とは『華氏911』で引用されたジョージ・W・ブッシュによる演説中の捨て台詞である。そしてこの台詞こそは、映画の終盤にあってラストメッセージへ向け畳みかけるように展開する映像の中で、映画のタイトルが『華氏911』である理由を示す必要不可欠な台詞である。周知のごとく『華氏911』は『華氏451』の転用である。『華氏451』とは、人々が本を読むことを禁じられマスメディア(テレビ)によってのみ社会とつながっているような未来世界を描くことで、人々の思考が統制されてゆくことの恐怖を訴えたレイ・ブラッドベリによるSF小説の古典である。(66年フランソワ・トリュフォー監督によって映画化。)[*1]とすれば、『華氏911』が『華氏451』の転用であることの意図は明白であって、すなわち、『華氏911』のメッセージとは「我々の世界がどのように動いているのか、我々の行動がその意図とは無関係に一体どのように機能しているのか、調べてみなければならない」というものである。(映画の終盤が息子を兵士として送り出した母親の記録である理由もここにある。)その態度において、ムーアの魅力は、偏向に開き直らないことにある。人間が不可避的に世界に組み込まれ、これを操作してしまっているという現実に対する不安と責任感にある。これが、映画の批評精神というものであるだろう。マイケル・ムーアが権威や世俗に媚びたいい加減きわまる類の言論人・政治家と区別されるゆえんである。「飼い犬の病気の方に、海の彼方での数千人、数万人の無辜の人々の受難よりも強い関心を抱く人たちは、決して少なくないだろう」[*2]などと、ムーアは決して口にすることはあるまい。(さもなくば、なぜ人がしょせん作りごとである映画を観て涙を流すことがあるのか、わからなくなる。)一人で絶望することも、世界を冷笑することも、彼は嫌う。(だから、この映画で語られるほとんどの情報が既知のものであるなどという批判はまったくの的外れである。『華氏911』の映画としての迫力はそのリソースに依存しているわけではない。この点で、クエンティン・タランティーノは正しい。)怒れるムーアの矛先は、傍若無人な、あまりに尊大な、あまりに人間を馬鹿にした、偏向への開き直り(「偏ってるって?それで結構!」)に向けられている。
 われわれは偏っているかも知れない、だが…という一点へのこだわりが思考にとって重要である。[*3]なぜここにこれがあるのか、それはどのように形作られたものなのか、それはどのように機能しているのか、果たしてこれでなければならないのか、『華氏911』を貫くこの執拗な問いかけこそが、知覚の吝嗇・怠惰から逃れるための契機となる。引用された膨大な映像群、インタビュー映像は、イデオロギッシュな忘却に対して頑なに抵抗し、映画を見る者に思考を強いる。いったいなぜ人を殺さなければならないのか?人を殺すためには自分の魂を殺さねばならぬとは、誰も僕らを攻撃などしていないとは、戦場に送られたアメリカ兵士の声である。なぜ彼らは戦場にいるのか?いったいなぜイラクの子供達の頭は二つに裂かれねばならないか?いったいなぜアメリカの若者の四肢が失われねばならないか?アメリカの脅威たる大量破壊兵器などどこにもなかったことはもはや誰の目にも明らかである。[*4]いったいなぜアメリカの議員達は自分たちの子息を戦場に送ろうとはしないのか?私の息子が死んだと訴える母親を前にして、大勢の人が死んでいるのよと答える精神を許しているものとは一体何なのか?
 新聞・テレビなどのマスメディアが機能不全に陥っている時、他のメディア(映画)という手段を選ぶことのどこに非難さるべきいわれがあるだろう。これでもまだ、「この映画は偏っている」と言い張って拒むあなた(達)は、一体何をしてしまったのか?一体何をしているのか?一体われわれは何をし、何をさせられてしまっているのか?一体われわれは何をしようとしているのか?凡庸なアクション映画など遥かに凌駕しつつ圧倒的な迫力で襲いかかるこの映画の論点を見誤ってはなるまい。

*1 原作者レイ・ブラッドベリは『華氏911』の政治的信条と自らは立場を異にするとした上で、『華氏451』が無断で使用されたとしてムーアを批判している。これに対するムーアの返答は以下の通り。
「ムーア 僕はブラッドベリのファンなんだけど、彼も少しは僕に感謝してくれてもいいんだけどな。『華氏451』は四十年前の小説だけど、急に売り上げが伸びてるんだから(7月上旬現在AMAZON.COMの売り上げランキング80位)。ブラッドベリが怒っているという報道はあちこちで見たけど、気になるのはマスコミで誰一人として以下のことを指摘しないってことだ。ブラッドベリの小説『何かが道をやってくる』のタイトルはシェイクスピアの『マクベス』の有名なセリフだ。『太陽の黄金の林檎』はイエーツの詩から、『よろこびの機械I Sing the Body Electric』はホイットマンの詩からの引用だ。なぜ世界のマスコミの誰一人として「でもブラッドベリ自身の小説のタイトルも他の作家からの引用だが」ってツッコミを入れないのか? みんな仕事してないね。」
以上「」内は、映画批評家町山智浩氏によって採録されたムーアへの共同インタビューより抜粋させていただいた。
http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040706

*2 『イデオロギーズ』福田和也著/新潮社

*3 ムーアには明らかに左翼的言説の影響が色濃い。だが、人々を惑わせている政治の歴史と理論の混同といった問題はひとまず置くとして、いずれにせよ、彼の戦略はパロディや転用を駆使した自発的な抵抗という点にある。

*4 以下の記事を参照されたい。(田口卓臣氏の教示による。)
●米国務長官が表明:イラク開戦根拠の大量破壊兵器の発見断念
東京新聞 2004年 9月 14日  【ワシントン=共同】
http://www.chunichi.co.jp/iraq/040914T1520.html
●パウエル発言で終始苦しい弁明−−細田官房長官
毎日新聞 2004年9月15日 東京朝刊
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20040915ddm005030168000c.html
●国連総長:「イラク戦争は違法」初めて明言
毎日新聞 2004年9月16日 11時30分 ニューヨーク発
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/news/20040916k0000e030040000c.html
●RAM DEMO SITE内の記事
http://www.eris.ais.ne.jp/~fralippo/demo/review/RTT040302_ritter/


華氏911オフィシャルサイトhttp://www.herald.co.jp/official/kashi911/index.shtml
マイケル・ムーアオフィシャルサイト(英語)http://www.michaelmoore.com/
マイケル・ムーアオフィシャルサイト(日本語による英語版の抜粋)http://www.michaelmoorejapan.com/

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