[美術]
2004.5.4  中井 悠

「日本近代絵画の核心」シンポジウム(浅田彰、岡崎乾二郎、高島直之、松浦寿夫)

備忘録

2004年5月2日東京ウィメンズプラザで行われた日本近代絵画をめぐるシンポジウムの議論の(うろ)覚え書き:

・クールベのレアリズムとの比較において高橋由一の位置づけの検討。油絵によってそれまでの日本になかった遠近法システム、そして物質表現(質感)が導入されたが、この両者を同時に押し進めた結果、画面と対象の物質性の一致という点まで行き着き、絵画に奥行きがなくなってしまう。しばしば油絵という西洋的技法を日本に着地させようとした結果だと説明されるこの問題は、しかしもともと油絵自体に内在していた矛盾であったと指摘された。美と崇高をめぐる物語が終わった後に、単なるモノ(対象)を画面に定着しようとするレアリズムが抱えた矛盾。これをよくわかっていたのが夏目漱石であり、1906年に書かれた『草枕』において、対象をもたない感情をいかにして作品へと着地させるかということを主人公の画家が考える場面が登場する。漱石は抽象絵画が登場する以前に、抽象を要請するような問題をすでに考えている。たとえば、ミレイの有名なオフェリアの絵の良さは対象として見るのではなく、自らが(温泉につかって)同じ格好になったとき初めてわかるなどという、カンディンスキーの内的必然性の話のようなくだり。また同じくミレイの、田園で眼の見えぬ少女の後ろに鮮やかな虹が描かれる『盲目の少女』などにおける、対象から切り離された視覚的現象についても言及された。

・会場で配られた日本近代の画家を生まれの世代ごとの特徴(1885〜1890年世代=日本的フォーヴ/1895〜1900年世代=アヴァンギャルド、プロレタリア運動/1905年前後世代=抽象、モダニズム/1911年前後世代=ヒューマニズム)にまとめた表の簡単な説明。1895年〜1900年生まれの世代は村山槐多や関根正二のように夭折してしまった画家が多かったなか、生き延びてしまった人たちによって1930年に結成された独立美術協会では、日本的フォーヴとシュルレアリスムという通常であれば対立するものとして考えられる様式が奇妙に混合していたこと。その3年後には共産党の佐野学と鍋山貞親の転向声明(皇室を民族的統一の中心と感ずる社会的感情に忠実たれ)があり、また同時期に来日したブルーノ・タウトは、民衆生活を媒介する空虚な中心としての天皇を将軍と対置するかたちで持ち上げていた。そのような時代状況のなか、美術においても様々な意匠に分裂した様式を束ねる地平(国民絵画)が探られていたのだった(詳しい説明がなかったが、そのためのロジックとして、瀧口修造が論じたようにばらばらな形式のあいだを通り抜ける方法論としてのシュルレアリスムと日本的フォーヴ/日本回帰は、表向きの齟齬に反してそのじつ極めて似通っていたということだろう)。

・多くの画家が世代論に回収できてしまうという前提のもと、そのような限界をブレークスルーしたと思われる作家が挙げられ、論じられた。竹久夢二(1884−1934)は、アカデミズムとポピュリズムの間を行き来するとともに、実生活においてもあちこちを放浪する寅さんのごときボヘミアンであり、彼において場所/対象と自分との関係は偶有的なものであったこと(『宝船』でのヴェニスのゴンドラと花魁の併置)。村山知義(1901−1977(表に記された没年は1919年となっていたが、これは誤りだろう))は、ばらばらな様式の統合を目指したというよりも、むしろ主体を規定する構成されえないものとしての物質にあらゆる様式の外部を見いだしたが、社会的生産システムに対してはきわめて無自覚であったこと。岡本太郎(1911−1996)が「縄文」の捏造によって「国民」以前のものを確保しようとしたこと、『傷ましき腕』において主題は画面の中に欠如として示されているだけであり、差異(男/女、労働者/ブルジョア)の統合が果たされる場所が決して確認できないこと。熊谷守一(1880−1977)は知覚される対象と想像的な観念の分裂に関心があり、対象との関係性が変化する瞬間(死など)をとらえようとしていたこと(礫死体の絵を縦にして崖からつり下げ、揺らすと夢のようだろうという日記の記述、身体が色班によって分断されている水死体の絵など)。諸形式を媒介する平面(「日本」や「現在性」のような)を要請するのではなく、交換が保証されていないという不安があったこと、など。
※対象から切り離された感情を主題化した『草枕』は、形式からこぼれ落ちた感情を掬い上げる装置としてナショナリズムの問題ときわめて近い話に思われたが(筋のない小説が一番強力な筋になってしまう危険性)、その点において『草枕』から影響を受けた(?)熊谷守一が国民絵画とどう結びつくのかもうすこし論じてほしかった。

・絵画がすべて様式に見えるということは、つまりそれが「マンガ」であるということだという話(マンガは大量生産によって形式が純化する)から、ゴンブリッチの美術理論やリキテンシュタインの作品にも議論は及んだ。リアリズムであるかぎりはマンガであるほかない。「物質」とは画面上のマチエールのように実体的に確保されるものではなく、形式からこぼれ落ちるものをとりあえず仕方なく物質とよんでいるだけである。日本がとくに悪い場所なのではなく、どこでも条件は同じであり、自分の絵が「マンガ」であることをまず自覚した上で、どのように対処するかが問題であると述べられた。

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