[思想] 2004.1.22 田口卓臣 |
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寺田元一『編集知の世紀』「リュミエール」の哲学の復権 |
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『百科全書』の出版をひとつのメルクマールとする18世紀フランス思想は、「啓蒙主義」ないし「理性中心主義」といった標語によって半ば自明のごとく一括されてきた。言うまでもなくその歴史認識は偏っているのだが、その責任の一端は研究者の怠慢にある。彼ら自身が「啓蒙」というタームを無批判に採用してきたからだ。 何より18世紀フランスにおいては「啓蒙 Aufklarung」なる言葉自体が存在しなかった。それはカント以降のドイツ哲学が好んで用いた用語である。フランスの思想家たちは、自らの思想ないし知的スタンスのことを、単に「Lumieres リュミエール」の哲学と呼んでいた。この単語は「Lumiere=光」の複数形であり、「知性、知識、知恵」といった意味を持つに過ぎない。「啓蒙主義」「理性中心主義」などの用語によってイメージされるのが、この地上の闇――無知蒙昧さ、盲目さ――をはるか高みから照らし、進むべき道を示すただ一条の「理性の光」だとするなら、これに対して「リュミエールの哲学」が強調するのは、そのような唯一普遍の「理性=光」などどこにもないばかりか、この地上ではさまざまな角度から放たれた幾多の光線が交錯・乱立しあうのみである、という世界認識なのである。彼らにとって「哲学」とは、無数の光の束に満ち溢れた現実のなかで、言い換えれば、集合・離散を繰り返す複数の理性的主体との競合関係のなかでサバイバルしていくという極めて具体的な営みを紡ぎだすための知恵のことだった。彼らは思弁を弄するに飽き足らず、物理学・医学・化学・数学等の高度な科学的知見を要する学問から、農業・工芸などの職人的熟練を要する技術、さらには立法・国内経済・外交問題といった政治的実行力が問われる場面にいたるまで、果敢にコミットしようとした。「哲学」とは諸学問、諸技術、諸工芸に股をかける知的実践だったのである。 こうした18世紀フランスの知的状況を、寺田元一は「編集知」という造語で表現した(『編集知の世紀』日本評論社、2003年)。松岡正剛の「編集工学」に想を得た寺田の議論は、しかしそれ自体で既に独自の錬成を経ている。何よりこの概念を血の通ったものへとたたきあげたのは、『百科全書』およびそれを取り巻くフランスの社会的・文化的・経済的・歴史的諸状況の総体を洗い出そうとする彼の類まれなる力業だった。 寺田は、18世紀ヨーロッパ思想界のスターたるディドロとダランベールによって編纂されたこの『百科全書』を、以下のような幾つかの補助線を引くことによって位置づけなおす。第一に、ピエール・ベール編纂の『歴史批評辞典』、『フュルチエール辞典』、『アカデミー辞典』、『トレヴー辞典』といった「辞典戦争」の前史[第三章]。第二に、ブルーノ、ベーコン、デカルト、メルセンヌ、アルシュテート、コメニウス、ジョン・ウィルキンズ、ライプニッツといった17世紀哲学における「汎智」の系譜――「編集知」は「汎智」への対抗として構想される[第四章]。第三に、『百科全書』の内外で繰り広げられた諸々の論争・葛藤の磁場――例えば「編集知」に立脚するディドロと「体系知」に拘泥するダランベールとの間では「辞典」観が異なっていた[第六章、第八章]。 寺田はまた、当時のサロン・カフェ・劇場や出版・情報文化のありよう、『百科全書』刊行の担い手たちの社会的立場などにまで分析の手を指し向けることによって[第一章、第二章、第五章]、『百科全書』という書物を、いわばさまざまなネットワークの重層構造として描き出すことに成功した。 「編集知とは、われわれの世界認識の相対性を自覚したうえで、それでも真理や正義といった普遍的基準をたて、その基準との関係で、そのときどきの(相手/自分の)利害・関心・状況にも応じながら、情報・ニュースへと知を再構成して、民衆の実践的目的の実現に批判的に寄与しようとする、相対的で批判的な知であった。それはまた、個別性、特殊性、普遍性をともに考慮し、それらを共存させつつ、動的、異種混交的連携をはかる批判的、論争的性格も有していた。」(p.217) この定義の具体例として、寺田は「クロスレファレンス」の手法――ディドロが得意とした手法――を取り上げている[第九章]。その際に彼が行う多数の事例に基づいた実証主義的な分析は、本書の中核的な位置を占める。その分析のプロセスは水際立っており、またそこから抽出された「編集知」をめぐる上の定義は、単なる歴史研究の域を超えて、遠く現在の世界にも通用する生産的なフレームを提供していると言わねばならない。かくしてこの本は、現在考えうる、紛れもなく最高にして決定的な『百科全書』研究となった。 一点だけ批判を記しておきたい。それは本書第一章の議論が、ハーバーマスの『公共性の構造転換』を端緒として展開されている点である。これに関しては理論的視座からも歴史研究の正確さの面からも、一定の疑問符が付されてよい。例えば、ディドロの小説『修道女』や『ド・ラ・カルリエール夫人』では、ハーバーマスがお気楽な理想主義とともに記述してみせる「啓蒙された公衆」像を、真っ向から突き崩すような、陰惨で愚かな「公衆 le public」のイメージが克明に描かれているからだ。なるほど寺田自身、むしろハーバーマスの所論に対して修正を迫る方向で分析を進めているように読めはするのだが、その方向性をよりラディカルに打ち出してほしかった。 なお本書第九章で幾度か引用されている拙論「『百科全書』から『ラムカタログ』へ」は、大幅な改訂を経て「ディドロ・ダランベール『百科全書』の対抗運動」というタイトルのもと、以下に掲載されている。 http://www.eris.ais.ne.jp/~fralippo/module/Study/index.html ●寺田元一『編集知の世紀』日本評論社、2003年 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4535583463/249-1052929-3774754 ●松岡正剛の書評 http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0813.html | ||
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